139話 アズリア、激情に駆られる
──間に合わなかった。
「くッ……そおお! 退けえええッッ!」
アタシは腐汁で汚れるかも、という可能性にも構わず。勢いの乗ったまま脚を前に伸ばし、兵士へ拳を振り下ろした直後の動く屍体へと蹴りを放ち。
血を吐き、動かなくなった兵士から動く屍体を引き剥がそうとした。
既にアタシの両手剣で飛ばされ、頭の無い動く屍体は避けようもなく。
アタシの蹴りは腹に直撃し。
ぐちゅり……と、腐肉が潰れた時の気持ちの悪い感触が靴に伝わるも。蹴りの威力で動く屍体を大きく吹き飛ばす。
だが、首を刎ねた時点で動く屍体はもう二度と動く事はない。
だからアタシは吹き飛ばした動く屍体から興味を失い、地面に倒れていた兵士へと視線を落とす。
アタシの剣が一歩遅かったばかりに、動く屍体の最後の行動を許してしまった。その行動こそが、兵士の背中への致命的な一撃だ。
「おい! 生きてるかッ⁉︎」
アタシは兵士の安否を確認するために、大声で話し掛ける──が。
血を吐いてうつ伏せに倒れた兵士からは、何の反応も返ってはこない。それどころか、指一本動かす様子も見られない。
すると、背後からアタシを呼ぶ声がする。
「……アズリア!」
声に振り返ると、ランディが顔を伏せて首を左右に振っていた。続く言葉がなくともアタシは理解する。
兵士は既に息絶えているのだ、と。
相手は、何の縁もなく名前も知らない兵士ではあったが。
到着した時に既に手遅れだったのならともかく、あと一歩。自分が素早く踏み込んでいれば、救えたかもしれないという事に。
アタシは自分への憤りを隠せなかった。
「……くそッ!」
その苛立ちから、アタシは握っていた両手剣の切先を地面に突き立てた。だが、その程度では憂さを晴らす事は出来ない。
この胸に湧いた怒りを鎮めるには。
アタシは、まだ付近を彷徨うように鈍重に歩いている一体の動く屍体へと鋭い視線を向けた。
視線に捉えた動く屍体との距離は、およそ十数歩。兵士の誰とも接敵しておらず交戦の最中ではなかった。
冷静であれば、周囲に兵士がいない時点で。ランディの炎魔法の絶好の的だと気付いた筈だが。
「そこをッ──」
今のアタシにとっては、憂さを晴らすための絶好の目標だ──としか思えなかった。
「動くんじゃねえぇぇッ!」
そう叫んだアタシは次の瞬間、地面に蹴り。その動く屍体に向かって一直線で飛び出していた。
地面に両手剣の切先を突き刺したままだったからか、ガリガリガリ!と地面と切先が擦れ合う異音を鳴らしながら。
地面を駆ける足音に剣が鳴らす異音に反応し、動く屍体の首がこちらを向くも。
鈍い動きで動く屍体の腕が伸びるよりも早く、アタシは十数歩はあった動く屍体との距離を一気に縮めると。
辿ってきた地面に一本の溝を刻んだ両手剣を、跳ね上げるように斜め上へと斬り上げた。
当然、鈍重な動きの動く屍体がアタシの剣を回避出来る筈もなく。
両手剣は動く屍体の腹へと直撃した。
「オオオオオオオオオオオオッ!」
先程、兵士を救出するために振るった時には。一撃で頭を胴体から切り離す事を重視し、刃の角度や剣を振り抜く速度を重視したのに対し。
雄叫びと一緒に繰り出す今の一撃は、ただ怒りに任せて両手剣を叩き付ける乱暴な振り方だ。
つまり、斬撃ではなく戦杖等の打撃に近い威力となってしまったからだろう。
剣か命中した箇所の腐肉が盛大に爆ぜ、動く屍体の身体が二つに折れ曲がる。
腹が爆ぜた際。
内臓の一部までが周囲へと飛び散り、鼻が曲がる程の悪臭が漂い。アタシも飛び散った肉片や腐汁を避けようがなかったのだが。
怒りと戦闘ですっかり高揚した今のアタシは、悪臭が全く気にならなかった。
『……ヴ……ア゛ア゛ア゛ア゛……』
だが、胴体を二つに折られた動く屍体は口からは低い呻き声を漏らし。上半身を未だ動かしていた。
さすがは耐久力が高い動く屍体、と言ったところか。
やはり頭を潰すのが一番手っ取り早い方法だと、あらためて認識したアタシは。地面に倒れていた動く屍体の真上に、足を振り上げると。
『──グペッ⁉︎』
頭目掛けて踵へと体重を掛け、一気に踏み下ろし。動く屍体の頭を踏み潰していくと。
腐敗し脆くなった腐肉は、驚くほど簡単にぐしゃり……と嫌な感触を足に残して潰れる。本来、頭蓋の骨は硬い筈なのに。
当然、破裂した頭からはまたも腐汁や中身が飛び出し。アタシは再び、腐汁を踏み潰した脚や靴に浴びてしまったが。
既に最初の一体の首を刎ねた時点で、腐汁の飛沫を浴び、汚れてしまっていたのだ。
今更、身体の汚れを気に留める事もなく。
アタシは一旦息を吐き、気持ちを落ち着かようとしていた。
「……ふぅ、ッ」
動く屍体を一体倒した事で、兵士の救出に間に合わなかった自分への不甲斐なさ、その鬱憤も少しは晴れはしたが。
だからといって、動く屍体と兵士の交戦が終わったわけではない。
「ランディに、ワイラーは──と」
ようやく怒りが収まり、目の前の敵だけではなく、戦場の全体を見渡す冷静さを取り戻したアタシは。
まずは次の目標よりも、単独で突出した事で離れてしまった仲間を探し周囲を見渡していると。
「ん? ありゃ……」
アタシの視界の先に映ったのは、探していた仲間らの姿ではなく。
金属鎧を着込んだ三人が、動く屍体から一戦も交えず逃げている光景だった。
「騎士? 何で騎士が逃げてたりするんだい?」
金属鎧を着ている、という事は兵士ではなく騎士なのだろう。
兵士らは今尚、敷いていた野営地に敵を踏み込ませないため、懸命に動く屍体と交戦し。既に何人もが動く屍体の、或いは小鬼の犠牲になっているというのに。
しかも、である。
「それに──」
今、視界の先に捉えた三人の騎士。鉄兜を装着していないため、しっかりと顔を確認する事が出来たのだが。
交戦の意思無くただ逃げるだけの三人の騎士の顔に、残念ながらアタシは見覚えがあった。
「ありゃあ……ついさっきアタシらに絡んできた連中じゃないか」
そう。
多数の動く屍体が襲撃してくる少しばかり前に。明らかにアタシらを見下し、伯爵家の名を出して乱暴を働こうとした三人の騎士。
目の前で動く屍体から逃げる三人の顔と、まさに同じだったのだ。




