白い初雪の午後と、とろけるショコラの誘惑
しんしんと冷え込む灰色の空から、今年最初の白い雪が舞い降りてきた。
石畳の路地裏は音もなく銀世界へと姿を変え、街全体が静寂に包まれていく。
『緑の天幕亭』の窓ガラスには真っ白な霜の花が咲き、薪ストーブの中ではパチパチと心地よい音を立てて橙色の炎が揺れていた。
厨房を満たしているのは、冬の訪れを告げる濃厚でほろ苦いカカオの香りだ。
リリアナが小さな陶器のココットをオーブンから取り出すと、ふっくらと焼き上がったフォンダンショコラが甘い湯気を立ち上らせた。
スプーンを入れれば、中から温かくとろりとした濃厚なガナッシュが溢れ出す仕立てになっている。
合わせるのは、冬の冷えを散らすドライジンジャーとローズヒップ、そして林檎の皮をブレンドしたルビー色のホットフルーツティーだ。
「……ふう、いい香りに焼き上がったわ」
寒さで少し悴んだ指先に息を吹きかけた、その時だった。
カラン、とドアベルが静かに鳴り、扉が開く。
「外は随分と冷え込んできたね、リリアナ」
雪を払って店内に滑り込んできたのは、黒い毛皮の襟巻きを纏ったレオナルドだった。
公爵としての重厚な威厳を纏いながらも、リリアナの姿を捉えた銀の瞳は、春の陽光のように甘く蕩けている。
「レオさん! 寒かったでしょう、どうぞストーブのお傍へ」
「ああ、ありがとう。だが……私の指先よりも、君の手のほうが冷えているじゃないか」
レオナルドは手袋を外すと、リリアナの両手をそっと掬い上げた。
白く長い指先がリリアナの手を包み込み、そのまま己の温かな唇へと運ぶ。
吐息を吹きかけ、指の節々へ慈しむように口づけを落としていく。
「ちょ、レオさん……くすぐったいです……!」
「君の体温を奪う寒さなど、すべて私が引き受けたい。……それに、冷たい君の手を温めるのは、私の特権にしたいのだがね」
大人の色香を漂わせる低く囁くような声に、リリアナの頬が一気に熱を帯びる。そこへ、扉が再び勢いよく押し開かれた。
「閣下、抜け駆けが過ぎるぞ」
大きな身体をかがめて入ってきたのは、肩に薄く雪を積もらせたジークハルトだった。
革の手袋を脱ぎ捨てた騎士団長は、躊躇うことなく大股で歩み寄ると、自身が羽織っていた極厚のウール毛布をリリアナの肩へふわりと掛けた。
「雪の日の厨房は冷える。君は自分を後回しにしすぎる」
「ジークハルトさんまで……私、オーブンの前にいたから平気ですよ?」
「平気ではない。君が風邪でも引いたら、私は職務どころではなくなる」
ジークハルトは毛布越しにリリアナの華奢な背中を抱き寄せ、暖炉の火のように熱い胸板へと閉じ込めた。
鍛え上げられた身体の圧倒的な温もりが伝わり、冷気配など一瞬で吹き飛んでしまう。
「あーっ! 二人とも、僕が来る前に何イチャイチャしてるのさ!」
突風のように転移魔法で現れたカミルが、二人の隙間に無理やり割り込んできた。
寒そうに鼻の頭を赤くした金髪の青年は、リリアナの腰にすっぽりと抱きつくと、そのエプロンに頬をすり寄せる。
「お姉さん、外すっごく寒かったんだよ! 研究所から飛んできたのに凍えちゃうかと思った。僕を一番に温めて?」
「カミルさん、冷たい手でお腹に抱きつかないでください……冷たっ」
「えへへ、お姉さんの体温で溶かしてよ。……わぁ、このお菓子すっごくいい匂い! 早く僕に食べさせて!」
カミルが青い瞳を輝かせておねだりし、レオナルドとジークハルトもまた、リリアナから離れようとしないままテーブルへと着席した。
リリアナが運んだ焼き立てのショコラにスプーンを入れると、とろりと流れ出た黒い雫が、皿の上で艶やかに光る。
一口運んだ三人の表情が、申し合わせたように恍惚としたものへと変わった。
「……濃厚なカカオの深みの後に、上品な甘みと温もりが身体を満たしていく。……この甘さは、まるで君そのもののようだ」
レオナルドが銀の瞳を眇め、熱っぽい視線でリリアナを見上げる。
「美味い……。疲れた身体の隅々にまで、活力が満ちていくのがわかる。君の手料理を食べるためなら、どんな吹雪の中だって駆けつけてみせる」
ジークハルトが逞しい喉を鳴らし、真剣そのものの眼差しで誓う。
「お姉さん、僕にもう一口あーんして! ……んっ、美味しい……! ねぇ、このままお店を閉めて、四人で朝までずっと一緒にいようよ」
カミルがリリアナの膝の上に身を委ね、甘ったるい声で擦り寄ってくる。
「もう……三人とも、調子のいいことばかり言って」
呆れたように苦笑しながらも、リリアナの胸の奥はぽかぽかと温かい幸福感で満たされていた。
前世で独りきり震えていた冬の夜の記憶は、もうどこにもない。
窓の外で舞い踊る白い雪を余所に、路地裏の小さな茶房には、零れ落ちるほどの愛と甘やかな温もりが、いつまでも満ちあふれていた。




