第8章 もう、盗賊じゃない
その頃。
聖騎士団団長のグーリッジは、デスクの上に置いた王冠を撫でながら、
昨日の二番隊隊長の報告を思い返していた。
『殲滅任務が完了しました。
小隊長が体調不良を訴えたため、休暇を言い渡しました――』
――体調不良、という訴えに、疑問を感じていた。
たとえ何人斬ろうとも、どんなに疲弊していようとも、
あれは歪まない。
正しさのために剣を振るい、正しく処罰を執り行う。
殲滅が完了している時点で、クレディスに迷いはなかったはずだ。
――それなのに。
グーリッジは、顎に手を当てて視線を動かした。
使い込まれた羽ペンを目に映す。
(もう一つ気になるのは……)
今回の命令に無かった、王冠の奪取の成功。
では、これを盗んだ犯人について、
斬ったか――否か。
なぜクレディスは何も報告しない?
あまりに、らしくない。
強烈な違和感だった。
「……」
(――誰かの入れ知恵なら、話は別だが)
グーリッジは、クレディスの部隊の名簿を漁ることにした。
2
明るい日差しを受けて、泉で目が覚めると、
クレディスはもういなかった。
昨晩の光景が夢だったかのように思える、浅いまどろみ。
頬を背の低い葉がくすぐり、指が土を引っ掻いた。
上体を起こしたディアンの肩に、何かが触れる。
黒曜石のような大きな瞳を持った、愛らしい花の妖精が、ディアンを引っ張り上げるように羽根を動かしていた。
「……立てってことか?」
一人で。
ここで。
「……」
ディアンは、胸に空いた空白のせいで足に力が入らず、転げるようによろけて地面に手を付いた。
水面の近くに、自分の顔が映る。
やつれて、生気がない目。
――これから、どうする?
復讐のチャンスは、逃した。
月明かりに照らされたクレディスの顔が浮かぶ。
殺したかった。
剣を奪った、あの時――殺せていれば。
――いや、まだだ。
ざぶん、と水面に頭を浸ける。
輪郭を失ったようなぼんやりとした思考が引き締められ、
空になった胸の中にも、冷たい水が入り込む。
まだ、終わってない。
あいつに復讐するまで、終われない。
(あいつが勝手に生かしたんだ。
絶対に、後悔させてやる……!)
水面から顔を出す。
ぽたり、ぽたり。
髪やあごから、雫が滴り落ちる。
揺れる水面に映る金の目は、
虎のように鋭く、冷酷な光を宿して揺れていた。
風が吹く。
周囲を見ると、妖精はいなくなっていた。
(……一人、か)
そう思った途端に、ぶるりと身体が震えだす。
腹も減った。
でも、狩りの仕方を――どうしても思い出せない。
ディアンは山を降り、平民街へと向かった。
その複雑な道の曲がり角から、ラウジが現れるとは、微塵も思っていなかった。
3
数日間、
ディアンはラウジの酒場に身を置いた。
腹を満たせて寝られるなら、どこでもよかった。
だけど、ラウジの酒場は、思っていたより窮屈だった。
この日ディアンは、ラウジに連れられて、平民街の角を何度も曲がり、市場へ向かった。
狭い通路は、がやがやした音で溢れかえり、商人は、茣蓙を敷いた上に、野菜や果物などを並べている。
ラウジは、迷わず野菜商のもとへ向かい、親しげに話した。
常連。
ディアンの頭にその二文字が浮かぶ。
だが、ディアンは手持無沙汰だった。
少し離れた場所から、冷めた目で見る。
(――買い物、ねぇ……)
ラウジが手招きしている。
ディアンは仕方なく傍に寄った。
「ここで野菜」
「ん」
ラウジが金を払い、ディアンが袋を両手で持つ。
二人の後ろを、見回りの聖騎士が通り過ぎた。
三人一組になって、我が物顔で道の中心を歩く。
人々は迷惑そうに、その行く手を譲った。
ラウジの手が、ディアンのポケットに伸びた。
「――商品は、盗まない」
「……」
隣の店の指輪と首飾り。
ラウジが、店の人に返してしまった。
移動する。
魚屋。
肉屋。
「――人の財布も、盗まない」
軽く獲っただけ。
「袋に入っただけ、は、通用しない」
一つや二つ、誤差だろ、誤差。
「欲しいなら、金を払う」
別に、欲しくはない。
ただ――そこにあるから――。
「ディアン」
買い物を済ませたラウジは、商店を離れた。
ディアンは、両手いっぱいに、大きく膨らんだ袋を抱え、よたよた歩く。
ふいに、ラウジが立ち止まり、向き直った。
しゃがみ込んで、視線の高さを揃える。
深い緑色の目が、真っすぐディアンに向けられた。
「――もう、盗賊じゃない」
その言葉を聞いた途端――
頭の中でブレーキをかけていた何かが焼かれ、血が沸騰した。
――うるせぇよ。
ディアンは言葉を飲み込み、心の中で真っ向からその言葉を否定した。
盗みながら生きてきた。
これまでも。
これからも。
ラウジが続ける。
「いつまでも、そんな生き方はできない」
淡々とした声が、足枷のように絡みついた。
ガチっと固定されるのを逃れるように、ラウジから距離を取り、手に持った荷物を乱雑に地面に置く。
上の方にあった果物が跳ねて、地面に投げ出された。
「……お前、うるさいんだよ」
低い声が出た。
唇を噛みしめて、目の前の男をギン、と睨みつける。
ラウジは、足を止めた。
「同情で慈善活動してんじゃねぇよ。今さら、まっとうに生きられるわけないだろ」
「……ディアン――」
ディアンの足がゆらりと動く。
視線をそらさず、ラウジに歩み寄る。
(――盗んでやるよ)
ラウジの腰に差してある短剣に右手を伸ばす。
――気づいたときには、遅い。
ディアンの指が剣の柄に静かに触れ、引き抜く。
銀が閃いた。
腰の重みがなくなり、異変に気づいたラウジの視線が逸れるのを見計らって、抜いた剣をかるく投げ、左手で受け取る。
――もう、そっち側にはねぇよ。
ディアンの口角が持ち上がる。
身体が覚えていた。
盗賊の血は、少しも消えていない。
その時、
――ディアンの左腕が、強く掴まれた。
「――っ」
「……まっとうに生きろとは、言わない。
だが、自分から歪みに行くな」
ディアンの手から、短剣が滑るように取り上げられる。
ラウジは、手元を一切見ることなく剣を手にすると使い慣れた様子で元の鞘にすっと戻してしまった。
――どうして、ばれた……?
「帰るぞ。
落ちたもの、拾え」
「……」
ディアンは目を見張りながら、果物を拾うラウジを見据え――頬の内側をきつく噛んだ。
複雑な平民街を、憮然と歩く。
ディアンは、半歩後ろを歩くラウジをちらりと見た。
(――何なんだ、この人)
ディアンの盗みをことごとく防ぎ、怒りもしない。
盗賊になりたかったと言っていたのに、まっとうに行動する。
それに、聖騎士の格好をして、ディアンに剣を渡した。
いったい、何のため――?
ディアンは立ち止まった。
「あのさ、ラウジ」
ディアンに倣い、ラウジも足を止める。
「お前って、何者?」
「……」
ラウジは、なんて答えるべきか、思案する間があった。
目を空に向け――結局、答えが出ずに、首を振る。
「……普通の平民」
「なわけないだろ」
ディアンは強めに否定した。
質問を変える。
「なんで俺に剣を渡した?」
ラウジは答えない。
「なんで聖騎士の格好をしてた?」
「なんで盗賊になりたいのに、ならなかった?」
来るもの拒まず、去る者追わず。
ラウジがその気になれば、いつだって歓迎されるのに。
ディアンの質問攻めに、ラウジは何も答えてくれなかった。
ディアンは、さらに質問を続ける。
「クレディスの知り合いみたいだけど――あいつ、なに? ただの聖騎士じゃ、ないよね」
クレディスの名を出した時、ラウジの眉が一瞬だけ反応した。
ディアンと目があう。
ラウジは、深くため息をついた。
「あいつは――聖人の皮を被った剣。いや……」
ラウジは、静かに言い直した。
「――剣、そのもの」
ディアンの背中が、ぞくっと震えた。
集落の幹部と親父を一人で斬った、と言っていた。
――それ以上の言葉が思い当たらないくらい、納得できてしまう言葉だった。
ラウジが歩き出す。
ディアンは、足元を見ながら進んだ。
「じゃあさ、お前とクレディスなら、クレディスの方が強い?」
「あれと比べたら、みんな同じだ」
「じゃあ、パルチェスとは?」
「分からない。けれど――」
ラウジの表情が、初めて崩れた。
浅く、口角を上げる。
「状況と場所による」
「――へぇ」
ディアンは、ラウジの自信の意図を正確に汲んだ。
「つまり、真っ向、ってわけじゃないのが、お前の得意分野ってことか」
ラウジは目を伏せ、いつもの無表情に戻った。
ディアンは、前に出た。
「ラウジのやり方、教えてくれよ」
「教えない」
「なんで、いいじゃん」
ラウジは、ため息をつく。
「復讐は、お前の道じゃない。付け焼刃で、命を粗末にするな」
「……」
――また、見透かされた。
それが余計に、心に靄を掛けた。
酒場に到着する。
ディアンは荷物をアリーシャに渡した。
ふと周囲を見て、ラウジを探す。
目の端に、街の角を曲がる後姿だけが見えた。
――どこに行くんだ?
ラウジを追おうとしたとき、アリーシャがその腕を掴んだ。
「店、手伝ってくれるよね?」
「えぇ……」
ディアンは、テーブルや窓を拭くように言われた。
店の窓を拭く。
すぐにその単調な動きに嫌気がさした。
アリーシャが、カウンターでせわしなく動いているのを、反射したガラス越しに眺める。
動いている方が、楽だった。
頭の中に、嫌なものが次々と浮かんでくるから――。
「――あ、卵を頼み忘れちゃった。……ま、今度でいいわね」
手際よく、何かで代用させるようだ。
ディアンの目が光った。
「卵忘れたなら買ってくる」
何でもいいから、外へ行きたかった。
アリーシャの返事を待たず、飛び出す。
「――ちょっ」
叫びにも似た声で呼び止められたが、聞こえないふりをしてさっさと角を曲がった。
おおよその方向が分かれば、たどり着ける。
貴族街に近づくと、市場独特の匂いが近くなった。
その手前。
「おい見ろよ! 聖騎士が制裁を下すらしいぞ!」
柵にもたれかかった知らない男が、鼻息荒く声を出した。
橋の下を指差している。
興味を引かれた通行人らが、ぞろぞろと集まり、
ディアンもその一人になった。
下にある通路で、
野次馬と、二人――いや、三人の聖騎士が睨み合っている。
ここから見える聖騎士二人が、剣を抜いた。
下にいる野次馬が、わっと声を出す。
「見ものだ。特等席じゃねぇか」
橋の上にいる誰かが、興奮した声を出した。
「どっちでもいいから、派手なやつたのむぞー!」
ディアンの眉が寄る。
……うるせぇな。
その時、
後ろで控えていた聖騎士が、前に出た。
建物で遮られていた顔が、見えた。
「――あ」
どくん、と心臓が大きく鳴る。
薄い金の長い髪。
一点の隙も無い佇まい。
クレディスは、聖騎士二人に何かを言う。
そして、渋る様子の二人を下がらせ、前に出た。
ディアンは思わず柵を持ち、よく見ようと身を乗り出していた。
クレディスの声は聞こえないが、
飛び交う野次や、人々の方を見て、解散するように指示しているのが分かる。
――チッ。
横の男が舌打ちした。
「早くやれってんだよ……」
その時。
「――おおっ!」
対峙していた大柄な男がクレディスの死角から、一気に距離を詰めた。
――だが、それも一瞬のことで、
次の瞬間には、鞘越しに腹部を突かれ、昏倒する姿があった。
「ああ……」
横の男が、天を仰ぐ。
「もう終わっちまった。つまんねぇ……」
とぼとぼ、どこかへ歩き出す。
下では、もう一人の男も取り押さえられていた。
気が付くと、人だかりは完全に無くなり、あたりは閑散とする。
――血を見たかっただけ。
ディアンの胸に、黒くべとつくものが張り付く。
舌打ちをしてそれを逃がすと、再び下に視線を向けた。
藤色の目。
クレディスが見上げており、ばちっと目が合う。
「――っ!」
びくりと肩を跳ねさせたディアンと対照的に、クレディスは何もなく、
ただ背を向けて街角に消えていった。
――舐めやがって……!
ふつふつと怒りが湧く。
いつの間にか、柵に身を乗り出していた。
殺したい。殺したかった。
なのに——なんで、目が合った瞬間、心臓が跳ねたんだ?
ディアンは自分の手が柵を握りしめているのに気づいて、慌てて離した。
その矢先、
「――おい」
後ろから肩を掴まれ、
変な声と共に再び肩を跳ねさせた。
ばっと振り返ると、ラウジが見下ろしていた。
「……ここで、何している? ディアン?」
言葉尻に、怒りを滲ませている。
「――お前こそ……」
なんで、ここが分かったんだ……?
ディアンは、狼狽えないように、強く睨んだ。
「店の手伝いは?」
「してる」
ラウジの片眉がわずかに上がった。
「――卵忘れたって言われたから、買いに来たんだ」
ラウジは、それ以上表情を変えなかった。
じと、とした目で、ディアンを観察する。
ふいに、ラウジの掌が上を向いて目の前に伸びた。
「――渡された金を出して」
金……?
ディアンの目が逸れる。
「……あー」
忘れていた。
ラウジの口元がきつく締まる。
ディアンの中で、小さく決意した何かが、ぽっきりと折れた音がした。
――やっぱ、無理だ……。
(こいつのとこにいても、あいつに復讐できねぇな)
なら、いつまでも良い子でいる必要はない。
がんじがらめで、窮屈だ。
ラウジが、大きくため息をつく。
「帰るぞ」
当然のようにディアンを手招きした。
――帰る場所なんて、ない。
ぺっ、とディアンは唾を吐いた。
「俺の帰る場所は――山だ」
ラウジの足が止まる。
ディアンは駆け出した。
クレディスを追いかけるのではなく――山へ。
これ以上ここにいたら、おかしくなりそうだ。
腑抜けて、いつまでも復讐なんてできない。
ディアンの脳裏に、先ほどのクレディスが浮かぶ。
容赦なく斬ると思っていた。
なのに――。
(――あいつは、止めてた)
部下も。野次馬の声も。
ぶんぶんと頭を振り、考えを振り払う。
(だからなんだ。あいつが親父たちを容赦なく斬り殺したのは変わらない)
泉での出来事を思い出す。
月明かりに照らされ、何度も潜っていたあの光景――。
「ああ、くそっ!」
じわっと胸に何かが詰まり、息が苦しくなる。
アジトに行こうと思った。
だけど、馬車道にたどり着いたとき、
なぜかそれ以上、山を登れなかった。
気が変わっただけ。
そう、自分に言い聞かせて、馬車を見下ろす木の上に登って、
獲物を物色するように、上から往来を眺めた。




