初夏の冷たいミントティーと、避暑の誘い
春の柔らかな日差しは日ごとに強さを増し、王都の石畳には初夏の陽炎が揺らめき始めていた。
湿気を含んだ熱気が路地裏に滞留し、行き交う下町の人々も額に汗を滲ませて足早に日陰を探すような季節。
『緑の天幕亭』の厨房では、氷のぶつかり合う涼やかな音がカランと響いていた。
「よし、冷え加減もちょうどいいわね」
リリアナはガラスのピッチャーを掲げ、透き通るような淡いエメラルドグリーンの液体を満足げに見つめた。
夏の訪れとともに開発した新作、『冷製スペアミントとレモンのシロップティー』だ。
朝摘みの清涼感あふれるミントに、乾燥させたペパーミントとレモングラスを合わせ、じっくり煮詰めた自家製ライムシロップを溶かし込んである。
氷を入れたグラスに注ぐと、弾ける炭酸水のような爽快な芳香がふわりと立ち上った。
日中の営業では、暑気あたりに苦しむ職人や買い出し帰りの主婦たちに大好評で、飛ぶように売れた。
だが、忙しなく仕込みと接客を続けた代償として、リリアナ自身の体力もじわじわと削られていた。
前世の夏、オフィス内の強烈な冷房と外の猛暑の寒暖差で自律神経をやられ、夏バテで食欲を失いながら栄養ドリンクを流し込んでいた記憶がよぎる。
(……人の身体の心配ばかりして、自分のケアを疎かにするのは私の悪い癖ね)
リリアナは小さく息をつき、額に張り付いた髪を指先で払いながら、カウンターの丸椅子に腰掛けた。
少しだけ目眩がして目を閉じた、まさにその時だった。
カラン、とドアベルが静かに鳴り、続いて冷気をまとった長身の影が店内に滑り込んできた。
「リリアナ、少し顔色が優れないようだが」
低く凛とした声に目を開けると、そこには仕立ての良い白麻のシャツに濃紺のベストを纏ったレオナルドが立っていた。
銀の瞳は鋭くリリアナの顔を捉え、一切の猶予もなく歩み寄ると、手袋を外した長い指先で彼女の額にそっと触れてきた。
「熱はないようだが……肌が冷たいな。疲労が溜まっているのではないかい?」
「レオさん……。大丈夫です、少し暑さに身体が慣れていなくて、一息ついていただけですから」
微笑んでみせるリリアナだったが、店の裏口が勢いよく開け放たれ、重い足音が響いた。
「大丈夫なわけがあるか」
腕まくりをした黒い隊服姿のジークハルトが、厳しい表情で大股に入ってきた。
首筋に汗を光らせながらも、その琥珀色の瞳はリリアナを痛ましいほど案じている。
「この蒸し暑い中、火の前に立ち続けていたのだろう。君はいつも限界まで我慢してしまう」
ジークハルトはリリアナの横に膝をつくと、無骨な大きな掌で彼女の小さな手を包み込んだ。
「呼吸が浅い。これ以上、君をこの酷暑の下町に置いてはおけん」
「ちょっと待って! 僕が一番に涼しくしてあげる!」
ふわりと舞い散る青い光とともに、転移してきたカミルがリリアナの背中に抱きついてきた。
金髪を揺らしながら、リリアナの首筋に冷やりとした氷結魔法の微風をそっと当ててくる。
「お姉さん、可哀想に……! ほら、僕の特製ひんやり結界だよ。ずっと僕が抱っこして冷やしてあげるからね!」
三者三様の過保護な包囲網に、リリアナは困ったように眉を下げた。
「皆さん、本当に平気ですから……。あ、ちょうど冷たいミントティーを作ったところなんです。皆さんにも一杯いかがですか?」
リリアナが立ち上がろうとした瞬間、レオナルドの腕がそれを制し、優しく肩を抱いて椅子へと座り直させた。
「君が動く必要はないよ。……私が淹れよう」
筆頭宰相自らがトレイを持ち、手際よくグラスに氷とお茶を注いで運んでくる。
四人でグラスを傾けると、ミントの鮮烈な爽やかさとシロップの優しい甘みが喉を滑り落ち、初夏の熱気を一瞬で吹き飛ばしていった。
「……素晴らしい清涼感だ。君の工夫にはいつも驚かされる」
レオナルドはグラスを置くと、真剣な眼差しでリリアナを見つめた。
「だが、やはりこの王都の夏を君一人で乗り切らせるわけにはいかない。リリアナ、私の湖畔の別荘へ行かないかい?」
「えっ……別荘、ですか?」
「ああ。王都の北、ルミナス湖のほとりにある我が公爵家の避暑地だ。
標高が高く、夏でも涼風が吹き抜ける美しい場所だよ。
広大な薬草園もあるし、君がのんびりと休養するには最高の環境だ」
レオナルドの提案に、ジークハルトが間髪を入れずに身を乗り出した。
「名案だ。湖畔であれば空気も清涼で、疲れた身体を癒やすにはうってつけだ。
……当然、道中の警護と滞在中の身辺警護は私が務める。休暇の申請は今朝すでに済ませてある」
「ずるい! 僕も絶対行くんだから!」
カミルがリリアナの膝の上に身を乗り出し、青い瞳を潤ませて訴えかける。
「僕の魔導研究室の出張所も別荘に置くし、湖で遊ぶためのボートだって僕が魔法で作ってあげる! お姉さんと一緒に涼しいところでバカンスするの!」
「で、でも……お店を何日も閉めるわけにはいきませんし、私なんかが公爵家の別荘だなんて……」
戸惑うリリアナの言葉を、レオナルドが甘く艶やかな微笑みで遮った。
彼はリリアナの指先をそっと引き寄せ、唇を落としながら囁く。
「店の留守番なら、近衛騎士団の非番の者たちと、我が家の信頼できる使用人を配置して万全の警備を敷かせる。
常連たちにも『店主の休養のため』と知らせれば、誰一人文句など言わないよ。……君が倒れてしまうことこそ、私たちにとって最大の損失なのだから」
「君が健やかで笑っていてくれること以上に大切なものなど、この世にない」
ジークハルトが逞しい腕でリリアナの肩を抱き寄せ、力強く頷く。
「お姉さん、一緒に行こう? ね? 僕たち全員で、お姉さんをお姫様みたいに甘やかしてあげるから!」
カミルが胸元に擦り寄り、子猫のように甘えた声を上げる。
かつて、熱中症になりかけながらも「有休を取るなんて言い出せない」と無理をして出社し続けていた前世の記憶。
それに引き換え、今目の前にいる男たちは、国を動かす自らの権力と時間をすべて投げ打って、一介の平民である自分ひとりの休息のために動いてくれているのだ。
「……ふふ。分かりました。そこまで言ってくださるなら、お言葉に甘えさせていただきますね」
リリアナが柔らかく微笑むと、三人の男たちの顔が一気に至福の歓喜で輝いた。
グラスの中でカラリと鳴る氷の音。
初夏の風が吹き抜ける路地裏の店内で、四人の甘く贅沢な避暑の旅路路程が、穏やかに動き出そうとしていた。




