湯気立つ特製チャイと、甘やかな厨房の仕込み
買い出しを終えて『緑の天幕亭』の勝手口をくぐると、外の肌寒さとは打って変わった、店内に残る乾いた薪の温もりが一行を出迎えた。
「ふう、無事に戻ってこられましたね。皆さん、重い荷物を持ってくださって本当にありがとうございました」
リリアナが息をついてエプロンの紐を結び直すと、三人の男たちは競うように荷解きを始めた。
平民の小さな厨房に、国の頂点に立つ高貴な殿方がひしめき合っている光景は、いつ見ても現実離れしている。
「リリアナ、私は何をすればいい? 硬い果実を割るか、薪を割るか? 力がいることなら何でも言ってくれ」
ジークハルトが軍服の上着を脱ぎ捨て、腕まくりをした逞しい腕を見せながら、大真面目な顔で前に出る。
鍛え抜かれた前腕の筋肉と浮き出た血管が、狭い厨房の中でやけに艶めかしい。
「ではジークハルトさんには、この乾燥生姜と固いシナモンスティックをすり鉢で細かく砕いていただこうかしら。結構力が必要なんです」
「心得た。任せておけ」
無骨な巨躯を小さく丸め、乳鉢と乳棒を手にした騎士団長は、敵を討ち果たすかのような真剣な眼差しでスパイスを砕き始めた。
ゴリゴリと心地よい音が響き、あっという間に細やかな粉末へと変わっていく。
一方、レオナルドは優雅な所作で袖口のボタンを外し、白く長い指先で艶やかな紅い林檎を手に取った。
「私は果実の下ごしらえを手伝おう。……リリアナ、ナイフを貸してくれるかい」
「えっ、レオさん、危なくないですか? 刃物なんて……」
「これでも一通りの作法は身につけているよ。君に怪我をさせるくらいなら、私がすべて引き受けたい」
ふっと銀の瞳を細めて微笑むと、レオナルドは驚くほど滑らかな手つきで林檎の皮を薄く剥いてみせた。
途切れることなく螺旋状に落ちていく赤い皮に見惚れていると、レオナルドが一切れの果実をナイフの先で小さく切り分け、リリアナの唇の前へと差し出してきた。
「味見をしてくれるかい? 甘みが十分に熟しているか、君の舌で確かめてほしい」
「あ……えっと……」
至近距離で見つめられ、熱い吐息がかかる距離。
逃げ場のない甘やかな眼差しに促され、リリアナがおずおずと口を開くと、冷たく瑞々しい林檎が舌の上に乗せられた。
同時に、レオナルドの親指の腹が、濡れたリリアナの下唇をそっと拭う。
「……とても甘いね。君の唇の色のようだ」
「っ……!?」
低く囁かれた蕩けるような台詞に、リリアナの顔が一気に耳まで赤く染まった。
「あーっ! レオナルド閣下、ずるい! どさくさに紛れてお姉さんを口説かないでよ!」
すかさず割り込んできたのは、奥の作業台を陣取っていたカミルだった。
「お姉さん、見て見て! この『自動温度維持魔法陣』を描いた小鍋なら、チャイのミルクの膜が絶対に張らないし、一番スパイスの香りが引き立つ温度でずっと保温できるんだよ!」
誇らしげに青い瞳を輝かせるカミルは、リリアナが「すごいですね、天才的です!」と驚いて見せると、嬉しそうに喉を鳴らしてリリアナの背後からすっぽりと抱きついてきた。
エプロンの上から細い腰に腕を回し、リリアナのうなじに額をこすりつける。
「えへへ、褒められた。ねぇ、僕にもご褒美ちょうだい? お姉さんの手から、さっきの林檎を食べさせてほしいな」
「こら、カミル。厨房でじゃれつくのは危ないですよ」
「危なくないもん。お姉さんの匂い、甘くてすごく落ち着くんだ……ずっとこうしていたい」
甘えるカミルを優しく引き剥がそうとするが、子猫のようにしがみついて離れない。
そこへ、スパイスをすり潰し終えたジークハルトが、厳しい顔で歩み寄ってきた。
「殿下、リリアナが困っているだろう。離れなさい」
ジークハルトがカミルの襟首を軽く持ち上げて引き離すと、空いたスペースにすかさず自分の身体を滑り込ませ、リリアナを包み込むように至近距離に立った。
「リリアナ、粉末ができた。……確認してくれ」
「あ、ありがとうございます……すごく綺麗に細かくなっています!」
「そうか。……君の役に立てたなら嬉しい」
大柄な騎士が、琥珀色の瞳を優しく細めて頬を微かに染める。
そして、リリアナの髪に微かについていた小麦粉の粉を、大きな掌でそっと払った。
触れた皮膚の熱さに、リリアナの心臓がまた跳ねる。
仕込みを終えた素材を小鍋に入れ、煮立たせたミルクにスパイスと茶葉を合わせると、厨房いっぱいに甘くスパイシーな芳香が立ち込めた。
焼き上がったばかりのクランベリーと胡桃のスコーンを添えて、四人は店内の丸テーブルを囲んだ。
「いただきます」
カップから立ち上る湯気を吸い込み、一口含む。
生姜とシナモンがもたらすピリッとした刺激を、濃厚なミルクと蜂蜜のまろやかさが優しく包み込み、冷えた指先や喉の奥をじんわりと解きほぐしていく。
「……素晴らしいな。身体の奥底から強張りが消えていくのがわかる」
ジークハルトが深く息をつき、スコーンを幸せそうに頬張る。
「君の作るものは、どうしてこれほど心を凪いでくれるのだろうね。城のどんな豪勢な晩餐よりも、この一杯のほうが遥かに尊い」
レオナルドがテーブルの下でリリアナの膝の上にそっと自分の手を重ね、指を絡めて甘やかに微笑む。
「お姉さん、このお店を丸ごと王宮の中に移転しちゃおうよ。そうしたら僕たち、毎日ここでお姉さんに甘えられるのに」
カミルがリリアナの肩に寄りかかり、うっとりと目を細めた。
「もう……皆さん、本当に大袈裟なんですから」
困ったように笑いながらも、前世で抱えていた孤独や疲弊が嘘のように満たされていくのを、リリアナは実感していた。
高貴で誇り高いはずの三人の男たちが、ただ平民の自分ひとりの温もりを求め、こうして惜しみなく甘い情愛を注いでくれる。
窓の外で冷たい夕暮れの風が吹き抜ける中、『緑の天幕亭』の小さな店内は、どこまでも甘く優しい幸福の熱に包まれていた。




