第11章 教会・協力・食えない奴
1
境界通りに面した古い長屋の一室。
パルチェスは、外の喧騒を窓越しに感じながら、壁にもたれかかった。
手には、一通の手紙。
見なくても分かる。飽きもせず頻繁にせっせと送り続けてくる、
クソが付く親父からのもの。
封筒の外側に、白い花が括り付けられているのを見て、パルチェスは舌打ちした。
神父である父からの長ったらしい文章を読み飛ばす。
「帰るかよ。バァカ」
何人も人を斬った。
それが聖騎士というもの。
父が知らないはずがない。
祈っても、結局何にもならない。
そんな当たり前なことが、何で分からない――?
夕暮れ時。
早酒を飲んで早速酔っ払った声が、窓越しに聞こえる。
境界通りを、馬車が通り抜ける音がする。
教会の鐘の音が、風に乗って遠く、聞こえる。
『祈りなさい。
奇跡は、人が、人の選択を捨てないときに成り立つ。
祈らなければ、そもそも成り立たない』
なぜか父親の言葉が頭をよぎった。
――チッ。
気が向かなかったが、妙に呼ばれているような気がした。
「……」
手紙をいれるため、引き出しを開ける。
スペースが、少し埋まってきていた。
上に滑り込ませ、乱暴に閉じた。
2
翌日に馬車が迎えに来た。
アルトゥールが示した遺跡は、街はずれの場所にあった。
廃れた教会や墓地が、湿った風に吹き荒らされており、不気味、という言葉がぴたりとあてはまる。
一息吸うごとに、捨てられた祈りのような暗さと物悲しさが、空白な胸に入り込む。
(……気持ち悪ぃ……)
馬車から降りたディアンが二の足を踏んでいると、後から降りたロレンがスタスタと歩いて行った。
「あ……おい、待てよ」
ロレンが振り返る。
「――早く行きましょう。
……こんなところ、一秒たりとも長くいたくないので」
眉に力が入っている。
「……」
ディアンは胸のむかつきを舌打ちでごまかし、
重たい足を気力で動かして後に続いた。
墓地の奥に聳え立つ廃教会は、蔦とコケに覆われ、窓だった場所はただの穴だった。
中に入ると、光が一段と届かなくなり、足元に散乱した木材やガラス片がガチャ、ガチャと鳴る。
ロレンが、きょろきょろあたりを見渡しながら注意深く進む。
ディアンはその背中にピタリとくっついて、息を詰めていた。
「普通の教会ですね」
「……どこが、だよ……」
教会の外――墓地のあたりでバササッと物音が響き渡った途端――
「ひっ!」
ディアンの肩がびくりと跳ね、伸ばした手が勝手に、ぎゅっとロレンの服を掴んでしまった。
心臓が、爆発したみたいにどくどくうるさい。
「怖いなら、外で待っていますか?」
「こ、こここわくない! 行くに、決まってんだろ!」
こんな場所で一人で待つなんて、できるわけがない。
ロレンは、小さくため息をついて、聖堂の奥――階段を下に降りて行った。
「……は……?」
階段?
思わず手を離す。
奥は、かなり暗く、ロレンが手に持つランプがちらちら遠ざかっていった。
静寂。
遠い場所の、風の音。
薄暗い場所に、一人――取り残されたような寒気が、強く背中を押す。
ディアンの鼻が、ツン、と痛くなった。
「い――行けばいいんだろ、行けば……!」
こんなところ、一秒たりとも長くいたくない。
ロレンの言葉が、実感を帯びて頭に響いた。
階段を降り、ランプに吸い寄せられるようにロレンの服を掴む。
下の空間はひどく黴臭く、吐き気すら覚え、思わず口を覆った。
――いやな感じがする。
本能を逆撫でる原因は、地下の突き当りにある扉の奥にあった。
何かの宗教のような模様が掘り込まれた、両開きの扉。
それをロレンが押し開けると――
「――うっ」
濁った空気と鉄の匂いが一気に鼻を突き、二人は同時にえずいた。
それは――何かの跡。
床が直径二メートルほどの円に抉られ、それの真上の天井にも同じような穴が開いた跡がある。
板が打ち付けられ、一応の密室になっているようだった。
中は、確かに、『何かの儀式の残骸』が散らばっていた。
ロレンが持つランプに照らされて、ゆらゆら揺れる影が、悪魔のような形に見える。
「……、もう、十分です」
ロレンが撤退する。
ディアンは一目散に階段を駆け上がり、外の空気を吸った。
あれほど不気味だと思っていた空気がうまく感じられた。
ロレンも上がってくる。
二人は墓地に出て、しばらく無言で地面を見ていた。
さっき見たあれは――なんだ?
「……教会に行ってみます」
ロレンが呟いた。
「ここで何が行われたのか――文献がきっとあるでしょう」
ディアンは頷いた。
ここから離れられるなら、どこでもよかった。
「――早く行こうぜ……」
ディアンは待たせてあった馬車に飛び込み、座席の上で丸くなった。
白い教会を思い浮かべる。
それだけで力が抜け、息ができるようになるなんて――
随分、腑抜けてしまった。
だけど――
(いまは……無理だ……)
強がることも、置いて行かれることも、
自分のために、自分をごまかすことが、できそうになかった。
3
教会に着く。
光を受けて白く輝く外壁が眩しく、ディアンは目を細めた。
薬草を焚いた匂いが、苦さと、甘さを含んで空気に溶けている。
どこかで、嗅いだことがある気がした。
講堂は、ステンドグラスがはめ込まれ、天井の小窓から、光が柔らかく差し込んでいる。
神父は、不在。
代わりに助祭の男に、ロレンが許可を取っていた。
「……では、私が同行します。どうぞ、こちらへ」
「ありがとうございます」
頷いた助祭はゆっくりした動作で衣を翻し奥へ歩いた。
物腰は柔らかく見せているが、眉が少し寄っている。
案内されたのは、書庫。
デスクの上で記録をつけていた若い書士が驚いて手を止めたが、
助祭を見て、黙って仕事に戻った。
「……神話に関する書籍のみなら、閲覧して構いません。手短にお願いします」
助祭は、数冊抜き出し、デスクの上に置いた。
分厚い本だ。
パラパラとページを捲ってみたが、難しい単語の羅列ばかりで、目がチカチカした。
ロレンが手帳を広げ、ペンを走らせていく。
『白髪の少女セレーネは、暴君に嫁がされ、満月の夜になると血を抜かれた。
暴君はその血を使い、悪魔の召喚を』
そこまで読んだ時、部屋の入口から声がし、ディアンの目が自然に離れた。
「――よお。人ん家で、いったい何やってんだ?」
濃い青い目。薄紫色の猫毛をそのままにした軽薄そうな男が、
入口のドアにもたれ掛かって犬歯を見せていた。
「あっ! お前……!」
部屋の空気が変わる。
若い書士は振り返り、目を丸くするだけだったが、
助祭は明らかに驚き、困惑が入り混じった声で呟いた。
「パ……パルチェス、様……」
パルチェスがディアンを見据えながら部屋に入る。
それだけで、空気が薄まるような息苦しさを覚えた。
パルチェスは丸腰だ。
……奪える武器が、ない。
「――話がある。来い」
パルチェスの手がディアンの首の後ろを掴んだ。
「は――なせ!」
「よしなさい、パルチェス様」
助祭の声が鋭く飛ぶ。
パルチェスは舌打ちをしてディアンを引きずった。
「今日は公務じゃねぇ。個人的な用だ」
後ろ向きで歩かされる。
部屋から出されるときにロレンと目が合ったが、怯えの色が濃く、何の頼りにもならなかった。
物置のような小さな部屋に連れていかれる。
乱雑に置かれた箱と、壁際の本棚。
埃が被っているデスク。
雑多な備品に紛れて、生活の痕がにじみ出る部屋だった。
パタンとドアが閉まり、パルチェスが木箱の上に座る。
ディアンは、箱を背に立ち、唸るように口を開いた。
「なんでお前がここにいるんだよ」
「その質問、そっくりそのまま返すぜ。
平民のとこで大人しくできねぇのか」
なんでそれを……。
言葉を飲み込み、キ、と睨んだ。
「分かりやすく動揺するな。俺が生かしたんだ。その後の面倒も見るのが筋ってもんだろ」
「なんで、殺さなかったんだよ。余計なことすんな!」
こいつのせいだ。こんなに苦しいのは。
空っぽに抜き取られた胸を、埋めるような答えが欲しかった。
だが。
「今はそんな話をする気はねぇ」
パルチェスの冷えた言葉が胸を刺す。
身体を巡る血の温度が上がり、視界が一瞬ぐらついた。
「お前、あの赤髪と、ここで何してたんだ?」
パルチェスが見上げる。
警戒と、確信が入り混じった光が宿っていた。
「言うわけねぇだろ」
「……そうか」
パルチェスががくりと肩を落とし、おでこに掌を当てた。
「あー、やっぱだめだな……」
独り言。
不穏な響きに、ディアンは反射的に身構え、息を詰めた。
「……どうも俺は、穏便に済ませることができねぇみてぇだ」
立ち上がる。
それだけで、この部屋の狭さが際立った。
「なぁ」
ねっとりとした口調。
ディアンの動く隙間を無くすように、正面に立った。
「復讐なんて、お前にできると思ってんのか?」
「――っ」
まただ。
苦くて、奥に痺れるような甘さを感じる匂い。
この教会の香。
「盗賊団は壊滅した。
お前があの王冠を奪わなかったら、こんなことにはならなかったよなぁ?」
「……っ」
湿り気のあるパルチェスの言葉が、頭を殴りつける。
「どこかの貴族が噂してんのを聞いたのか?」
ディアンは、霞がかかった記憶から、一つの情景が脳裏に浮かんだ。
(……そうだ。あの時――)
親父に言いつけられて、宝石を盗みに出た時――
その店で貴族が会話しているのを聞いた。
……アルトゥールという名前も。
高く売れる。
特別な価値がある。
そんな言葉が聞こえた。
だから、盗んだんだ。
貴族の屋敷の倉庫に忍び込んで、そして――こいつに見つかった。
「……だからって、なんで殲滅になるんだよ!」
たかが王冠一つ奪うために。
ディアンは涙が出そうになるのを、奥歯を噛んで必死にこらえた。
「お前が全部悪い! お前なら……こうなる前に、何か、やれたはずだ!」
ディアンを捕まえたのなら。
袋の中身を、知っていたのなら……!
パルチェスの歪んだ唇がふっと下がった。
「……ああ、そうだな」
口を開く前に、少し、間があった。
素直に、認めるな……!
何もしなかったくせに……!
ディアンの中の何かが壊れた。
頭に血が上るのを抑えられない。
「お前らは全員殺す! お前と、クレディスと、騎士団長を殺すまで、俺の復讐は終わらない! それ以外も、みんな殺してやるよ! 俺が――……、俺の手で――……っ!」
ぜい、ぜい、と荒く息を吐く。
いつの間にか、堪えていた涙が頬を伝い、鼻水で息がしづらくなっていた。
胸の濁りが吐き出され、言葉がもう出てこない。
それでも頭は、まだ何かを叫ぼうとぐるぐると回り続けていた。
「――ああ、分かった」
パルチェスは、小さく頷きながら真面目な声で答えた。
なにが、分かったってんだよ。
しゃくりあげる喉につっかえて、言葉が出なかった。
「お前の復讐を手伝ってやる」
「…………は?」
なにを、言った?
思考回路が回らない。
ディアンはポカンと口を開け、片眉を顰めた。
パルチェスは、犬歯を光らせて絡みつくような口調で言った。
「手を組まねぇか? 俺と、お前で。
……団長を殺るまで、って条件付きで」
人差し指で、軽く胸を突かれる。
ディアンは、大きく目を見開いたまま、ぱくぱくと口を動かした。
分からないことだらけだ。
この男の意図も、
突かれた場所からじわりと広がる変な熱も。
声が出なかった。
(……組むわけ、ないだろ)
でも、そう思った途端、ぴん、と脳裏にゾランの姿が浮かんだ。
『お前のヘマ――いや、俺たち末端のヘマは、全部お頭に行く』
秘密基地の会話。
末端と頭。
こいつらは末端だから、団長を先に叩くのは、悪くないかもしれない。
ディアンの喉がごくりと鳴った。
「……なんで、お前は団長を裏切るんだ?」
「歪んでほしくねぇもんがあるからだよ」
即答したパルチェスの歪んだ口元から、犬歯が覗く。
いや、分かんねぇし。
「もっと具体的に言えよ」
「言うかよ、バァカ。
ま、もしお前が俺を裏切っても、恨まねぇから安心しな」
「お前が俺を裏切るかもしれないだろ」
「だからどうした? そのリスクを避けて、いつまでもうじうじ縮こまるつもりか?」
「……」
言ってくれるじゃん。
ディアンは奥歯を鳴らして、唇の端を無理やり上げた。
「――わかった、手を組んでやる。
俺が上でお前が下だからな」
くく、とパルチェスの肩が小さく震えた。
「まずはみっともねぇ涙と鼻水拭け」
「……っ!」
顔が熱を帯び、それを隠すようにごしごしと袖で拭う。
「それから――」
パルチェスは、勿体つけて付け足した。
「俺とお前は対等だ。上下はねぇ」
コツっと頭を弾かれる。
ぐわん、ぐわんと視界が揺れ、
意識しないように首を左右に振った。
「……明日、団長の屋敷に行く」
パルチェスの眉が大きく上がった。
こいつも、驚くことがあるんだ。
ディアンの口端が、ぴくっと持ち上がった。
「だから――明日殺るぞ」
パルチェスの表情が抜け落ち――冷たく光る青い目が遠くを見た。
だが。
「――くくっ……」
次の瞬間には、目のあたりを抑えて肩を震わせた。
「団長を、明日ぁ? そりゃ無理だ、悪ぃな!」
ぽん、ぽん、と頭に手が置かれる。
「手を組むにしてもまずは準備が必要だろ。
明日屋敷に行っても、早まった真似すんじゃねぇぞ」
ディアンはその手を乱暴に退けた。
「準備ってなんだよ。こんなチャンス滅多にねぇだろ!
お前がやんなきゃ、俺がやるだけだ」
「バァカ。早まってんじゃねぇよ。
お前がすぐ殺せるんなら俺がとっくに殺ってるだろうが」
その時、ノックもせずにガチャリと扉が開いた。
ゆったりした法衣を身に纏った神父と、その後ろから、黒っぽい服装をしたラウジが現れる。
「――パルチェス」
「――ディアン」
二人が同時にそれぞれ名を呼ぶ。
パルチェスが舌打ちをした。
ラウジが部屋に入り、ディアンの両肩を小さく抱いた。
「……探した」
びくついた肩が、解けるように緩まる。
「帰るぞ」
「あ……でも――」
ディアンは、ロレンの顔を思い浮かべた。
——明日会えばいい。
そう自分に言い聞かせるけれど、口の中に苦いものが残った。
パルチェスが逃げるように部屋を出て行く。
その背を見つめ、神父がため息をついた。
「では、私はこれで。
お帰りの際は――ぜひお祈りを」
薄紫色の猫毛を揺らし、丁寧にお辞儀される。
「は! 祈りなんて意味ねぇだろ!」
廊下の奥から、吐き捨てるようにパルチェスの声が響いた。
神父は、目を伏せて、小さくため息をつく。
ディアンには、それが祈りに似て見えた。




