第16章 正しさ、とは
宿屋の主人を顔パスし、ディアンはロレンの泊っている部屋の前に立った。
ドンドン!
拳でドアを叩くと、また室内でがたっと音がした。
「俺だ」
ロレンより早くドアを開ける。
「わっ……」
今まさに開けようとしていたロレンの手が空振り、気の抜けた声を出した。
ドアの間をするりと抜ける。
「ディ――ディアン君! 毎回勝手に入らないでもらえますか!」
「風呂貸してくれ。あと服も」
「――はあ?」
ロレンの生返事を聞き流し、風呂場へ向かって、
頭から水をかぶった。
「何書いてるんだ?」
水を浴び終わったディアンが、ロレンの後ろからひょこっと首を出す。
手元には手帳と、数枚の用紙があった。
「明日、アルトゥールさんに報告するために、まとめているんですよ。
……そしたら僕はもう、この国を出ます」
ディアンはふぅんと頭の後ろを掻いた。
「それ、全部教会で調べたのか?」
ロレンは、ええ、と頷いた。
「ディアン君が帰った後、あの人に詰め寄られて……すごく、怖かったんですから……!」
何か思いだしたように、ロレンが声を震わせる。
「ふぁ……」
眠い。
でも、まだ、眠るわけにはいかない……。
用紙を見ると、悪魔の召喚についてまとめられていた。
パルチェスの言っていた通り、天使の像がないことも書かれている。
ぺらっと二枚目を見る。
「……代用……?」
過去の記録らしい。
このとき使ったのは――双環の像。
「――ッ!」
ガン! と頭を殴られたような衝撃だった。
視界がぐらりと揺れる。
脳裏に、親父のテントから盗み出そうとした晩が思い浮かぶ。
親父に殺されかけた。
あれは、本気だった。
なんで、こんなところで、これを見る……?
「――どうかしました?」
ロレンが振り返る。
呼吸が、浅くなっていることに気が付いた。
それだけじゃない。
指先が震えているのに、皺になるほど紙を強く握っている。
「な……なんでも、ねぇ」
「気分が悪いのなら、少し寝たらどうですか?」
「……」
そんな時間はない。
そう言おうとしたのに、視界の揺れは全然収まらなくて――
柔らかいベッドに身を倒して、
布団にくるまって、
強く、目を閉じた。
2
クレディスは、団長の執務室に入室した。
白を基調とした部屋。
左右の壁には歴代の団長の肖像画が高く見下ろし、
左側に聖騎士の紋章が描かれた旗が交差して飾られている。
クレディスは、執務室の真ん中を歩き、奥に進んだ。
広い窓を背にし、両肘をデスクに置きながら手を組んでいるグーリッジの前に立ち、
報告書を手渡す。
受け取ったグーリッジは書類に目を通し――読み終えると鼻を鳴らした。
犯人は不明。
それが、クレディスが下した結論だった。
「……引き続き、捜査と対策をしなさい」
クレディスは短く返事を返し、速やかに退室しようと踵を返す。
その背に、無機質な声が絡みついた。
「――本当に、心当たりがないのかね?」
「……」
ピタ。
脳裏に、盗賊少年の姿が思い浮かぶ。
頬を掠められた時の、はっとした、
何かに届いた子供のようなキラキラした目。
その目を濁らせたのは――。
振り返ったクレディスは、休めの姿勢を取った。
視線は、上の方に固定する。
「何もありません」
「そうか……」
カタ……。
グーリッジが静かに立ちあがり、ひどくゆっくりした足取りでこちらに歩み寄った。
「クレディス」
低く、名前を呼ばれる。
後ろで組んだ指に、ピクリと力が入った。
「お前は今までの公務で、正しくないと思ったことはあるか?」
……あの日の殲滅。
クレディスは、一度言葉を喉に留め、薄紫色の目を伏せた。
脳裏に、パルチェスの顔が思い浮かぶ。
『殲滅って命令自体が間違ってんだよ。
たかが王冠一つで――』
だからあの時――報告で、初めて、隠し事をした。
それが、正しかったか――否か……。
分からない。
「――そうか……」
数秒の沈黙。
たったそれだけで、グーリッジが、何かに納得したように頷いた。
「では、正しさとは何だ」
見透かされる。
この人は、いつもこうだ。
問いを立てられ、
その答えを、探させに行く。
「……」
正しさ、とは……。
――クレディス、正しくありなさい。
聖騎士だった、亡き父の声が、頭の中に響く。
子供の頃の記憶だ。
かつては純粋だった言葉なのに、
責め立てられているように感じてしまうのは――
……自分が、間違っているから、なのか……。
グーリッジは、言葉を紡げないでいるクレディスの目の前に立ち、
教え子に向けるような声で、厳しめに言った。
「今は答えなくていい。
考え続けろ、クレディス。
正しさは、与えられるものではない」
「――選び続けるものだ」
*
ふと、景色を見る。
気がついたら、クレディスは寄宿舎の建物の前にいた。
ここまで、どの道を通ってきたのかすら、よく思い出せない。
ただ、グーリッジの言葉が、頭の中を何度も何度もかき乱し、
悶々と、考えながら……。
「……」
少しだけ、めまいがする。
クレディスは、壁に背を預け、右手で前髪をかき分けるようにして頭に触った。
そして、左手に持っている指示書を開く。
ある貴族に対する、令状。
考え続けろ――。
また、グーリッジの声が響いた。
答えのない問いは……苦手だ。
それでも、正しく示さなければ。
あの盗賊少年の確保も含めて――。




