金色の招待状と、過保護な殿方たちの夜会準備
冬の冷たい風が店先の看板をカタカタと揺らす朝、『緑の天幕亭』の丸テーブルの上には、下町の喫茶店にはおよそ似つかわしくない豪奢な品が置かれていた。
深紅の重厚な蝋で封印された、純白の上質な羊皮紙。そこに押されているのは、王家の象徴である百合と剣の紋章だった。
王室の使者が仰々しい礼とともに置いていったそれは、国中の高位貴族のみが集う『冬至祭の宮中夜会』への正式な招待状であった。
「……どうして、平民の私にこんなものが届くのかしら……」
リリアナは陶器のポットからカモミールティーを注ぎながら、途方に暮れたようにため息をついた。
監察官バルトロの一件以来、噂が王宮の奥深くまで届いたとは聞いていた。
三大巨頭を過労死寸前の限界から救い、王国の政情を安定させた功労者として、国王夫妻が直々に招きを入れたのだという。
けれど、前世で満員電車に揺られていた元オフィスワーカーにとって、夜会など絵本か歴史ドラマの中の出来事だ。
ドレスの作法も、貴族の社交も知るはずがない。
「身分違いもいいところよね……。丁重にお断りできないかしら」
困り果てて眉を下げた瞬間、カランとドアベルが鳴り響いた。
「断る必要など何一つないよ、リリアナ」
扉を押し開けて入ってきたのは、仕立ての良い濃紺のコートをまとったレオナルドだった。
銀の瞳を優しげに細め、リリアナの横に腰掛けると、躊躇うことなくその華奢な指先をすくい取って己の頬へと寄せる。
「君が気後れすることなど何もない。むしろ、招かれて名誉に思うべきは王宮のほうだ。……君の晴れ舞台のために、我が公爵家の専属仕立屋を連れてきたよ」
レオナルドが軽く指を鳴らすと、店の外に控えていた数名の仕立屋たちが、ため息の出るような美しい布地と見本帳を抱えて恭しく入ってきた。
夜空を切り取ったような深い群青のシルクや、リリアナの柔らかな髪色に映える若草色のベルベットが所狭しと広げられる。
「レ、レオさん!? 私、平民ですよ? こんな最高級の生地なんて……!」
「君の美しさに比べれば、どんな高価な絹布も色褪せて見える。
君が寒がらないよう、裏地には最高品質の白狐の毛皮を使わせよう。
……君の寸法は、私が測ってあげたいくらいだがね」
耳元に落とされた甘く熱い囁きに、リリアナの顔が一気に火照る。
だが、その空気を破るように扉が勢いよく開かれた。
「閣下、職権乱用が過ぎるぞ」
大きな身体を屈めて入ってきたジークハルトは、足音も重々しく歩み寄ると、レオナルドとリリアナの間に割って入った。
琥珀色の瞳はいつも以上に真剣で、手には真新しい羊皮紙の巻物が握られている。
「ジークハルトさんまで……! 今日はお忙しいのでは?」
「君の一大事に、職務などにかまけていられるか。
……夜会は魑魅魍魎の巣窟だ。君が無礼な輩に絡まれぬよう、当日の会場には近衛騎士団の精鋭を隙間なく配備する。もちろん、君の隣には私が常に張り付く」
「えっ、団長自らですか……?」
「当たり前だ。他の男に君の手を取らせるなど、万が一にもあってはならない」
ジークハルトは無骨な大きな手でリリアナの肩を引き寄せ、逞しい胸板へと閉じ込めるように抱き寄せた。
「ステップに不安があるなら、私が教えよう。
君の歩幅に合わせて、私がすべてリードする。
……私の足を踏んでも構わない。君に怪我さえなければ、それでいい」
不器用なほどまっすぐな情愛と熱烈な庇護欲に胸を突かれていると、不意に足元からふわりと光の粒子が舞い上がった。
「ちょっと! 二人とも、僕の出番を奪わないでよ!」
転移魔法の燐光とともに姿を現したカミルが、二人の隙間からリリアナの腰にすっぽりと抱きついてきた。
金髪を揺らし、上目遣いでリリアナを見上げながら、手にした小箱を誇らしげに掲げる。
「お姉さん、これを見て! 僕が三日三晩寝ないで作った『疲労完全無効化のガラス靴』だよ!」
「ガラスの靴……!? カミルさん、また徹夜したんですか!?」
「だって、お姉さんに一番綺麗な格好をしてほしいんだもん!
この靴ね、どんなに歩いても足が絶対に痛くならないし、姿勢を正しく保つ浮遊魔法と、寒さを完全に遮断する結界が編み込まれてるの!
それからコルセットにも息苦しさをゼロにする術式を仕込んでおいたから!」
カミルはリリアナの胸元に顔を埋め、子猫のように甘えながら擦り寄ってくる。
「だから当日は、僕と一番最初に踊ってね? ねぇ、約束してくれるまで離れないよ?」
「もう……三人とも、本当に過保護なんだから」
リリアナは困ったように息をつきながらも、カミルの柔らかな髪を撫で、ジークハルトの逞しい腕に手を添え、そしてレオナルドの熱っぽい銀の瞳を見つめ返した。
身分差の壁も、貴族社会の冷たい視線も、この三人がいれば何も恐れることはないのかもしれない。
厨房から漂う甘いハーブの香りに包まれながら、リリアナは胸いっぱいに広がる温かな覚悟とともに、金色の招待状をそっと指先でなぞるのだった。




