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春風のハーブ園と、野草摘みのピクニック

長く厳しかった冬がようやく去り、王都を抜ける風に柔らかな若草の香りが混ざり始めた。


街路樹には淡い緑の芽が吹き、陽だまりの石畳はぽかぽかと心地よい温もりを帯びている。


『緑の天幕亭』の軒先に並ぶ植木鉢からも、越冬を終えたハーブたちが一斉に小さな新芽を伸ばし始めていた。


「よし、今日は郊外の丘まで春の野草を摘みに行こう」


仕込みの合間、リリアナは手編みの平らな籠を腕に通し、動きやすい綿のワンピースにエプロンを重ねた。


春先に芽吹く野性のカモミールや野生ミント、苦味の少ないタンポポの新芽は、冬の間に縮こまっていた身体を目覚めさせ、胃腸の働きを促す絶好の薬草となる。


前世では、春の訪れといえば異動や年度初めの過密スケジュールに追われ、桜を見上げる余裕すらなく高層ビルの谷間を駆け抜けていた。


こうして季節の移ろいを肌で感じながら自然の恵みを受け取りに行けること自体が、リリアナにとってはかけがえのない贅沢だった。


しかし、店の裏口を開けた瞬間、目の前には当然のように三つの人影が待っていた。


「おはよう、リリアナ。素晴らしい春晴れだね」


軽やかな乗馬用の平服を纏ったレオナルドが、銀の瞳を細めて微笑みかける。


「丘までの道は傾斜がある。私が荷物を持ち、足元を支えよう」


私服姿でも隠しきれない筋躯のジークハルトが、大きなピクニックシートと分厚い敷物を軽々と抱えて仁王立ちしている。


「お姉さん、待ってました! 僕ね、強い日差しを遮って花粉だけを弾く特製の結界傘を持ってきたよ!」


金髪を揺らしたカミルが、青い宝石の埋め込まれた小さな日傘を掲げて駆け寄ってきた。


「ふふ、皆さん……お仕事は大丈夫なのですか?」


「春の定例会議は昨日のうちにすべて片付けたよ」


「騎士団の午前演習は副団長に任せてある」


「僕の実験は全部タイマー魔導具に任せたから完璧!」


申し合わせたように胸を張る三人に、リリアナは思わず吹き出してしまった。


国の要人たちを平民の野草摘みに付き合わせるなど前代未聞だが、彼らの瞳に宿る純粋な期待を見れば、断る理由などどこにもなかった。


王都の城壁を抜け、馬車で少し走った先にあるなだらかな丘は、見渡す限りの緑と色とりどりの野花に覆われていた。


春風が吹き抜けるたび、甘やかな土と草の香りが波のように押し寄せてくる。


「見てください、あそこに野生のカモミールがたくさん群生しています!」


リリアナが目を輝かせて駆け出すと、三人は慌ててその背を追った。


膝をつき、柔らかな新芽を傷つけないよう爪の先で丁寧に摘み取っていくリリアナの横で、三人もまたそれぞれに手伝いを始めた。


「リリアナ、この草も使えるのか? ……根元から折ってしまわぬよう、力加減が難しいな」


ジークハルトが戦場で見せる鋭い眼光をそのままに、信じられないほど繊細な手つきで小さな薬草の茎を摘んでいる。


その真剣すぎる横顔がおかしくて、リリアナはくすりと笑った。


「ジークハルトさん、とても上手ですよ。茎を優しく押さえて、葉だけを摘んでくださいね」


「あ、ああ……君に褒められると、柄にもなく緊張する」


無骨な騎士が耳の先端をほんのり赤く染める。


「お姉さん、僕もいっぱい採ったよ! ほら、これは甘い香りがする黄色いお花!」


カミルが無邪気に両手いっぱいのタンポポを差し出してくる。


「ふふ、ありがとうカミルさん。このお花は乾燥させて、春のデトックスティーに使いましょうね」


「わぁい! 僕のお花でお茶を作ってくれるの? 絶対に僕が一番最初に飲むからね!」


カミルはリリアナの腕にすりすりと頬を寄せ、子猫のように喉を鳴らす。


そんな二人を愛おしそうに見守っていたレオナルドが、リリアナの背後からすっと手を伸ばした。


白く長い指先が、風に乱れたリリアナの髪に優しく触れ、そこに絡まっていた小さな野花をそっと取り払う。


「リリアナ」


「はい、レオさん?」


振り返った瞬間、レオナルドの顔が至近距離にあった。


銀の瞳が熱を帯びて細められ、手袋を外した彼の温かな親指が、リリアナの頬を撫でる。


「風に揺れる花も美しいが……

無心に草を摘む君の横顔のほうが、ずっと胸を締め付けるほど愛らしい。

誰の目にも触れさせず、私だけの庭に閉じ込めてしまいたいと、また本気で考えてしまうよ」


「もう……レオさんったら、お外なんですから」


耳元に落とされた甘い囁きに、リリアナの顔が一気に林檎色に染まる。


籠いっぱいに春のハーブを摘み終えた後、四人は日当たりの良い大きな樫の木の下に敷物を広げた。


リリアナがバスケットから取り出したのは、今朝焼き上げたばかりの香ばしいライ麦パンを使ったサンドイッチだった。


じっくり火を通した柔らかな鶏肉に、摘みたてのディルとレモン風味のマヨネーズを合わせたものと、春野菜とスクランブルエッグをたっぷり挟んだ二種類。


合わせるのは、冬の間に仕込んでおいたレモン生姜の蜂蜜漬けを冷たい湧き水で割った、爽やかなハーブウォーターだ。


「さあ、皆さん召し上がってください。たくさん手伝っていただいたので、お腹が空いたでしょう」


包みを開けた瞬間、香ばしいパンとハーブの香りがふわりと広がる。


三人は待ちきれないようにサンドイッチを手に取り、口いっぱいに頬張った。


「……美味い。パンの素朴な香ばしさと、柔らかな肉、そして鼻に抜ける爽やかな草の香りが完璧に調和している」


ジークハルトが驚いたように目を丸くし、二口目を豪快に噛み締める。


「蜂蜜の清涼な甘みが、歩き疲れた身体にすっと染み渡っていくね。

……君の作る食事を青空の下で食べられるなど、どんな豪奢な晩餐会よりも贅沢な時間だ」


レオナルドが至福のため息をつき、リリアナの指先をそっと絡め取る。


「お姉さん、たまごのほうもすっごくふわふわ! 僕にもう一口ちょうだい、あーんってして!」


カミルがリリアナの膝の上に身を乗り出し、口を開けて甘えてくる。


「はいはい、カミルさん、慌てないでくださいね」


小さく切り分けたサンドイッチを口に入れてあげると、カミルは幸せそうに目を細め、そのままリリアナの膝の上に頭を預けて横になってしまった。


ぽかぽかと暖かい春の木漏れ日。


膝枕の上でまどろむカミル、リリアナの隣でその手を離そうとしないレオナルド、そして周囲に危険がないか油断なく見守りながらも、時折リリアナの肩を優しく抱き寄せるジークハルト。


前世で孤独にすり減り、春の光にすら取り残されていたリリアナの胸に、かつてないほどの充足感が満ちていく。


そよ吹く春風に吹かれながら、四人の穏やかで甘いピクニックは、どこまでも優しく続いていくのだった。

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