木枯らしの朝と、三人の完璧すぎる防寒作戦
秋の深まりとともに、王都の空は抜けるような群青へと色を深め、街路樹の黄金色の葉が乾いた音を立てて石畳を舞っていた。
早朝の路地裏にはピリリと身を切るような木枯らしが吹き抜け、吐く息の白さに季節の歩みの早さを実感させられる。
『緑の天幕亭』の厨房で、リリアナは両手に息を吹きかけ、指先を擦り合わせながら大鍋の様子を見守っていた。
「少し冷え込んできたわね……。今日のお客さまには、芯から温まるものをお出ししないと」
今朝仕込んでいるのは、近郊の農村から届いた大ぶりの完熟南瓜と、香ばしく蒸し焼きにした渋皮栗を贅沢に使った『南瓜とほっくり栗の濃厚ハーブポタージュ』だ。
甘みの凝縮した南瓜の果肉を裏ごしし、鶏ガラと香味野菜のブイヨン、そして新鮮なミルクと発酵バターで優しく伸ばしていく。
そこに加えるのは、血行を促進し胃腸を温めるナツメグと生姜の絞り汁、そしてほんのり甘い芳香を添えるフェンネルシード。
コトコトと弱火で煮込むにつれ、ぽってりとした黄金色のスープから、思わず頬が緩むような甘く濃厚な湯気が立ち上っていた。
前世での晩秋の朝を思い出す。
足元からシンシンと這い上がってくるオフィスの底冷えに震え、タイツを二枚重ねにし、デスクの下で小さなパネルヒーターにしがみついていた日々。
指先が悴んでキーボードがうまく叩けず、冷えからくる頭痛と肩こりに耐えながら、「寒い、早く春にならないかな」と孤独に丸まっていたあの頃。
(あの頃の私に、こんな風に暖かな厨房で、誰かのために火を焚ける今の生活を見せてあげられたら……)
リリアナがそっと微笑んだ、まさにその時だった。
ガタガタと、店の裏口から異様な物音が響き、扉が勢いよく開け放たれた。
「リリアナ! 部屋の温度は何度だ!?」
飛び込んできたのは、分厚い黒毛皮の襟巻きを羽織ったジークハルトだった。
その背後には、彼が片手で軽々と担いできた山のような荷物が控えている。
近衛騎士団が北方遠征で用いる最高等級の薪――パチパチと火の粉が爆ぜず、長時間極上の遠赤外線を放つ白樺の炭薪が、麻袋ごとドスンと床に下ろされた。
「ジ、ジークハルトさん!? 朝からそんな大荷物を……」
「今朝は初霜が降りるほどの冷え込みだ。君は昔から寒さに弱いと言っていたではないか。
厨房の底冷えで君の足先が凍えてしまう前に、暖炉の火力を底上げしに来たのだ」
ジークハルトは荒い息を吐きながらリリアナの手を迷わず両手で包み込んだ。
「……やはり少し冷たい。こんな細い手で冷水に触れるなど、私が許さん」
「ジークハルト、力任せに薪を焚くなど芸がないよ」
続いて表の扉から優雅に入ってきたのは、仕立ての良い深紅のベルベットコートを纏ったレオナルドだった。
背後には公爵家の使用人たちが控え、抱えきれないほどの荷物を店内に運び込んでいる。
「下町特有の隙間風を遮断するための厚手のドレープカーテンと、羊毛を極限まで高密度で織り上げた防寒絨毯だ。厨房の床一面に敷き詰めさせてもらおう。それから――」
レオナルドは銀の瞳を甘く細めると、リリアナの肩にふわりと何かを掛けた。
それは、綿毛のように信じられないほど軽やかで、触れた瞬間からじんわりと熱を帯びる、純白のカシミアの大判ショールだった。
「君の柔らかな肌を木枯らしに晒させるわけにはいかないからね。……私の留守中も、私の腕の代わりに君を温めてくれるはずだ」
「二人とも、遅い遅い! 僕の出番を奪わないでよ!」
青い光の渦とともに、カミルが店の真ん中へと派手に転移してきた。
両腕に抱えられているのは、金色の魔導文字がびっしりと刻まれた、硝子細工のような美しい円筒形の器具だった。
「見て、お姉さん! 昨夜徹夜して作った、新型の『温熱循環魔導ヒーター』だよ! 火も煙も出ないで、部屋の隅々まで日だまりみたいなあったかい空気で満たしてくれるの! しかもね、お姉さんの周りだけ自動でプラス二度にしてくれる追尾機能つきなんだから!」
「ま、魔導の最新鋭を個人の喫茶店に持ち込まないでください……!」
三者三様の度を越した過保護ぶりに、リリアナは目を丸くして呆気にとられてしまった。
だが、彼らが額に滲ませているのは、冷たい風の中をリリアナのためだけに駆けつけてくれた証である熱気だった。
「皆さん……本当にありがとうございます。でも、そんなに大騒ぎしなくても、私ならこのスープで身体を温めていましたよ」
リリアナが苦笑しながら厨房の大鍋を指差すと、三人の鼻腔を、甘く香ばしい秋の香りがくすぐった。
「……南瓜と栗のポタージュか。なんて罪深いほど温かな匂いなのだ」
ジークハルトが喉を鳴らし、琥珀色の瞳を熱く揺らす。
「朝の冷気で凍てついていた身体が、香りだけで解きほぐされていくようだね」
レオナルドがショールの端を整えながら、リリアナの耳元に吐息を落とす。
「お姉さん、僕お腹ぺこぺこ! 徹夜で頑張ったから、一番に食べさせて!」
カミルがリリアナの腰にすがりつき、胸元にすりすりと額を押し付けてきた。
「ふふ、はい。皆さん席についてくださいね」
四人で囲んだ丸テーブルの中央に、深皿にたっぷりと注がれた黄金色のポタージュと、焼きたての香草パンが並べられた。
カミルの魔導ヒーターが足元からポカポカと柔らかな陽だまりを作り、レオナルドが持参した絨毯が床の冷気を完全に遮断し、ジークハルトが焚いた暖炉からは心地よい薪の爆ぜる音が響いている。
スプーンを口に運んだ瞬間、三人の表情が一斉に蕩けるような至福に緩んだ。
ぽってりとした南瓜の濃厚な甘みと、栗のホクホクとした素朴な滋味。
そこにナツメグと生姜のピリッとしたアクセントが加わり、一口ごとに胃の腑から全身の毛細血管へと、温かな血が巡っていくのが分かる。
「……美味い。身体の芯に、じんわりと温かな命が満ちていくようだ」
ジークハルトが深く息をつき、リリアナを見つめた。
「君の手料理は、どんな高価な防寒具よりも確実に、私の魂を温めてくれるよ」
レオナルドが銀の瞳を潤ませ、テーブルの下でリリアナの柔らかな手を優しく握り締めた。
「お姉さんのスープ、世界で一番あったかい……! 僕、もう一生このお店から出たくない!」
カミルが幸せそうに頬を緩め、リリアナの肩に頭を預けてくる。
木枯らしの吹き荒れる外の世界とは隔絶された、小さな店内の満ち足りた温もり。
前世で、寒さに震えながら誰にも頼れず、一人きりで悴む指先を温めていた記憶。
あの孤独な寒さは、もうどこにもない。
この世界の頂点に立つ男たちが、一歩一歩の冷たさから自分を守るために全力を尽くし、こうして一つの食卓を囲んで笑い合ってくれている。
「リリアナ」
レオナルドがリリアナの手を引き寄せ、その甲へと甘く熱い口づけを落とした。
「冬が近づいてくるね。だが、恐れることは何もない。君を凍えさせるいかなる寒さも、私たちが決して寄せ付けないから」
「君の傍には、常に私がいる。君が寒いと言えば、この胸の中で一晩中抱きしめて温めてやろう」
ジークハルトが低く力強い声で誓う。
「僕だって、ずっとお姉さんにくっついて湯たんぽになってあげるんだから!」
カミルが無邪気な、けれど確固たる熱を宿した瞳で見上げてくる。
窓の外を揺らす木枯らしの音を聞きながら、リリアナは胸いっぱいに広がる幸福感に目を細めた。
愛しい殿方たちに包まれて、これから訪れるどんなに冷たい冬も、きっとこの場所なら世界で一番あたたかい季節になる――そう確信しながら、リリアナは満面の笑みで頷き返すのだった。




