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第9章 探検家ロレン

 ディアンは、馬車の往来を見るのをやめて、幹に身を預けて頭の後ろで手を組んだ。

 馬車の往来の音を、ぼんやりと聞く。

 

 ――なんの積み荷を襲おうか……?

 いや、むしろ、

 いっそのこと、積み荷に乗って行って、隣国で盗みながら生きていくか?


 ディアンは首を横に振った。

 ――逃げるな……!

 この国を出たいわけじゃない。

 出るなら――すべて終わった後だ。


 時折、馬車の音がしなくなると、途端に身が縮むほどの寒気に襲われた。

 ぶるぶると肩が震える。

 

 ふいに、ラウジの顔と酒場が脳裏に浮かび上がった。

 がやがやとした、狭い店内。

 酒と香辛料の匂い。

 大人の笑い声――。


「……っ」


 気が付くと、頬に生ぬるい涙がこぼれていた。

 鼻の奥に痛みが突き、胸に、もっと鋭いイガイガしたものが落ちる。

 膝を抱え、顔をうずめる。

 震えていたのは寒さじゃないと、気が付くのが嫌だった。


 ――独りが、怖いんだ……。


 押しつぶされるように、小さく身を丸めた。

(いつから、こんなに弱くなった……?)


 生意気な口をきいて、ゾランの腕を乱暴に退けて。

 ガルヴァンの訓練ではほかのやつを踏み台にして、粋がって。


 ――強い方だと、思っていたのに。

 ……違った。


 クレディスの剣の感触を、まだ掌に思い出すことができた。

 青白い剣身。

 手になじんだあの柄の皮の感触を思い出して、ズボンの裾で強く拭った。


 微かに――遠くから誰かの声と足音がする。

 頭を巡っていた嫌な思考が途切れ、強張っていた身体が、ほんの少しだけほぐれた。


 声がだんだん近くなる。

 ディアンは細く、ゆっくりと息を吐いて、物音を立てないように注意深く観察した。

 二人組の男だ。

 一人が身軽な格好、もう一人が大きなリュックを背負い、おぼつかない足取りで後に続く。

 リュックを背負っている青年は、不自然に髪が赤色だった。

 手軽な男が振り返り、得意げな表情で道の先を指差す。


「あの角を曲がったら、相当足場が悪いから――荷物、持ってやるよ」

 

 ――へぇ。

 ディアンはピンとくるものがあり、頬に伝う涙の跡を乱暴に拭うと、身を乗り出して上から見た。

 赤髪の男は、すでに息が切れ、肩を揺らしている状態だった。

 丸い眼鏡の奥で目を見開き、辟易した表情で頷く。

「――なら……お願いします……」

 

 ――ばっかじゃねぇの?

 人の良さそうな笑みを浮かべて、簡単に荷物を差し出す赤髪は、

 目の前の男のぎらついた目の光に気がついていないようだった。


 男が荷物を背負う。

「探検家さんは、荷物が多いねぇ」

 

 ディアンの耳がピクリと動く。

 ――探検家?


「たはは……」

 赤髪の青年が少し照れたように髪に手をやる。

 旅人にしては上等な服装が、マントの下からちらりと見える。

(あんな間抜けそうなやつが、ねぇ……)

 リュックを背負った男は、山道ではなく、ディアンが寄りかかっている木の方に向かって斜面を登り始めた。

 山に慣れた動きだった。

「え――まって! 僕の荷物……っ!」

 男がちらりと振り返る。

「そんじゃ、もらってくぜー」

 言うと同時に、足で土を落とし、赤髪の顔に細かい砂や石が降りかかった。


 は。情けねぇ。

 ディアンは、興味を無くして再び木の幹にもたれ掛かった。

 盗人の独り言が、鼓膜を揺らすまで。

「――いいざまだ。一生そこで泣いてろ」

 ぴく。

 ディアンの眉が動く。

 自分に向けられた言葉じゃないのに。

 分かっているのに。


 カッと頭に血が上った。


 ――泣いてねぇよ。

 ……ムカつくな、あいつ。


 よっと反動をつけて木から飛び降りた。

 山に慣れている男の背中を追って、

 軽く追い越して目の前に立ってやった。

「――うを!?」

 男のバランスが崩れ、ズザアと横滑りする。

 ディアンはさらに近づいて観察した。

 見慣れない柄のバンダナを頭に巻いている。

 ザンバラ髪の、小柄な男。

 ――いい気味だ。

 ディアンが口を開いた。

「お前さ、その荷物、どうすんの?」

 別に、どうでもいいけど。

 ディアンは笑って頷いて見せようとしたが、できなかった。

 表情の使い方を、うまく思い出せない。

 ディアンを観察していた男は逆に、にやりと唇と目を歪ませて、

 卑下した笑いを喉から出した。

「お前のこと、知ってるぜ? この辺の盗賊団の息子だろ。

 ――その金の目、間違いねぇ」

「……」

 ディアンの肩がピクリと動いた。

「こんな表道までお散歩たぁ、ずいぶん平和慣れしてんだな。

 ああ――違うか」

 くく、と喉を鳴らして笑うと、男は滑った斜面を登り返し、ディアンの目の前に立った。

「壊滅したってのは、本当だったんだな」

 どきん、と心臓が強く反応し、それが表に出ないように強く唇を噛んだ。

 バンダナの男が目を細める。

「お前、本当は荷物なんかどうでもよくて――居場所が欲しいだけだろ」

「……は。バカ言うなよ」

「俺たちなら、お前を歓迎するぜ?」

 男の言葉が、何故かじわりと甘く広がった。

 だけど――

「街でもどこでも行って、盗んで殺して自由にやり放題だ。

……ついてこい」

 そんなものに興味はない。


 舐めるな……!

 

 男がディアンの横を通り過ぎる。

 ――その一瞬。

 ディアンは男の腰に刺さってたホルダーから短剣を引き抜いた。

 首襟を掴み、ぐいっと下に引っ張る。

 男が前のめりになり、バランスを崩した。

 その首の皮膚に当たるように、銀の刃先をぴとっと沿わせた。

 見開かれた茶色の目が、ディアンと短剣を見る。

「選択肢は二つ」

 ディアンは、口元だけで笑った。

「荷物を全部置くか。それとも、喉に金属を埋めるか――

 どっちでも好きな方、選んでいいよ?」

 ひくり、と男の喉が鳴る。

 返答を急かすように、ぐっとナイフの刃を皮膚に押し付けた。

「――分かったよ、降参だ。食料と金は俺。そのほかはお前のものだ」

「違うだろ?」

 ディアンは、ゾランの言い方を真似してみた。

 今度のは効果てきめんで、男の首に脂汗が浮かび出す。

 どさ、と荷物が投げ出された。

 身軽になった男が、身体をばねのように弾かせてディアンから距離を取る。

「――末恐ろしいガキだ」

「さっさと行けよ」

 思ったより、低い声が出た。

 男は苦々しげに歯を食いしばって、しばらくディアンを睨んでいたが、

 舌打ちを一つだけ残して山の中に消えていった。

 

(居場所――か)


 どうせ、まっとうに生きるなんてできないし。

 すべてが終わったら――族から始めるか。


 完全に男の気配が消え去ったのを確認して、ディアンは短剣を藪の中に捨てた。

 探検家のリュックを背負うと、思ったよりずっしりと重たかった。

 木の根に足を取られないように軽くステップを踏んで、急斜面を降りる。 

 馬車道に立つと、赤い髪の青年がまだ、木に足をかけて、へたくそに登ろうとあがいていた。

 ズザアと滑り落ちてくるのを待って、リュックを下ろす。

 赤髪の青年と目が合った。

「ん」

「え――?」

 丸眼鏡の奥の黒い目が、きょとんと見開かれる。

「……いらないのか?」

 ディアンはリュックを雑に引きずり、青年の足元に転がした。

「僕のリュック……! 取り返してくれたんですか!?」

 驚きが混じった明るい声が真っすぐ向けられ、耳がくすぐったくなり、顔を背けた。

「……まあ。気まぐれで」

「ありがとう! ありがとう!」

 赤髪の青年はディアンの左手を両手で握り、ぶんぶんと上下に振って泣いた。

「雇った用心棒に裏切られるなんて……情けない話ですが……っ」

 ずぴー、と鼻水を啜る。

 ディアンの手を離した青年は、リュックを開け、中身を検め始めた。

 その背中の後ろから、ひょこっと首を出す。

 旅の雑貨と、地図、ノート、ペン、そして――

「――よかった……」

 青年が息をつく。

 手からネックレスのチェーンが垂れ下がっている。

 両手で包むようにして彼の指先が動いた。

 ロケットだった。

 中には二枚の絵。

 左に家族写真、右に――白髪の、幼い男の子の笑顔。

「ちょ――ちょっと、見ないでくださいよ!」

 青年が今更のようにディアンから絵を隠す。

「その白い髪のやつ、お前なの?」

「……っ!」

 青年は息を詰め、何も答えずにロケットを首に回した。

 土で汚れた服の下にモチーフを隠す。

 ああ……違うな。

 本人じゃない。家族だ。

 ……どうでもいいけど。

 ディアンは地面にある日記帳のようなノートを手に取った。

「あ――ちょっと!」

 ページを開くと同時に青年の手が伸びるが、

 ディアンはひょいっと避け、中を見る。

 手書きの大陸の地図や、海、川、鉄道の絵。

 走り書きだが読みやすい文字が丁寧に書かれた探検記だった。


(……こんな場所が――)


 ディアンが一瞬固まった隙に、青年の手が鋭くノートを掴み、引く。

 紙が引っ張られたのを見て、ディアンは大人しく手を離した。

「お前、本当に探検家なんだな」

 青年は、赤髪を揺らしながら荷物を詰め直していく。

 最後に服の土を払い、重たいリュックをきつそうに背負った。

 よたよたと歩き出す。

 ディアンも並んで歩いた。

「お前、ラグージュ王国に用があんのか?」

「――ええ。とある貴族に招待されましたので」

 と言って、ズボンのポケットから白い封筒を取り出す。

 ディアンの手が伸び、表、裏とひっくり回して招待状を見た。

 赤い花が表面に貼りついている。

 あて名は――ロレン様。

「ちょっと、なんでいつも勝手に見るんですか」

 ロレンの手を軽くよけ、中の文面を出す。

「――遺跡調査?」

 差出名は、アルトゥール・レインハルト。

 貴族なんて誰も知らないが、どこかで聞いたことがある気がした。

 ぴっと音がして、手を掠めるように手紙が取られる。

「油断も隙も無いな。君は一体誰なんだい?

 ラグージュ王国の平民の子なんだよね?」

 ――そんなんじゃねぇ。

 喉の中で言葉を止めて、ディアンは顔を背けた。

「……面白そうだから、俺もついて行ってやる」

「え……?」

 ロレンが本当に困惑したように、よろけながらディアンを見る。

「お前の助手ってことでいいよな」

「ま――待ってください。……どうしてそんな、勝手に……」

 ――決まってんだろ。

 ディアンは、ふつ、ふつ、と少しだけ胸に高鳴るものを感じた。

(貴族の豪邸に入れれば――好き放題盗める……!)

 脳裏に宝石や皿、価値のありそうな武器が思い浮かぶ。

 どれもキラキラしていて――


(持ち帰れば、褒められる――)

「――っ!」

 バリン、と音を立てて幻想が砕け、ディアンは胸を抑えて膝を付いた。

 呼吸が、できない。

 はひゅ、と情けない音が漏れるだけだ。

「だ――大丈夫かい……!?」

 ロレンがしゃがみ、背中をさすった。

 その手の感触が、気持ち悪くて、ぞっとして――ぱしっと振り払うことしかできなかった。

 ロレンの目が見開かれる。

 ど、ど、と激しく脈打つ心臓を抑えて、足に力を入れて立ち上がった。

「何かの発作かい? 薬は?」

 ディアンは目を逸らした。

「……何でも、ねぇよ……」

 ぐっと唇を噛む。

 今回は、盗みはなしだ。

 でも――屋敷には、行く。

 ディアンはちらりとロレンを見た。

 なにか――匂う。

 

 ディアンは、ゆらり、とロレンの前に立った。

「俺も屋敷に行く。それは変わらねぇ」

「だ……だけど、僕は、基本一人で――あ!」

 ロレンのポケットから封筒を抜き取った。

 にやりと口元を上げて見せる。

「――集合場所は、貴族街の教会前――だよな?」

「え……?」

「先行ってるから、ちゃんと来いよ!」

「ま――待っておチビさん!」

 駆け出したディアンは踵で急ブレーキをかける。

 振り返って、キッと睨み上げた。

「――ディアンだ」

「ディアン君、待ってほしい! お願いだから……!」

 ロレンは必死な目で訴えていた。

 ほんの少しだけ――何かが満たされる感覚がする。

 でもそれを、認めたくなかった。

 ロレンが追い付いてくる。

「――分かったよ。君は僕の助手で……何ができる?」

「荷物運び」

「だめ」

「じゃあ――賑やかし」

「……冷やかしの間違いじゃないのかい?」

 ロレンは、大きくため息をつくと、額を抑えて肩を落とした。

 ディアンは、ロレンと並んで歩き出した。

 ——貴族街には、聖騎士がいる。

 心臓の奥が、少しだけ熱を持つのを、ディアンは無視した。



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