冬至祭の夜と、三人が捧げる『密やかな誓い』
一年で最も夜が長く、最も寒さが極まる『冬至祭』の宵。
王都の家々の窓には、闇を払い太陽の復活を祈るための小さな蜜蝋蝋燭が灯り、静謐な祈りの空気が雪化粧の街を包んでいた。
王宮の大聖堂では国を挙げた厳粛な冬至の礼拝が行われているはずの時刻。
『緑の天幕亭』の厨房では、パチパチと薪が爆ぜる暖炉の前で、黄金色に輝く湯気が立ち上っていた。
「……うん、甘みもスパイスも完璧ね」
リリアナが柄杓でゆっくりとかき混ぜていたのは、冬至の夜に飲む伝統の祝祭茶をアレンジした『太陽の蜂蜜柑橘茶』だ。
太陽の象徴とされる大ぶりの金柑と柚子に似た香酸柑橘を薄切りにし、乾燥させたカモミール、シナモン、スターアニス、そして身体の芯を燃やすジンジャーとともに、公爵家から届いた極上の林檎酒と蜂蜜で煮詰めたものだ。
酸味とスパイスの温もりが溶け合い、一口含むだけで凍てつく冬の夜が吹き飛ぶような芳醇な香気を放っていた。
前世での冬至や年末の夜が、胸の奥をかすめる。
街中が祝祭の灯りに浮き立つ中、一人きりのオフィスの蛍光灯の下で修正データの山と格闘していた。
冷え切った自販機の缶コーヒーで悴んだ手を温め、終電間際の凍える夜道を俯いて歩きながら、「私を待つ人なんて、この世界のどこにもいない」と自分に言い聞かせていたあの孤独。
そんな記憶の影を吹き飛ばすように、カラン、とドアベルが清らかに鳴り響いた。
「ただいま、リリアナ。……寒さに震えてはいなかったかい?」
扉を開けて滑り込んできたのは、礼拝の重苦しい儀礼服を脱ぎ捨て、深い藍色のウールコートを纏ったレオナルドだった。
銀の瞳を甘く潤ませ、迷うことなくリリアナの元へ歩み寄ると、冷気を帯びた長い指先を彼女の頬へそっと滑らせて慈しむように撫でる。
「大聖堂の祈祷が終わるや否や、三人で馬を飛ばしてきた」
続いて入ってきたジークハルトが、黒革の厚手の手袋を歯で引き抜いて床に置き、リリアナを包み込むように大きな腕を回した。
鍛え抜かれた巨躯から立ち上る熱気が、リリアナの華奢な背中をすっぽりと覆う。
「神への祈りなど形式に過ぎん。私にとって、祈りを捧げるべき唯一の太陽は君だ」
「お姉さーん! 待たせてごめんね!」
青い外套を脱ぎ捨てたカミルが、子猫のようにリリアナの正面から胸元へと飛び込んできた。
「儀式の途中で僕の幻影を残して抜け出してきちゃった!
今夜は世界で一番夜が長いんだよ?
お姉さんと一秒でも長く一緒にいなきゃ、絶対に嫌だもん!」
「皆さん……本当に、抜け出してきてしまって大丈夫なのですか?」
リリアナが困ったように微笑みながらもカップにお茶を注ぐと、三人は至福のため息とともにその黄金色の雫を口にした。
「……美味いな。柑橘の酸味とスパイスの熱が、冷え切った五臓六腑に染み渡っていく」
ジークハルトが目を細めて呟く。
「君の手料理こそが、凍てつく冬の闇を照らす本物の光だね」
レオナルドが銀の瞳を細め、リリアナの空いた手を自らの胸へと引き寄せた。
「お姉さん、身体の芯までぽかぽかしてきたよ……!」
カミルがリリアナの腕にすがりつき、蕩けるような笑顔を浮かべる。
温かなお茶で喉を潤し、暖炉の火が赤々と四人を照らし出した頃、レオナルドが静かに息を吸い、二人へ目配せをした。
「リリアナ。今夜、最も深い冬の夜に、君へ渡したいものがあるんだ」
レオナルドが懐から取り出したのは、夜空を切り取ったような濃紺の小箱だった。
開かれた中に入っていたのは、白銀のプラチナに大粒の蒼玉をあしらい、公爵家の紋章とカモミールの花が精緻に彫り込まれた豪奢なブローチだった。
「これは、公爵家筆頭当主の『直属不可侵符』だ。
これを身につけている、あるいは店に掲げている限り、貴族院であれ王族であれ、君に干渉することは法的に完全に禁じられる」
レオナルドは跪き、リリアナの細い指先へ口づけを落とした。
「君を貴族社会のしがらみに縛るつもりはない。
君がこの店で、平民として笑って暮らす自由を守るための盾だ。
……私の権力のすべてを、君の自由のために捧げよう」
「私からは、これを」
ジークハルトが無骨な手で差し出したのは、黒檀の鞘に収められた、一振りの美しい短剣だった。
柄には近衛騎士団長の紋章と、リリアナの誕生花が刻まれている。
「騎士団秘蔵の守り刀だ。だが、武器として使う必要はない。
この剣を掲げれば、国中のいかなる兵も君の命に従い、君の敵を排除する。
……私の剣も、私の命も、国家ではなく君だけのものだ。一生涯、君の盾となり続けよう」
「最後は僕だよ、お姉さん!」
カミルがリリアナの首にそっと掛けたのは、星の雫を閉じ込めたように七色に淡く発光する、精霊石のペンダントだった。
触れた瞬間、リリアナの全身を柔らかな魔力のヴェールがふわりと包み込む。
「僕の魂の半分を分け与えた特製のお守りだよ! お姉さんが『助けて』って心の中で思うだけで、世界のどこにいようと僕が瞬時に迎えに行く。
それに、あらゆる病気や毒、怪我からお姉さんを守る結界がずっと張られてるの。
……僕の命ぜんぶで、お姉さんを護るからね」
三者三様の、あまりにも重く、けれどリリアナの意志と自由を何よりも尊重した『密やかな誓い』
誰かの所有物として籠に閉じ込めるためではない。
リリアナがこの小さな店で、自分の足で立ち、自分の淹れたいお茶を淹れ続けられるように――そのささやかな願いを守り抜くためだけに捧げられた、国家最高の権力と武力と魔力の結晶だった。
「皆さん……こんな、私なんかのために……」
胸がいっぱいになり、リリアナの瞳から大粒の涙がぽろぽろと零れ落ちた。
前世で、誰も守ってくれず、使い潰される恐怖に怯えながら凍えていたあの孤独な日々の記憶。
それが今、世界で最も気高い三人の男たちによる、あまりにも惜しみない無条件の愛によって、完全に、完璧に拭い去られていく。
「泣かないでおくれ、私の愛しい人」
レオナルドが立ち上がり、リリアナの涙を長い指先で優しく拭った。
「君が泣く姿は見たくない。……これからは、嬉し涙だけを流してくれ」
ジークハルトが逞しい両腕でリリアナの身体をすっぽりと抱き寄せ、その髪に熱い唇を埋める。
「お姉さん、だーいすき! ずっとずっと、僕たち四人で一緒に生きていこうね!」
カミルが二人の隙間からリリアナの腰にぎゅっと抱きつき、満面の笑みで見上げてくる。
暖炉の火がパチパチと爆ぜ、冬至の夜風が窓を揺らす。
けれど、この小さな店の中に広がるあたたかな光は、どんな冷酷な冬の闇も決して届かない、永遠の聖域となっていた。
三人の熱い体温と誓いの重みに抱かれながら、リリアナは胸の奥底から湧き上がる至福の安らぎに身を委ね、甘く蕩けるような夜の静寂へと溶け込んでいくのだった。




