殿方たちの過保護な看護と、甘やかされる店主
膝から力が抜け、床の冷たい石畳が迫った瞬間、リリアナの身体はふわりと宙で受け止められていた。
「リリアナ――!」
低く焦燥に満ちた声とともに、彼女を抱き上げたのはジークハルトだった。
歴戦の豪傑が戦場で矢を受けた時ですら浮かべないような、蒼白な顔。
その逞しい腕は、まるで砕けやすいガラス細工を扱うかのように、痛々しいほど慎重にリリアナを抱きすくめていた。
「リリアナ!? 息はあるか、返事をしてくれ!」
「お姉さん! 嘘でしょ、お姉さん……っ!」
レオナルドが手袋を引きちぎるように脱ぎ捨てて駆け寄り、震える指先でリリアナの脈と額の熱を確かめる。
背後からはカミルが半泣きで駆け寄り、今にも空間ごと凍結させかねない勢いで魔力を乱反射させていた。
「だ、大丈夫です……皆さん……。ただ、少しだけ足に力が入らなくなってしまって……」
消え入りそうな声で微笑んでみせたものの、リリアナの視界はかすみ、指先一本持ち上げる気力も残っていなかった。
酷暑の中、灼熱の大鍋の前で何百人分もの補水液と薬膳スープを仕込み、配り続けたのだ。
緊張の糸が切れた途端、前世の徹夜明けのような全身の重怠さが鉛のように圧し掛かってきたのである。
「大丈夫なわけがあるか。顔色が紙のように白い」
ジークハルトは低く呻くと、リリアナを両腕に抱き抱えたまま、迷いのない足取りで二階への階段を駆け上がった。
「今日はもう指一本動かすな。すべて私たちの言う通りにしてもらう」
二階の簡素な私室へ連れて行かれ、ふかふかの羽毛布団の上へとそっと横たえられる。
横になった瞬間、リリアナの全身からふうっと長い息が漏れた。重力に引かれるまま沈み込んでいく感覚が、たまらなく心地よい。
だが、部屋に駆け込んできた殿方たちの過保護な看病劇は、そこからが本番だった。
「お姉さん、身体が熱を持ってる! 今すぐ冷やしてあげるからね!」
カミルが素早く指先を振ると、部屋の淀んだ空気が一瞬にして高原の朝のような澄んだ冷気に包まれた。
カミルは氷魔法で冷たく湿らせた手ぬぐいをリリアナの額と首筋にそっと乗せると、そのまま寝台の縁に身を乗り出し、リリアナの片手を両手でぎゅっと握りしめた。
「駄目だよ、こんなになるまで無理しちゃ……! 僕がもっと早くお店を手伝っていればよかったのに……!」
「自分を責めるな、カミル。責められるべきは、彼女の献身に甘えて止めるのが遅れた私だ」
濃紺の上着を脱ぎ捨て、腕まくりをしたレオナルドが、洗面器と乾いた布を手に歩み寄ってきた。
銀の瞳には、愛しい者を追い詰めてしまったことへの深い悔恨と、底知れぬ熱が宿っている。
そして、寝台の足元にドスンと膝をついたのはジークハルトだった。
大柄な騎士団長は、無言のままリリアナの靴紐を丁寧にほどき、履き古した革靴を脱がせた。
丸一日立ち通しだったリリアナの足は、赤く鬱血し、痛々しいほどパンパンに浮腫んでいた。
「あ、あの……ジークハルトさん!? めっそうもありません、騎士団長様に足を触らせるなんて……!」
「動くな」
ジークハルトの太い手が、リリアナの足首を優しく、けれど絶対に逃がさない力配分で掴んだ。
「君が下町の民を救うために削り落とした足だ。これを労わること以上に崇高な役目など、今の私にはない」
ジークハルトは懐から小さな壺を取り出した。
騎士団秘伝の、筋肉の疲労と鬱血を散らすハーブオイル――ローズマリーとアルニカの香油だ。
オイルを手になじませた大きな掌が、リリアナの足裏、かかと、そしてふくらはぎへと滑り込む。
タコだらけの無骨な指先が、凝り固まった筋をぐっと押し流すたび、リリアナの喉から小さく切ない吐息が漏れた。
「んっ……ぁ……」
「痛むか? ……力を緩めよう」
「痛いんじゃなくて……あまりに気持ちよくて、力が抜けちゃって……」
恥ずかしさにシーツを握りしめて顔を伏せるリリアナを見て、ジークハルトの琥珀色の瞳が熱っぽく細められた。
「いくらでも声を漏らせばいい。君の疲れがすべて私の手のひらに移るまで、一晩中揉みほぐしてやる」
足先からじんわりと血が巡り、全身の強張りが解けていく中、今度はレオナルドが湯気を立てる木製の深皿を盆に乗せて戻ってきた。
厨房に残っていた鶏の出汁に、柔らかく炊いた白米とすりおろした生姜、そして刻んだカモミールを合わせた特製の滋養粥だった。
「さあ、リリアナ。一口だけでも腹に入れなさい」
レオナルドは寝台の脇に腰を下ろすと、木のスプーンでお粥をすくい、息を吹きかけて冷ました。
そして、リリアナの唇の前へと運ぶ。
「レオさん……自分で持てますから……」
「許さないよ。今の君にスプーンの重みすら背負わせるつもりはない」
銀の瞳を妖しく細め、レオナルドは囁いた。
「ほら、口を開けて。……それとも、私の口から直接移してほしいかい?」
「た、食べます! いただきます!」
真っ赤になって口を開けると、優しく温かな粥が舌の上でとろけた。
鶏の旨味と生姜の香りが、空っぽだった胃の腑をじんわりと温めていく。
スプーンを口に運ばれるたび、レオナルドの指先がリリアナの口元を布で丁寧に拭い、愛おしそうに頬を撫でる。
「美味いかい?」
「はい……とっても温かいです」
「よかった。君が元気になるなら、私は宮廷の料理長を呼んででも何でも作らせるよ」
粥を平らげ、すっかりお腹が温まった頃には、外の路地裏はすっかり深い夜の闇に沈んでいた。
リリアナの瞼は、温もりと満腹感、そしてマッサージの心地よさで、鉛のように重たくなっていた。
「あの……皆さん、もう夜も遅いですから、お屋敷やお城にお戻りにならないと……」
微睡みの中でそう告げると、三人は申し合わせたように首を横に振った。
「帰るはずがないだろう。今夜の君を一人にするなど、万が一にもあり得ない」
レオナルドがリリアナの枕元に腰掛け、その柔らかな髪を指先ですくって梳かす。
「私は部屋の扉の前で不寝番に就く。……君の寝息が聞こえる場所にいさせてくれ」
ジークハルトが床に胡座をかき、満足そうにリリアナの足元を見守っている。
「僕はここ! お姉さんの隣で一緒に寝るの!」
カミルが靴を脱ぎ捨ててベッドの空いたスペースへ滑り込み、リリアナの腰にすっぽりと抱きついてきた。
前世では、過労で倒れても誰も看病などしてくれなかった。
一人きりの冷たいワンルームで、天井の染みを見つめながら、「明日会社に行けなかったらどうしよう」と怯えていただけの人生。
それが今、この国の頂点に立つ殿方たちが、平民の小さな寝室に集い、ただ自分ひとりを甘やかすためだけに夜を明かそうとしている。
「……皆さん、本当に過保護なんだから」
リリアナが幸せなため息とともに微笑むと、カミルが胸元にすり寄り、ジークハルトが毛布をかけ直し、レオナルドが額へと甘く深い口づけを落とした。
三者三様の熱い体温と、惜しみない情愛に包まれながら、リリアナは胸いっぱいに広がる幸福感の中で、深く、深く穏やかな眠りへと落ちていった。




