異国の茶葉と、三者三様の特製ブレンド
皇国の使節団長ヴォルフガング卿との和平通商条約が無事に調印された数日後、『緑の天幕亭』の裏口に、皇国の紋章が焼き印された豪奢な白檀の木箱が届けられた。
送り状には、老外交官の直筆で「命の恩人たる美しき店主へ、心からの感謝を込めて」と記されていた。
蓋を開けると、ふわっと立ち上ったのは、王国内では決して手に入らない東方の幻の茶葉の香りだった。
銀の産毛をまとった針のような最高級の白茶に、花のような芳香を放つ半発酵茶、そして極東の山深くでしか採れないという滋養豊かな野草茶の数々。
「……こんなに貴重なものをいただいてしまうなんて」
リリアナは目を丸くしながらも、その極上の素材を前に職人としての探求心をくすぐられていた。
前世の過酷なオフィス街では、激務に追われる同僚たちにそれぞれ違うサプリやハーブティーを差し入れていたものだ。
頭痛持ちの上司には鎮静を、冷え性の後輩には血行促進を、徹夜明けのエンジニアには糖分と滋養を。
(これだけ上質な茶葉があるなら、いつも私を守ってくれるあの人たちのために、特別なブレンドを作ってみようかしら)
リリアナは腕まくりをすると、天秤と乳鉢を並べ、三人の顔を思い浮かべながら調合を始めた。
筆頭宰相レオナルドには、過熱した頭脳を冷まし、穏やかな眠りへと誘うブレンド。
繊細な白茶の甘みを土台に、乾燥させた薄紫のラベンダーと、緊張を解くオレンジフラワーをほんの少し。
近衛騎士団長ジークハルトには、過酷な鍛錬と任務で強張った肉体を解きほぐすブレンド。
香ばしい東方の野草茶に、血行を促進する生姜とシナモン、そして疲労を吹き飛ばす甘酸っぱいハイビスカスを合わせた。
そして王弟カミルには、魔力の酷使で糖分と神経をすり減らす彼のためのブレンド。
華やかな香りの半発酵茶に、甘いバニラビーンズと乾燥林檎、そして脳の疲れを癒やすカモミールと蜂蜜パウダーを贅沢に重ねた。
ブレンドが仕上がったちょうどその時、カランとドアベルが鳴り、いつもの三人が揃って姿を現した。
「いい香りが通りまで漂っていたよ、リリアナ」
公爵服の襟元を緩めたレオナルドが、柔らかな銀の瞳を細めて入ってくる。
「見回りを終えた。……何か、新しい茶の仕込みか?」
ジークハルトが革の手袋を外しながら、逞しい身体を屈めて扉をくぐる。
「お姉さーん! 今日も会いに来ちゃった! 早く僕をぎゅってして!」
カミルが一番に駆け寄り、リリアナの腰にすっぽりと抱きついてきた。
「ふふ、皆さんいらっしゃい。ちょうど良いところに来てくださいました。実は皆さんのお身体に合わせて、特別なブレンドティーを作ってみたんです」
三つの異なるポットから、それぞれのお茶が陶器のカップへと注がれた。
レオナルドの前には、月光のように透き通った淡い黄金色のお茶。
一口含んだ瞬間、公爵の整った眉が驚きに跳ね上がった。
「……素晴らしいな。東方の高貴な白茶のまろやかさに、ラベンダーの清涼感が絶妙に重なっている。
頭の芯を圧迫していた重圧が、すっと霧のように晴れていくようだ」
レオナルドは銀の瞳を熱く濡らすと、リリアナの空いた手首をそっと引き寄せ、その指先に深い口づけを落とした。
「私の激務の性質を、ここまで理解して調合してくれたのか。……君の愛が、身体の隅々にまで染み渡るよ」
「閣下、人前で口づけなど慎みなさい」
ジークハルトが咎めるように割って入りつつ、自らの前に置かれた深紅のお茶を煽るように口にした。途端に、屈強な騎士の喉が大きく鳴る。
「……美味い! 生姜の刺激と果実の酸味が、筋肉の奥底にある強張りを一気に解いていくのがわかる。身体の芯から滾るような熱が湧いてくるようだ」
ジークハルトは感動に琥珀色の瞳を揺らすと、大きな手でリリアナの肩を抱き寄せ、広い胸板へと閉じ込めた。
「私の身体のことを、これほど気遣ってくれたのか。……リリアナ、私は生涯をかけてこの身体を君に捧げよう。君を守るためだけに、この力を使う」
「ちょっと、二人とも抜け駆けばっかりずるい!」
カミルが二人の隙間に無理やり割り込み、自らのカップを両手で包んで一口啜った。
甘く華やかな湯気を吸い込んだ瞬間、青い瞳が星のように輝く。
「んん~っ! すっごく甘くていい匂い! 頭がぽわぽわして、魔力の疲れが全部溶けちゃいそう……! お姉さん、僕の好みを完璧に分かってくれてる!」
カミルはリリアナの胸元に顔を埋め、子猫のように喉を鳴らしながら甘えた声を出した。
「ねぇ、このお茶、僕に毎日飲ませてよ。僕の研究室でお姉さんが直接淹れてくれるなら、どんな大魔導具だって君のために作ってあげる!」
「もう……三人とも、喜んでいただけて何よりですけれど、少し落ち着いてくださいな」
三者三様の熱烈な抱擁と甘い独占欲に包み込まれ、リリアナの頬は真っ赤に染まり上がった。
前世では、誰かに尽くしても「当たり前」と切り捨てられ、使い潰されるだけだった。
けれど今、目の前にいる尊い男たちは、自分が心を込めて調合した一杯のお茶に心底救われ、その何倍もの情愛と温もりを惜しみなく返してくれるのだ。
湯気立つ三つのカップと、路地裏の小さな喫茶室。
初夏の爽やかな風が吹き抜ける中、四人の穏やかでどこまでも甘い時間は、いつまでも尽きることなく続いていた。




