第15章 届いたあと
騒ぎになる前に、どこかに隠れないと……!
荒い息を吐きながら、ディアンは走った。
心臓がうるさい。
頬が勝手に持ち上がる。
身体の熱が、どうしても引いてくれなかった。
でも、このままじゃ見つかる。
ふと顔を上げて、ディアンは息を呑んだ。
訓練場からは離れているけど、城みたいな本部の中心に近づいている。
しかも、白日の下に、身が晒されていた。
「っ……」
ぎゅん、と変に心臓が縮む。
隠れたい。
今すぐに。
ディアンはあたりを見渡した。
野外訓練場と――小さな倉庫。
(あそこだ――)
引き込まれるように、全力で足が向かった。
倉庫は薄暗くて、熱がこもっていて、土と、埃の匂いが強く鼻を突いた。
遠くから、ピー、と笛の音が鳴る。
その音にびくりと肩をすくませ、
土で汚れたマットの奥に、埋もれるように身を滑り込ませた。
どれくらい経ったか、よく分からない。
外の音に敏感になって、びくつきながら、
まどろみに浸るように、何度も何度も思い返していた。
その時。
倉庫の扉が重い音を立てて開かれた。
――びくっ。
外の明るさが、倉庫の内部を照らす。
ディアンは丸まったまま、息を止めて祈ることしかできなかった。
「――やっぱ、ここだよな」
呆れたような、低い声がした。
ディアンは、恐る恐る見上げた。
マットの上に腰かける、深い青い目と視線がぶつかる。
「分かりやすく隠れてんじゃねぇよ」
(なんで、こいつがここに……?)
ディアンの思考が聞こえるみたいに、パルチェスが鼻を鳴らした。
「ワルガキの隠れ場所なんて、限られてんだよ」
外から、笛の音と『包囲網を広げろ!』という声が聞こえた。
包囲網……。
ディアンの肩がピクリと震えた。
「一つ確認なんだが――」
パルチェスは、姿勢悪く頬杖をついた。
「俺らの目標は、忘れてねぇよな……?」
口調は穏やかなのに、身体の火照りが一瞬で消え去るような冷たい目だった。
「……グーリッジだろ」
首筋に浮かんだ汗が滑り落ちる。
パルチェスは、顎を持ち上げてディアンを見下した。
「順番、間違えんじゃねぇぞ」
「……」
知るか、そんなこと。
心の中で舌を出し、目を逸らした。
パルチェスはマットから降り、
汚れた布が積みこまれている箱を台車の上に乗せた。
「この中に入れ」
「え――」
有無を言わせず、腕を引っ張られ、乱暴に詰め込まれる。
布は、ところどころまばらに茶色く汚れ、土と、泥と、強烈な汗の匂いが染みついていた。全身すっぽり丸め込まれ、ガタガタと台車が動く。
(臭っ……!)
倉庫からどこかに移動し、できるだけ息を止めながら揺れ続けた。
「ディアン、お前、どうやって入った?」
運ばれている途中で、パルチェスが呟くように言った。
ディアンが首だけ布の外に出す。
半地下のような、薄暗い通路だった。
カビ臭い湿った空気なのに、息が吸える。
「うぷっ……!」
すぐに頭を掴まれて、布の中に抑え込まれた。
「質問に答えるだけにしろ」
無理だろ。
ディアンは鼻をつまんで布の中でそっぽを向いた。
少し間をおいて、またパルチェスが呟く。
「クレディス斬ったとき、どう感じた?」
声が少し高く弾んでいた。
布の裏越しに、犬歯を覗かせてにやついているのが分かる。
ディアンもつられて笑った。
「――最高だった」
「は! だろうな」
ディアンは目だけ布を外してパルチェスを見上げた。
口笛を吹きそうなくらい上機嫌だ。
く、と笑みを飲み込む。
楽しそうだな、こいつ。
「お前も、クレディス狙ったことあんの?」
「バァカ」
パルチェスはディアンの目を布で覆った。
「何度もあるに決まってんだろ」
あった。
しかも何度も。
ディアンは布の端をぺらっとめくった。
「――で、結果は?」
「性格悪ぃガキだな」
パルチェスは、どこかの角を曲がり――部屋のドアを閉めた。
「もう出ていいぞ」
台車が雑に止まる。
ディアンは布を剥ぎ取り、息を吸うのと同時に身体中をパンパンと叩いた。
土は落ちたが匂いは残る。
それに加えて、部屋がどぶ臭かった。
部屋を見渡すと、残飯や壊れた器具が片隅に寄せられている。
「――廃棄場?」
パルチェスは酒樽の上にどかりと腰かけると、ふー、と大きく息を吐いた。
「――で、俺らの話なんだが」
パルチェスが本題に入った。
「お前、団長の屋敷で、何か見てきたか?」
「ああ」
屋敷の場所、構造、使用人。
でも、パルチェスが知りたいのはそこじゃないだろう。
「貴族とグーリッジが裏で繋がってる。
目的は、悪魔の召喚だ」
パルチェスの指先がピクリと動き、眉を顰めた。
何かに納得するように一拍置いて、やっぱりか、と呟く。
そして、ぐしゃぐしゃと頭を掻きまわした。
「あーやだやだ。
神話なんぞに振り回されてたまるかってんだ」
「お前、詳しそうだな」
「ガキのとき一回読んだだけだ。
悪魔だの妖精だの祈りだの――
実在しないただの作り話じゃねぇか。くだらねぇ」
パルチェスは苦いものを口に入れたように、ペっと唾を吐き捨てた。
ディアンの脳裏に、泉が思い浮かぶ。
ひらひら舞って――クレディスの近くにも寄っていた。
「でも、妖精はいるだろ? 見たことあるし」
「は……?」
パルチェスの眉が持ち上がる。
それだけじゃない。
少し開いた口元。
どうしてか、純粋に驚いているように見えた。
だがそれも、一瞬のことで、すぐに取り繕うように眉根を寄せてそっぽを向く。
「……俺は信じねぇ。
見たことねぇし……」
部屋に響くパルチェスの声が、薄っぺらく感じられた。
「屋敷に、王冠があった。
クレディスに杯を奪われたから、今頃はグーリッジの手にあるだろうな」
「それっていつだ」
「昨日の夜」
パルチェスの頭が、がっくり下がった。
樽から腰を上げ、ディアンの正面に立つ。
ゴチンッ!
「ぃで――っ!」
「ちょっとは落ち着けガキが。
動きすぎだバァカ!」
「うわっ!」
いきなりわき腹を抱え上げられ、
ぼちゃ、と残飯が残る樽の中に押し込まれる。
「ま――また!?」
「お前が下手に逃げて捕まると俺が迷惑被るんだよ。
そこで大人しくしてろ」
蓋が閉じられる。
狭い。
臭い。
残飯の湿り気が気持ち悪い。
「いいかディアン」
外からパルチェスの声がくぐもって聞こえた。
「宝が集まっても焦ることはねぇ。
たしか召喚には、天使の像を壊す必要があるからな」
「……やっぱ、詳しいじゃねぇか」
パルチェスは、自嘲のように息を吐いた。
「は! うろ覚えには違いねぇんだよ。
天使の像は、もうねぇ。伝承の時点で壊れちまったからな」
「じゃあ、宝集めても――意味がねぇじゃん」
王冠も、杯も。
殲滅も――。
パルチェスが頷くような間があった。
「団長がどういう意図で宝を集めてるのか知らねぇが、
――悪魔なんて、召喚できねぇんだよ」
「……」
また、空白が来た。
このまま、眠ってしまいそうな、
頭が白くなる感覚。
ディアンは二の腕に爪を立てた。
ピリッと走った痛みが、空白を埋める。
「……関係、ねぇよ」
こんな、意味の分からない理由で、盗賊団が壊滅した。
「悪魔が出ようが失敗しようが、どっちでもいい。
いつグーリッジを殺るんだ?
早く決めろよ」
「……」
パルチェスの返答が、少し遅かった。
はぁ、と重いため息が聞こえた。
「――明後日だ」
「……?」
「団長たちが本気なら、満月の夜、何か行動を起こすはずだ。
というか、そうなるように、お前が貴族を動かせ」
「は――?」
「じゃ、そう言うことで」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
ディアンは樽の蓋をずらした。
顔を出す前にすぐに閉じられ、どかっと乗っかられる。
「――大声出すな。業者だ」
無茶ぶりすぎんだろ……!
ディアンの樽が持ち上げられ、尻が浮くほど雑に置かれる。
(うわ……っ!)
残飯が顔にかかった。
最悪だ。
ディアンはペッと唾を吐き捨て、腕を組んで暗闇を睨んだ。
パルチェスの会話を反芻する。
しばらく頭の中をぐるぐると思考を巡らせていると、
馬車が出発した。
聖騎士本部を抜け出したと確信したディアンは、樽を開けた。
制服を脱ぎ捨て、人目を気にして馬車を降りる。
――明後日。
(宝を一通り集めたら、あいつらは行動を起こすのかな?)
残りは古剣。
どこから盗めばいい?
――まずは、ロレンだな。
ディアンは、宿に向けて歩き出した。
あいつも何か、調べてたりしてな。
知り合ってそんなに経っていないのに、
……なんとなく、そんな気がした。




