第4章
ディアンは、聖騎士たちの後を追いかけ、やっと山道へたどり着いた。
すでに、騎士団の影はない。
馬を置いて、斜面を登っていったようだ。
馬番が一人座っている。
ディアンは正規の山道ではなく、斜面から登ろうと手をかけた。
その時。
「待て」
馬番の聖騎士が声を出した。
ディアンは舌打ちする。
なぜ気づかれたのか。
ディアンには分からなかった。
「お前を、待っていた」
馬番は、立ち上がり、こちらに近づく。
(待っていた……?)
ディアンは身構える。
どういうことかまるで分らず、相手を見る。
日焼けをしていない肌。
風に吹かれているザンバラで濃灰色の髪。
やや低いテノールの声になぜか聞き覚えがあった。
男の足元に、別の聖騎士が倒れている。
(聖騎士同士で、殺し合った?)
男は、ディアンの視線に気が付いたのか、肩をすぼめて言った。
「……ただ眠らせただけだ。じきに起きる」
「……」
ディアンが動けないでいると、男はディアンを見据えた。
「――俺は、聖騎士じゃない。この服は、友人から借りたものだ」
借りた、の響きが妙に嘘くさかった。
「で、本題を言うと、俺はお前を行かせたくない」
男は、深緑色の目を伏せた。
「ここから先は、戦場じゃない。……一方的な殺戮。
それでも――行くのか?」
風がさああと吹き、木々とディアンの髪を揺らす。
ディアンは、アジトの方へ顔を向けた。
一方的な、殺戮。
昨夜のゾランの怯えを思い出す。
――なら、なおさら行かないと。
ディアンの手が斜面に伸びる。
が。
停止した。
男の手が剣に伸びたと思うと――。
鞘ごと外し、地面に落とした。
それを蹴って、ディアンの足元に転がす。
「――クレディスの剣だ」
「は?」
クレディス――?
ディアンの脳裏に、金髪の聖騎士が浮かんだ。
「……どういうことだよ」
男は答えない。
役目は終わったとばかりに、もといた位置へ歩きだした。
「急いだほうがいい。今ならそれで、誰か逃がすこともできるだろう」
ディアンは、警戒しながら、ゆっくりと剣を取る。
使い込まれた皮の柄が、掌にすんなり馴染んだ。
鞘をずらし、ずしりと重い刃を覗く。
陽光を真っすぐ受け止めた刃は、細かな傷の一つ一つまで丁寧に手入れされており、銀色の奥にどこか青白い光を宿していた。
「……」
丸腰で行くよりマシだ。
(……持っていこう)
ディアンは、剣を背に回し斜面を駆け上った。
身体に染み込んだ登りと下り、傾斜と距離を頼りに、
両手両足を使い、一匹の獣になってまっすぐ走る。
一刻も早く、アジトへ着くように。
ディアンは、恐らく人生で一番速く森を駆けた。
*
(あと少し……)
アジトまで五分もかからない、木材を切る広場。
ディアンは手ごろな木の陰に手をついて弾んだ息を整えた。
心臓の鼓動は指の先までじんじんするほど強く、激しく波打っている。
空気の擦れる音が喉から漏れ出る。
額から流れ落ちる汗が鬱陶しくて、張り付いている前髪と共に乱暴に振り払った。
途中で、血を流して倒れている団員を何人も見かけた。
森の緑に、鮮やかな赤色がぬらぬらと光っている。
「……っ」
ディアンは直視できず、その間を走り抜けた。
街から一番近い、第二集落に着いた。
血の臭いが、空気に澱のように溜まっている。
一つの集落に十人ほどの盗賊がいたはずだ。
だが、立っている者はいない。
聖騎士の姿は、ない。
あるのは、地面に転がる、団員たち。
ディアンはテントに近づいた。
布をめくる。
仲間が血の海に沈んでいた。
殺し方は、大きく二つ。
一撃で終わらされた者と、
――終わらされなかった者。
どちらも、もう動かない。
喉が引きつり、ディアンは思わず口を押さえた。
膝を折り、酸っぱい液体がわずかに喉を焼いて吐き出された。
頭を振る。
考える矛先を必死に変えた。
「親父は……きっと逃げ延びた。そうだ、そうに決まっている。
ゾランは……きっと逃げた。そうに決まってる」
呪文のように繰り返す。
ディアンは顔を上げた。
その瞬間、目の端に立つ人物に気が付き、心臓が跳ねる。
「やっぱり、戻って来たか」
日に焼けた肌に、薄い紫色の髪。
濃い青の瞳が危なく光っている。
「――ディアン、ていうんだってな?」
「――っ!」
ディアンは剣に手を伸ばした。
確かこいつは、
――パルチェス。
そう、呼ばれていたはずだ。
パルチェスの視線が、剣と、ディアンを行き来する。
「……ま、そうなるわな」
一歩、パルチェスが前に出た。
それだけで、息苦しさを覚えるほどに、空気が張り詰める。
「来な。せめて、楽に殺してやる」
手招きするパルチェスめがけて――
一閃。
――受け流される。
ディアンは踏みとどまり、続けざまに両刃の剣を振るった。
幾度も金属の甲高い音が刻み、その度に痺れる重い手ごたえがディアンの腕を襲う。
ディアンの振りが大きくなった瞬間、パルチェスが横に薙ぐ。
剣先がディアンの額のあった空間を撫でるように通り抜け、なびく前髪が浅く斬られた。
ディアンは、バランスを大きく崩した。
それでも、持ち前の瞬発力を生かし、再びパルチェスの懐に飛び込む。
深く踏み込んで、
パルチェスの心臓を貫いた――はずだった。
「ガ――ッ!」
身体を回転させ避けたパルチェスの、体重を利用した強烈な膝蹴りが、ディアンの頭部に直撃した。
まるで石ころのように吹き飛ぶ身体。
地面に顔を叩き付けられ、頭の中身がシャッフルされたみたいに揺れる。
口の中を切り、生ぬるい鉄の味が広がった。
――立て。
立て。
地面に両肘をつき、胸を持ち上げる。
それだけでぐわんぐわんと視界が揺れ、吐き気がこみ上げた。
キィィインと鳴っている耳鳴りの奥で、砂利を踏む音を拾う。
全身に戦慄が走り、ディアンは、手放してしまった剣を右腕で探した。
指が、硬くて冷たい金属の柄に触れる。
「――その剣……」
と呟く声が聞こえた。
影が落ちると共に、足音が止まる。
ディアンは右手で柄を握り、腹に力を入れて上体を持ち上げ、きつく睨みつけた。
パルチェスに向けた剣の切っ先が、大きく揺れていた。
がくり、と膝が地面に縫い付けられる。
重い――。
剣も、腕も、頭も――瞼も。
「この剣、どこで盗みやがった?」
ディアンは、剣を握る手に力を込めた。
同時に、キィン、と金属の甲高い音と衝撃が走る。
頭上で無理矢理受けた剣が、弾かれそうになった。
「……っ」
「言え」
続けざまに細剣が振り下ろされ、ガキン、ガキンと腕から全身まで重い痺れが走る。
悪魔のような深青色の目が、冷たく光っていた。
膝が沈む。
ディアンは息が吸えないまま押され続けた――が。
にやり、と笑って見せた。
「クレディスってやつの剣――なんだろ?」
パルチェスの目が見開かれる。
(――へぇ)
本当に、そうなんだ。
ディアンの右目が、ひくっと歪んだ。
パルチェスの細剣を弾き返し、ぐらりと揺れる視界の中、脚に力を込めて立ち上がる。
正面に立つパルチェスの白い制服が、胸の部分で裂かれ、赤い染みができていた。
――届いてる。
あと少しで――命まで。
「お前を殺した後――クレディスも殺してやるよ」
パルチェスの剣先が、ピクリと揺れた。
動揺――?
いや。違う。
パルチェスは、空いている手で額に手を置き、
「――くくく……」
堪えきれない声が、喉から漏れ出た。
歪んだ口元から、犬歯が覗く。
(――なに、笑ってやがる……!)
大口を開けて肩を大きく震わせるパルチェスは、ディアンを目に映していなかった。
舐めやがって。
思うと同時に、ふらつく脚で地面を蹴り、パルチェスの首を狙って横に剣を薙いだ。
――カギィンッ!
と音が散ったと同時に手から剣の柄が弾かれ――
「ぐふ――っ!」
ドスッと鋭く重い痛みが腹の中心を突く。
たまらずに両膝を付いてうずくまったところを、
後頭部に衝撃が走った。
視界が急激に暗くなる。
頬や胸に、冷たくて硬い地面の感触が鮮明に感じられた。
「てめぇにクレディスは殺せねぇよ」
冷たく吐き捨てる声が、耳で反響して鳴り響く。
「――俺ですら殺せねぇくせに――……」
その先は、何も聞き取れないまま、
ディアンの意識は、完全に闇に落ちた。




