騎士団の特別演習と、手作りのお弁当
春の陽光が白銀の訓練場を照らし、砂煙とともに乾いた木剣の打ち合う音が響き渡っていた。
王都の防衛を担う近衛騎士団の春季特別演習。
連日にわたる過酷な鍛錬に、百戦錬磨の猛者たちであっても肩で息をし、全身を汗で光らせている。
そんな男たちの熱気と砂埃が渦巻く演習場の一角へ、リリアナは大きな二つの編み籠を抱えて足を踏み入れた。
事の発端は数日前、店を訪れたジークハルトが「隊員たちが連日の猛訓練で疲弊し、食欲を落としている。
何か活力が湧くようなものを届けてもらえないだろうか」と、珍しく申し訳なさそうに頼んできたことだった。
前世で、過密な繁忙期に食事も喉を通らず栄養失調になりかけていた同僚たちの姿が重なり、リリアナは二つ返事で引き受けたのだ。
用意したのは、片手でも手軽に食べられる滋養たっぷりの軽食だった。
香ばしく焼き目をつけたライ麦パンに、スタミナを補う特製ダレに漬け込んだ豚肉の香草焼きと、疲労回復を促す酢漬けの紫キャベツを挟んだ具だくさんのサンドイッチ。
さらには、ミネラルを補う岩塩と乾燥ハーブをまぶした一口大のベイクドポテト。
合わせる飲み物には、レモンとミント、そして少量の蜂蜜を湧き水に溶かした清涼感あふれるハーブウォーター樽を用意していた。
「あ、あの……ジークハルトさんはいらっしゃいますでしょうか?」
控えめに声をかけた瞬間、休憩中だった騎士たちの視線が一斉にリリアナへと突き刺さった。
粗野な訓練場には到底似つかわしくない、若草色の清潔なワンピースにエプロンを纏った可憐な女性。
そして何より、籠の隙間から漂ってくる香ばしい肉の匂いと爽やかなハーブの芳香。
「お、おい……あんな別嬪さんがどうしてここに……」
「しかも、めちゃくちゃ美味そうな匂いがするぞ!」
「もしや、俺たちへの差し入れか!?」
飢えた狼のように目を輝かせた屈強な大男たちが、どよめきとともにじりじりとリリアナを取り囲もうと詰め寄ってきた。
その威圧感にリリアナが思わず一歩後ずさった、まさにその刹那だった。
ドォン! と空気を引き裂くような轟音が轟いた。
「――我が軍の兵士ともあろう者が、誰に無礼な眼差しを向けている」
地を揺るがすような低く凄絶な声とともに、砂煙を割って現れたのは、上半身に革の胸当て一枚だけを纏ったジークハルトだった。
汗に濡れた灰褐色の短髪、隆起した分厚い胸板と浮き出た血管。
手にした大剣の切っ先を地面に突き立てた姿は、まさに戦場を統べる孤高の猛獣そのものだった。
その琥珀色の瞳には、部下たちを瞬時に竦み上がらせるほどの苛烈な殺気が宿っている。
「ひっ……だ、団長閣下!」
「貴様ら、規律はどうした。……私のリリアナに一歩でも近づく者がいれば、今日の模擬戦の相手を全員分引き受けてやるぞ」
「私のリリアナ」と平然と言い放った団長の言葉に、隊員たちは青ざめて一斉に三歩飛び退いた。
ジークハルトは目にも留まらぬ速さで大剣を鞘に収めると、リリアナの前へと歩み寄った。
そして周囲の目も憚らず、彼女の両肩を大きな掌ですっぽりと包み込み、自分の逞しい胸板の奥へと閉じ込めるように抱き寄せたのだ。
「リリアナ、怖がらせてすまなかった。怪我はないか? 奴らの誰かに触れられはしなかったか?」
「だ、大丈夫ですジークハルトさん! 皆さん、お腹が空いていただけですから!」
先ほどまでの鬼神のような形相はどこへやら、眉根を寄せて必死にリリアナの無事を確かめるジークハルトの姿に、周囲の騎士たちは目を丸くして口をあんぐりと開けている。
あの鉄血の団長が、これほどまでに一人の女性に骨抜きにされているなど、夢にも思わなかったのだろう。
「差し入れは隊員たちで分けてもらうよう、副団長に預けよう。……君の特別な手料理は、私がすべて独占する」
ジークハルトは重い籠を片手で軽々と持ち上げると、リリアナの細い腰をしっかりと抱いたまま、自分専用の指揮天幕の中へと彼女を連れ去ってしまった。
天幕の中に入ると、ジークハルトは天幕の入り口を固く閉ざし、ようやく張り詰めていた肩の力を抜いた。
長椅子にリリアナを座らせると、自分はその足元に膝をつき、リリアナの膝の上にそっと額を預けてきた。
「……周囲の男どもが君に群がった瞬間、頭に血が上ってどうにかなりそうだった」
「ジークハルトさん……?」
「君の笑顔も、その手作りの温もりも、本当は誰にも見せたくない。私だけのものにしてしまいたいと、浅ましい独占欲ばかりが胸を焼く……」
低く掠れた声で告白する大柄な騎士は、まるで迷子の子供のようにリリアナの腰に逞しい腕を回し、ぎゅっと抱きしめてくる。
鍛え抜かれた身体から発せられる熱気と、男らしい汗の匂い、そして剥き出しの情愛。
触れ合う場所から火がつきそうになるほど熱い。
「ふふ、でもジークハルトさんのために、一番具だくさんのお弁当を別に作ってきたんですよ」
リリアナが小さな木箱を開けると、そこには彼の大好物である分厚い豚肉の香草焼きと、蜂蜜レモンに漬けた焼きリンゴがぎっしりと詰まっていた。
ジークハルトの瞳が、驚きと愛しさに大きく見開かれる。
「あーん、ってして差し上げましょうか? 腕がお疲れでしょう」
リリアナが微笑んでサンドイッチを口元へ運ぶと、ジークハルトの屈強な頬が一気に赤く染まった。
けれど拒むことなく、素直に口を開けて大きな一口を頬張る。
「……美味い。死ぬほど美味い……」
口いっぱいに広がる香ばしさとハーブの爽やかさに、歴戦の男の頬が蕩けるように緩んでいく。
ジークハルトはリリアナの手をそっと取り、パンくずのついた彼女の指先に、誓いを立てるように熱い口づけを落とした。
「君の手料理があるなら、私はどんな敵にも負けない。……生涯、君だけの番として、君を守り抜く」
砂煙舞う訓練場の奥、二人きりの天幕の中で、不器用な騎士団長からの底なしの愛と温もりに包まれながら、リリアナは胸いっぱいの幸福を噛み締めるのだった。




