嫉妬する令嬢たちと、冷徹な筆頭公爵
摘んできたばかりの野生のカモミールとミントの葉を木皿に広げ、春の柔らかな日差しの中で丁寧に選別していた、昼前のことだった。
青々とした若草の香りが店内に満ち、穏やかな時間が流れていた『緑の天幕亭』の静寂が、突如としてけたたましいドアベルの音によって破られた。
カランカラン、バタン!
乱暴に押し開かれた扉から漂ってきたのは、むせ返るような薔薇の香水の匂いだった。
現れたのは、豪奢なフリルとレースをふんだんにあしらった極彩色のドレスに身を包んだ三人の貴族令嬢たちと、背後に控える屈強な従者たち。
先頭に立つ金髪を縦巻きに結った女性は、王都でも指折りの権勢を誇る侯爵家の令嬢だった。
彼女は扇子で鼻先を覆い、店先を見回すと、あからさまに軽蔑の色を浮かべた。
「まあ、薄汚れた路地裏の掘っ立て小屋だこと。こんな場所に殿方たちが通い詰めていらっしゃるなんて、信じられませんわ」
取り巻きの令嬢たちが甲高い嘲笑を漏らす。
先頭の令嬢はツカツカとヒールを鳴らしてカウンターへと歩み寄ると、エプロン姿のリリアナを上から下まで値踏みするように睨みつけた。
「あなたがリリアナね? 平民の分際で冬至祭の夜会に潜り込み、あろうことかレオナルド公爵閣下やジークハルト卿、カミル殿下に取り入った不届き者というのは」
棘のある冷酷な言葉が浴びせられる。
普通の平民の娘であれば、高位貴族の威圧感に足腰を震わせ、その場に平伏して命乞いをするような場面だった。
けれど、リリアナの胸に去来したのは恐怖ではなく、ある種の既視感と深い同情だった。
前世で無茶な要求を喚き散らしていたクライアントや、感情的に当たり散らしてくる重役の姿。
そして何より、厚い白粉で隠しきれていない目の下の青黒い隈や、血色の悪さ、無理なコルセットの締め付けによる浅い呼吸。
彼女たちもまた、社交界という過酷な戦場で常に誰かと比べられ、心身をすり減らしているのだと分かってしまったのだ。
「いらっしゃいませ。遠いところをわざわざお越しくださり、ありがとうございます。
……お嬢様方、酷くお疲れのようですね。
肌荒れと胃の不調を鎮める、冷たいカモミールのシロップ水をお出ししましょうか?」
リリアナがいつもの穏やかな笑顔でそう告げると、令嬢は気味の悪いものを見るように目を見張り、次の瞬間には屈辱で顔を真っ赤に染め上げた。
「な、なんですって!? 平民の施しなど受けるものですか! 殿方たちに媚薬でも盛って誑かしたに決まっていますわ。
お父様に言って、こんな不気味な店、今日中に取り潰して差し上げます! この泥棒猫が――!」
逆上した令嬢が、手にした扇子を振り上げ、リリアナの頬を打ち据えようと腕を振り下ろした――その刹那。
「――その手を下ろせば、貴様の家系は今日この刻をもって断絶するぞ」
店内の空気が一瞬にして絶対零度へと凍りついた。
奥の個室を仕切っていた遮光のカーテンが静かに開かれ、姿を現したのは、書類を手にしたまま怜悧な眼光を放つ筆頭宰相レオナルドだった。
身に纏うのは私服であったが、そこから放たれるのは、国家の全権を掌握する筆頭公爵としての絶対的な覇気と、触れるものすべてを切り裂くような氷の殺気だった。
「ひっ……!? れ、レオナルド公爵閣下……!?」
先ほどまでの傲慢さはどこへやら、令嬢は引きつった顔で後ずさり、従者たちはその場に膝をついて震え上がった。
「な、なぜ閣下がこのような下賤な場所に……! 私はただ、閣下を惑わす不埒な平民を成敗しようと……」
「黙れ」
レオナルドの低く冷ややかな一言が、令嬢の弁明を完全に叩き潰した。
彼は一歩、また一歩と優雅に歩み寄る。
銀の瞳には、虫けらを見るような冷徹な光だけが宿っていた。
「私のリリアナに指一本でも触れようとした罪、万死に値する。
貴様の父親である侯爵が、南方領の港湾利権で不正な関税を着服している証拠は、すでに私の机の上にある。
……今すぐその無礼な口を閉じ、この路地裏から這い出ていくなら、家名のお取り潰しだけは見逃してやろう」
「あ、あぁ……っ!」
完璧に握られた急所を突きつけられ、令嬢は白目を剥きそうになりながらその場にへたり込んだ。
取り巻きの令嬢たちも青ざめ、従者に抱き抱えられるようにして、転がるように店の外へと逃げ去っていった。
けたたましい足音が遠ざかり、再び店内に春の静寂が戻ると、レオナルドはふっと張り詰めていた殺気を霧散させた。
そして、目にも留まらぬ速さでリリアナの元へと駆け寄ると、彼女の細い腰をすくい上げるように強く抱きしめたのだ。
「リリアナ……! 怪我はなかったかい? 怖かっただろう、すまない、私がもっと早く割って入るべきだった……!」
先ほどまでの冷酷無比な宰相の姿は跡形もなく消え去り、そこには愛しい者を奪われかけた恐怖に震える、ただ一人の男がいた。
レオナルドはリリアナの首筋に顔を埋め、切羽詰まった熱い吐息を落としながら、彼女の背中を壊れ物を慈しむように何度も撫でた。
「レオさん、大丈夫ですよ。怪我なんて一つもしていませんから」
「私が大丈夫ではないんだ。君の柔らかな肌に、あの女たちの醜い手が触れることすら許せなかった。
……やはり、私の屋敷に君を連れて行くべきだ。君を傷つける悪意のすべてから、私の手で完全に隔離してしまいたい」
銀の瞳を潤ませ、リリアナの両手を己の頬に押し当てて熱い口づけを落とすレオナルド。
その瞳に宿る深すぎる情愛と過保護な熱に、リリアナは胸をぎゅっと締め付けられた。
前世では、理不尽に怒鳴られても誰も守ってくれなかった。
泣き寝入りするしかなかった日々。
けれど今は、この国の頂点に立つ孤高の男が、自分ひとりのためにすべての権力と怒りを剥き出しにし、子供のように震えながら愛を乞うてくれているのだ。
「ありがとう、レオさん。守ってくださって嬉しかったです」
リリアナがふわりと微笑み、彼の濃紺の美しい髪を優しく撫でると、レオナルドはたまらないといったように目を細め、リリアナの額へと深く、甘い誓いの口づけを落としたのだった。




