第10章 貴族の屋敷
1
山林から続く馬車道は、ラグージュ王国の中心まで続いていた。
平民街の煩雑な街並みはこの白い道に切り裂かれるように左右に分かれ、
貴族街の整った街並みの中に溶け込んでいった。
襟のついた白いシャツと、裾を捲ったカーキのズボン。
ディアンは、ロレンの服を借りていた。
マントを外したロレンも、土で汚れた服を取り換え、貴族紳士が羽織るような黒い外套を身にまとっている。
「僕はこの国が嫌いです」
平民と貴族を線引きするように横たわる境界通りに着いたとき、ロレンがぽつりと呟いた。
道の向こう側に、白い教会が建っている。
「この依頼も、話を聞いたら、断るつもりでいるんです」
「それなら、わざわざ来る必要なかっただろ」
「――赤い花だったから、仕方なく来たんですよ」
「……?」
ロレンはそれ以上何も言わず、白い通りに面した教会の敷地内に入り、
正面玄関でたたずんでいた馬車の係に話しかけた。
「ロレン様ですね。お待ちしておりました。
……そちらの方は?」
「あー、えーっと……」
言い淀むロレンの肩を押し、退かせると、ディアンは雑に言った。
「俺たち二人で探検家ロレンなんだよ」
馬係とロレンの目が見開く。
ディアンは馬車に乗り、どかりと座敷に座った。
「あ――あの……」
馬係が困惑した顔でディアンとロレンを交互に見る。
ディアンはため息を一つ落とし、口を開く。
「俺がメインの調査で、こいつが雑用。
知らねぇみてぇだけど、有名だからな」
にやりと笑って見せる。
「ちょ、ちょっと――」
ロレンの手がディアンの肩に伸びたが、その腕を掴んで引っ張り寄せる。
「うわっ!」
体勢を崩したロレンの片足が馬車に乗った。
馬車係は少し強い口調で降りるように言ってきたが、ディアンは腕を組んで眉根を寄せた。
「――じゃ、こいつを降ろすから、出せよ」
「え――ちょっと! ひどいですよ!」
ロレンが乗り込む。
馬係は困惑しきっており、ハンカチを首元にあてて汗をぬぐった。
「時間がないんだけど」
「――はい……では……、出発します……」
ディアンが扉を閉めると、すぐに馬車が揺れ出した。
ふぅ、と息を吐く。
「ま――まずいですよ、ディアン君……!」
焦りを含んだロレンの声を無視して、ディアンは足を組み、滅多に乗れない馬車の車窓に目を向け、流れていく豪邸と空をぼんやりと眺めた。
貴族の屋敷に到着し、ディアンは馬車から降りた。
高い門と、奥に庭園、噴水。
重厚な扉の先には、煌びやかなシャンデリアと、吹き抜けの玄関ホール。
絨毯に覆われた左右の階段が目に入った。
「やあ。よく来たね」
二階から声がかかった。
濃茶の髪をきっちりなでつけ、黒地に金の刺繍で飾った長衣を翻しながら、
男がゆっくりした動作で階段を降りてくる。
二人を目に映しハリボテの笑みに少しだけひびが入る。
「――私は、ロレン君だけに招待状を送ったつもりだったんだけどね」
こいつ……。
ディアンを射抜くように目が細くなる。
「細けぇこと気にすんなよ。
それより、なんでこいつ呼びだしたんだ?」
手紙の文面を見た時に感じた嫌な匂いは、腐敗臭だった。
「ディアン君、ちょっと、いったん黙ってて」
ロレンが咳払いをし、今さらのようににこやかな笑顔を作りながら一礼した。
「ロレンです。はじめまして、アルトゥールさん」
ロレンとアルトゥールが握手を交わす。
「君のことは噂で耳にした。有名な探検家であり、伝承や遺跡調査が得意だと」
「いえ、ただ記録を書いただけですので……」
「随分、若いんだね」
口元に手をやり、ロレンの上から下までを見る。
そして、ディアンを横目で目に映し、鼻を鳴らした。
「雑用係はここまでだ」
ぴきっとディアンの眉が持ち上がる。
「――へぇ」
言ってくれるじゃん。
ディアンの胸にざわざわしたものが湧き、柔らかいところを無遠慮に撫でられる。
「――遺跡調査、なんて嘘なんだろ?」
「え……?」
ロレンが間の抜けた声を出し、目を丸くした。
確証なんて何もなかったが、ピタリと動きが止まったアルトゥールの反応で、図星を突いた手ごたえがあった。
――やっぱりな。
「何企んでんのか知らねぇけど、いい話だったら乗ってやろうと思ってな」
アルトゥールの喉が上下に動く。
それを隠すように口元を手で覆った。
「……お前は、なんだ?」
「まずは話を聞かせろよ。
わざわざロレンを呼んで、何させようとしてたんだ?」
「……」
アルトゥールは鷹のような目を向け、なぶる様にディアンを観察すると、
一つ頷いて顎から手を離した。
「……面白いことを言うんだね」
そしてロレンに向かって、微笑むように屋敷の奥を掌で差す。
「込み入った話は、奥でしよう。その子供と――こちらへ」
「え……あ……」
困惑しっぱなしのロレンの尻を軽く蹴り、ディアンは貴族の背中について行った。
貴族の腐敗した匂い――嗅覚は、まだ衰えていないようだった。
2
応接間は広く、向かい合うソファとテーブルが中心にあった。
左右の壁の棚のショーケースには、煌びやかなガラス製の置物が、
所狭しと置かれており、痛いほどギラついていた。
アルトゥールは案内もそこそこに、革製のソファに深く腰掛け、足を組む。
対面にディアンが座り、ふかふかの感触を確かめるようについ手で革を撫でていた。
おずおずと、ディアンの隣にロレンが座る。
アルトゥールはすぐに本題に入らず、ソファの背もたれに上体を預け、腹の上で手を組んで目を細めていた。
振り子時計がうるさく鳴り響く。
空気がひりつくように張り詰め、ディアンは居心地が悪くなった。
ロレンをちらりと見ると、浅く息を詰め、膝の上に置いた拳に力が入っている。
――こんなんで固まんなよ……。
ディアンはソファから身を乗り出すように座り直すと、凝り固まった空気を壊すように口を開いた。
「――で、お前の要件って?」
アルトゥールは小さく鼻をならすと、背もたれから上体を起こし、ロレンの方を見た。
「その前に、一つ確認しようか」
「……確認、ですか?」
ロレンの声が、少し掠れていた。
アルトゥールは、大きく頷く。
「君は、白髪と悪魔の伝承について――知っているかな?」
「――っ!」
ディアンの横で、ロレンが息を殺す音が聞こえた。
その反応を見て、アルトゥールは狐のようににやりと笑い、満足そうに頷いた。
「知っているのなら話は早い。君には、それにまつわる調査を依頼しようと思ってね」
ぐっとロレンの喉が上下する。
ディアンは眉を顰めてロレンの肩を揺らした。
「二人だけで納得すんなよ。
なんだよ、伝承って」
アルトゥールも柔らかい口調で続く。
「ロレン君、君が理解している範囲で、説明してあげてくれないか?」
「……っ」
ロレンは強張らせた顔でディアンを少し睨むと、
小さな声でぽつり、ぽつりと口を開いた。
「詳しいことは……知りません。ただ……あまり良くないものだと……」
「昔ね――十年くらい前だったかな。白髪の一族がその噂のせいでひどい迫害にあったそうでね。最近もまた、貴族の間で広がっているんだよ」
ディアンは街での出来事を思い出していた。
(……人攫いの連中も、そんなこと言ってたな)
アルトゥールが続ける。
「噂程度の話をここでしても仕方ない。君たちが知らないのなら、実際の伝承について調べてもらおうか」
ロレンは口元を手で覆った。
脂汗を浮かべて、青白い顔で視線を揺らす。
「……アルトゥールさん。申し訳、ありませんが……僕は――」
「そういえば、白髪と言ったら、聖騎士の団長のところにいるなぁ」
ディアンの耳が、ぴくりと反応する。
「名前は、確か――レイビス」
「っ!」
ロレンの呼吸が止まった。
口を覆っていた手が離れ、目を見開いている。
アルトゥールの細い茶色の目が、さらに細まった。
「三日後、バーベレン卿と会談する予定でね。もしよかったら――」
姿勢を戻し、前のめりになる。
「……君も、一緒に行くかい?」
「――」
ロレンの肩が、ピクリと動いた。
呼吸の音が、部屋に響く。
その静寂を破ったのは、ロレンではなく――
「行く」
ディアンの低い声だった。
「えっ」
ロレンの喉が跳ねる。
そんな些細なことは、どうでもよかった。
「俺もそいつ、見たことあるし」
――聖騎士の団長の家に忍び込めるチャンスなんて、滅多に来ない。
胸の奥から、沸騰しそうなほど熱いものが湧き上がり、それを抑えるのに神経を使った。
アルトゥールが嫌悪を露にしながらディアンに目を向ける。
「――君には聞いていないが。いったい何しに行くんだ?」
ディアンは短く喉を鳴らし、親指でロレンを差す。
「こいつの付き添い」
「ちょ――ちょっと、まだ僕は受けるなんて一言も――」
ロレンの言葉を遮り、ディアンは低い声で迫った。
「――いいのか? お前はそれで」
ロレンの黒い目が、少し揺れる。
ディアンはロレンの胸のあたりを指差した。
服の下にあるロケット。
「そいつに会いたいんだろ?」
「……っ」
ディアンは胸の内で手ごたえを感じた。
こいつは――最高に使いやすい。
つい緩みそうになった表情を締めて、横目でロレンの様子を見た。
ロレンは目を閉じ、深く息を吐いていた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「……引き受けます」
その声は、さっきまでとは違って、震えていなかった。
アルトゥールは満足そうに頷くと、部屋の奥の壁に広げてあるラグージュ王国の地図の元に歩き、細長い棒で一点を指し示した。
王国の周りをぐるりと囲む山の――アジトからは遠い一点だった。
「早速だが、君たちには明日廃教会に行ってもらう。
宿と馬車はこちらで用意しよう」
明日?
ディアンは瞬きを一つ落とした。
随分、焦っている。
金持ちをアピールしようとする応接間を再度見渡し、胸の奥で納得する。
(こいつ――もとは、平民だったのかもな)
話し合いはここで区切られ、
ディアンとロレンは再び馬車に乗り込んだ。
いまだ茫然としているロレンとは対照的に、
ディアンは胸に湧く熱が滞留して、苦しいほどたぎっていた。
(……親玉か)
ディアンの脳裏に、聖騎士の白い制服が思い浮かぶ。
それを着ているのは、なぜか淡い金髪のクレディスになってしまい、
紙を破るようにその想像を消した。
馬車が宿に着く。
通された部屋は、ロレンと相部屋だった。
ロレンが大きなリュックを隅に降ろす。
「君には家があるでしょ? なんでわざわざここに……」
「——うるせぇよ」
ディアンはベッドに飛び込み、布団をかき集めて丸くなった。
寝るつもりなんてなかったのに、
がさごそうるさいロレンの気配が、妙に心地よく感じた。




