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第6章

 背中にふかふかした感触が伝わる。

 草や土とは違う、心地よい肌触り。

 土や腐りかけの木の臭いはしない。

 朝早くから団員たちの働く音が聞こえる——いつもよりも小さく、まどろみの中に消えていく。


 街を逃げていた。

 聖騎士にも見つからず、夜の街を駆ける。

 アジトにたどり着いた。

「……あれ?」

 そこには真っ赤な夕日が地面の水たまりを照らし、

 ごろごろと大量の木が、水に浸かるように倒れていた。

 悪魔のような笑い声が耳に木霊する。

 嘘だ。

 倒れているのは木じゃないか。

 夢だ。

 そうだ。

 追い出されるっていう、あの話も、きっと。

 

 ――ガチャ。

 

 夢の中のものではない、ドアを開ける音がディアンを現実に引き戻す。

「……」

 目を開けても夢は続く。

 ディアンは落胆し、しばらくぼうっと夢の欠片を紡ぎ合わせることにした。

「起きたのか?」

 落ち着いた声は、馬留で剣を渡してくれる人だ。

 これであの悪魔の聖騎士を殺せる。

 ディアンが再びふわふわした戦場を旅しようとした時、肩を少し揺さぶられた。

「寝るな。寝すぎだ」

「……え」

 深緑色の瞳、濃灰色の髪。

 状況が分からずぽかんと口を開けることしかできないディアンに、男は食べ物の乗ったトレーを手ごろな台にのせた。

「ここは酒場だ。お前らはお得意様だった」

「……どういうことだ? お得意様?」

 ディアンの頭は、まだ寝ぼけたままだった。

「まずは食え。いろいろ話があるから」

 温かいスープを手渡された。

 大きめのスプーンで一口掬う。

 二口目からスプーンですくうのをやめ、カップに直接口をつけてごくごくと飲み干した。

「パン、食べるか?」

 こくこくと首を振り、ぶんどるようにしてパンを食べる。

 久しぶりの食事に感じた。

 最後に物を口にしたのはいつのことか忘れるくらいに。

 胃の中に入った食べ物は、早速栄養に変わり、頭がはっきりと夢と現実を区別し始めた。

「……俺、なんで生きてんだ?」

 ディアンの問いかけに青年は答えない。

「俺はラウジ。お前の頭にも会ったことがある」

「親父……! 親父は今――」

「いつも大量に酒を買ってくれるから、お袋も万々歳だった。盗賊団は俺達平民にとってとてもいい取引先だったんだ」

ディアンの言葉を無視して、ラウジは静かに話し続ける。

「実をいうと、俺はいずれお前らの盗賊団に入団するつもりでいた。

 幸福の盗賊団、俺達は、みんなそう呼んでいたよ」


 ――入団?

 ――俺達?


 ディアンの頭は、混乱したままだった。

 重たい沈黙が下りる。

 ラウジは狭い部屋にある窓まで歩き、開けた。

「――盗賊団は、壊滅した」

 風がカーテンを揺らす。

 ディアンの髪も自然に流れ、浅い傷のある頬を滑ってゆく。

 ラウジの声は、とても聴きやすく、無感情だ。

 それゆえ、残酷なほど簡単にディアンの耳に届き、ディアンの頭の中で何度も何度も反響する。

「か……壊滅って……」

「お前以外は、みんな死んだ」

 ディアンの思考が、停止した。

「……う、嘘だろ?」

 無理してラウジの言葉を追い出す。

「そんなこと、ありえないし、だってアジトには最低でも五十人はいるんだぜ? 元殺人鬼とか、街のならず者、親父を護衛する奴はプロの殺し屋だし、親父自身も、ナイフ使いとしては一流、なんだぜ? そんな、ただの聖騎士なんて何人いても無駄なんだよ」

「ただの聖騎士ならな」

 ラウジは窓の外を見ながら、淡々と返した。

「親父は、すぐに逃げ出したはずだ。今頃森のどこかで鹿とか仕留めて食ってる。また仲間を集めて、数年後はもとに戻る、きっとそうだ。そうに決まってるだろ? なぁ、そうだよな? その時になったら、お前も来いよ。歓迎してやるから」

 ディアンは立て続けにまくしたてた。

 ラウジは何も反応しない。

 ただ銅像のように風を受けていた。

 布団から出たディアンは、床とベッドの段差でひっくり返りそうになった。

 ベッドの脇には、新しくはないが小奇麗な靴が用意されていた。

 慌てて自分の着ている服を確認する。淡い黄色の半袖Tシャツにベージュ色の短パン。

「自分の目で確かめて来い。でも覚悟はしておけ」

 靴を履き終えた頃合いを計ったように呟いたラウジの声は、小さくてもディアンの耳に入った。

 それから逃げ出すように建物の出口を探す。



 階段を駆け下りた先は、がやがやと賑わう酒場に繫がっていた。

 年季の入った木でできたカウンターの内側、酒瓶がたくさん並んでいる棚が階段の隣に立っている。

 カウンターの主らしい女亭主は、簡素な椅子に腰かけ、新聞を読んでいた。

 厳しく結んだ口や目元に深いしわが刻まれている。

 黄緑色の瞳が瞬き一つでこちらに向けられた。

 ディアンを目に映した途端に彼女の動きはぴたりと止まった。

「おや、本当に金色なんだねぇ」

 驚いた表情から出た言葉は、ラウジのように無機質だった。

 女亭主の声に反応した客が、話をやめこちらを一斉に向いた。

 昼間にも関わらず満員の店内、全ての客が酔った瞳をディアンに注ぐ。

「希望の子だ!」

「覚えてるか、ディアン君! 俺、一度だけ――」

「気の毒だったな、俺らも胸が痛い……。でもなディアン君、俺らは君を喜んで受け入れる! 君はみんなの息子なんだからな!」

「希望の子、ディアンにかんぱーい!」

 皆が笑顔でディアンを見ている。グラスをもってぶつけ合う人々の中には、中身が空になっているグラスをもった人もいた。

「お黙りよあんたら! うるさいよ!」

 笑顔ばかりが目に入る。

 ディアンは目の前の光景に唇を噛み、きつく拳を握った。


 カウンターを飛び越え、

 大人たちの間をすり抜けようとした。

 しかし誰もが道を譲らない。

 背中が密着するほど座り込み、小さな店いっぱいに人が溢れている。

 出口は、人の善意で埋まっていた。

「どけ! 邪魔だ!」

「だけど――」

「どけって!」

 心配そうな表情をした大人たちは、誰一人としてディアンを通さなかった。

 目の前の男がディアンの腕を掴み何かを言おうとしたが、乱暴に振り払う。

 グラスや酒瓶が大量にのった丸テーブルに飛び乗った。いくつかの食器が割れた。

 出入り口に近いテーブルほど、物が乱雑に乗っていた。

「行くなディアン君――」

 止めてくるのは、何回か見たことがある顔だった。

 露骨に悲しげな表情がディアンは気に食わなかった。

「うるせぇ! 邪魔すんな!」

 人を踏み越えていく。

 様々な人の肩を狙って跳躍を繰り返し、やっとのことで店から抜け出すことができた。

 高く昇った日が容赦なく照り付ける。

 乾いて軽い風が煩雑な平民街を吹き抜ける。

 酒場を飛び出したディアンはまっすぐ森を目指して走った。


 誰かは生き残っているはずだ。ゾランや、元平民のやつらは臆病だから、誰かは上手く逃げ切れたのではないか。

 そう、思い込むことにした。


 行けば、きっと傷つく。

 でも行かなければ何も分からないまま時が進んでしまいそうで、ディアンはそちらの方が怖かった。

 中途半端なままでいるのは赦さないと、心の中の誰かが訴える。

 森に入る。馴染んで何も変わらない土の匂いと、地形、感触。


 もし街ぐるみのドッキリだったら。 

 もし、あの光景が作り物で、普段と変わらない光景があったら。

  

 ゾランが後ろからきて、からかいを含んで言ってほしい。


  ――嘘だよディアン、まだまだ半人前だなぁ?

  ああ、半人前でいいよ。


  子供扱いしていいから。


 ディアンはTシャツの胸部分をくしゃりと握り潰した。

(勝手にいなくなるのはやめてくれ……!)

 走り続け、息が切れる。

 酒場にいる人間と同じようにディアンの行先を阻む山が憎らしかった。

 鋭い傾斜がディアンを見下ろす。

「……出ていくなんて、嘘、だよ……」

 たとえいつか、追い出されることになろうとも。

 それが、今日じゃなくたって、いいじゃないか。


 壁のような坂を上る慣れた手つきも、今は震え、ぎこちない動作だった。

 それでも、無我夢中で身体を動かしていると、

 木の切れ目から見張り台が見えた。


 誰もいない。

 それはそうだという納得の気持ちの奥に、落胆した弱い心が疼く。

 帰ってきた我が家は、何一つ物音がしなくて、全てが静まり返っていた。

 鉄錆びた風がディアンの頬を撫でていく。

 地面に落ちている斧に、誰かの血がついている。

 横たわっているはずの死体はなく、引きずられた跡だけが地面の砂についていた。

 たどってみると、集落の隅に真新しく土を掘り起こした跡があった。

 それもかなり大きい。ディアンが十人は横になれる大きさだ。

 誰かが団員を埋めたらしい。


「なんで……こんなこと……」

 山で暮らし、山で死ぬ。

 団員たちはよく酒を飲みながらそう言っていた。

 動物の血肉になることもいいかな、と。

 しかし、実際に死体を見ずに済んで、ディアンの心は随分救われた。

 誰が眠っているか分からないが、ディアンは跪くと、

 両手を胸にあて、

 心を分け与えるように――


 祈った。



 立ち上がったディアンはこの集落をあとにし、目的の場所に向かった。

 父親がいたはずの中心の集落。


 ――どうして、あの時親父は、ナイフをわざと外したんだろう。

 この事態になることを読んで、わざと――。


 ディアンは首を振った。

 そんなことをする人じゃない。

 それに、もしそうなら、殴り倒してやりたいところだ。


 だから、違う。


 第三集落は、血が地面に深く染み込んでいた。

 槍の痕や、死体が転がっていたであろう水たまりの跡。

 親父は、いつも一番大きなテントにいた。

 会議をしているか、武器を磨いているか、酒を飲んでいるか、豪快に笑っているか。

 ――覗きたくなかった。


 もし、血に沈んだよれよれのシャツがあったら。

 もし、指輪のはまった指だけが転がっていたら。

 

 どうする――?


 逆に、何もなかったらどうする?

 森を探し回って、生き延びた親父を見つけたら。

 罵って、それでも一緒に暮らすのか。


 生きていてほしい。

 でも、このまま消えてほしい。


 矛盾した願いのまま、ディアンはテントの前に立った。

 テントの入口の布が捲れあがっており、ちらりと覗く。

 血だまりの中に、数本のナイフ。

 三日月形の刃。親父の愛用だ。


 ――ああ。


 親父は、逃げなかった。

 盗賊団の最後を、共にした。

 臆病者じゃなかった。

 それだけで、十分だった。

 満足に似た感情は、すぐに空白へ変わる。

 この場所にいるのが苦痛で、ディアンはふらつく足取りで離れた。

 どこへも行くあてなどないが――足が自然と動き出した。



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