ツェンテル通り
〈21:21〉
俺は広場の中央にいて、女神の銅像の影に隠れていた。
女神の長い耳を見て、前回のペオルの、涙でぐちゃぐちゃに崩した顔を思い出す。
あれはちょっと可哀想だったな。こちらまで心がかき乱されてしまった。
自分の記憶の中だけのことになるとはいえ、あまり悪さは出来ないことを学んだ。
あと、可愛い女の子は、泣き顔も可愛いということも学んだ……。
可哀想であるほど可愛いとか、そういうサディスト的感情は一切ないよ?
ほんとうだよ?
さて、俺が銅像に身を寄せてじっとしているのは、別にペオルが好きになったからではない(いやまあ好きだけど)。
馬に乗った兵士――前回俺を捕まえてくれた、あの伝令―― が通りすぎるのを待っているのだ。
あいつは薬品庫のある通りから来て、ラガハマ将軍の官邸がある通りへと向かうだろう。
広場を時計に見立て、0時が神殿の方角とすると、6時が官邸、10時が薬品庫の方角になる。
常に兵士と銅像を挟んで反対側にいれば――あいつの死角にいれば――俺がいることはバレないはずだ。
つまり、あいつが10時の方角から来て、6時の方角へ向かうとき、
俺はそれに合わせて、4時の方角の物陰から、0時の方角の物陰に動くわけだ。
そのタイミングを待って、俺は今、4時の方角の物陰でじっと息を潜めている。
こういうのはゲームで学んだ。気分は蛇だ。
ああ、三人称視点になれたら、もう少し楽なのになあ。
パカラッパカラッと小気味の良い蹄の音が近付いてくる。
――よし、もうすぐだ!
俺は背中に銅像をつけたまま、4時から0時の方角へそろりと足を踏み出す。
「おい、お前!」
広場にラートの声が響き渡り、俺は硬直した。
――馬鹿か俺は! 『0時は神殿の方角』って、数行前に書いてあるだろうが! ラートが降りてくるに決まってるだろ!
「はっ、ラート隊長!」
馬の蹄の音が鳴り止み、代わりに聞こえたのは兵士の強張った声だった。
幸いなことに、ラートが話しかけたのは俺ではなかったらしい。
しかし、これからの展開が読めず、俺は身動きができない。
うう、緊張でまた吐き気を催してきた。
「もう隊長ではない」ラートが言う。「それより、奇妙な毛織の外套を着た少年を見かけなかったか? こんな、細い目をした少年だ」
「は、こんな、細い目をした少年ですか……? いえ、見ませんでしたが」
こんなって、どんなだよ……なんかすごい容姿を馬鹿にされている気がする。俺は飛び出したい気持ちをぐっとこらえた。
「そいつは勇――いや、危険人物だ。我々を滅ぼす力を持っている。他の兵にも呼びかけ、今すぐ砦の中を探索してくれ。まだそう遠くには行っていないはずだ」
「ほ、滅ぼす!? いったいなにが」
「いいから早く行け!」
「りょ、了解しました。ラガハマ将軍に、今すぐ伝えてまいります」
「頼むぞ」
伝令が立ち去ろうとしたとき、神殿の方角から、二人分の足音が聞こえてきた。
「ま、待てー! 殺すなよ! 探す男は勇者候補だ!」
「そ、そうです! 勇者さまなんですー!」
話を遠くで聞いたのだろうヨルとペオルが、大事な情報を付け加えてくれた。
「ゆ、勇者ですか!? 噂には聞いておりましたが、本当に……」兵士は息を呑む。「了解しました。そのことも確かに」
「チッ」
おい、いま舌打ちしたの、ラートだろ。見えなくてもわかるぞ。
馬の蹄の音が鳴り響き、今度こそ伝令は走り去っていた。
俺は6時の方向、小さくなっていくその後ろ姿を眺める。
俺は4時の方角の物陰から動かなかったが、 どうにか兵士には気付かれなかった。
まだ油断はできない。広場には三人が残っている。
「とりあえず、門を抑えなければ」ラートが口調を変えた。「先の兵はツェンテル通りから来たので、あちらの門にはいないはず。私はツワイト通りへ行きます。お二人は南側の門を」
「いや。わたしもツワイト門へ行くぞ」ヨルが声を荒げる。「お前が勇者を殺さんようにな!」
「そ、そうです! ラートさん、ちょっとやりすぎです! 勇者さまじゃなかったら、死んでましたよ!」
そうだよ、勇者じゃないから何回も死んだよ。
「……どうぞ、ご勝手に。しかし、これだけは言わせてもらいます」ラートは言った。「まだ、あいつは勇者と決まったわけではない」
険悪なムードを漂わせたまま、三人はツワイト通り――どうやら二時の方角だ――の方へ走っていった。
結局、こんなに近くにいて誰にも気付かれることはなかった。
ラッキーだぜ。伊達に中学校のとき「存在感ない人」ランキングで一位を取っていない。
さらにラッキーなことに、兵士がやって来た10時の方向――ツェンテル通り――には、誰も向かわなかった。
行くなら今がチャンスだ。手配が出まわる前に、薬品庫を見つけなければならない。
俺は物陰から飛び出し、腕時計をちらりと見る。
〈21:23〉
あそこでじっとしているだけで二分も経ってしまった。
くそっ、そうだ。隕石の時間が迫っていることを忘れてはいけない。
俺はペオルに教えられた微かな記憶を頼りに、ツェンテル通りを走り抜ける。
――彼女が指していたのはこの辺の建物だったような……
前回、あの兵士とばったり出会った曲がり角の先まで出る。
視界の左右に、赤煉瓦の倉庫らしき建物がたくさん並んでいた。
どれも似たり寄ったりの建物だ。
――薬品庫はどれだ!?
この中から虱潰しに探さなければならんのか、と絶望しかけたとき、近くの倉庫の入り口に掲げられた表札が目に入った。
〈穀物庫〉〈関係者以外、立ち入り禁止〉
おお! 読める、読めるぞ! 異国の文字なのに読める!
ヨルが魔法陣に施した情報魔術とやらは、話し言葉だけでなく、書き言葉もわかる効果があるようだ。
あの魔法が元の世界でも使えたら、受験英語なんて一発だな……。
いやいや、そんなことを考えている場合ではない。
まだ、元の世界に戻る手段すらわからんのだ。
すべての倉庫に表札が出ているので、〈薬品保管庫〉と書かれた建物もすぐに見つかった。
ツェンテル通り右手の一番奥。
これで覚えた。次からは一直線にここに向かおう。
さて、中に入るか――と思ったとき、俺は重大な事実に気がついた。
薬品庫の扉には掛け金が降り、そこに大きな錠前がかけられている。
あっ。
ですよねー。
盗られたら困りますもんね、軍需物資。
はーい。馬鹿がここにいまーす。
迂闊な己を何度も罵りつつ、俺は必死に頭を振り絞って次の手を考え始める。
――どうする、どうする?
そして急に、とっておきのアイデアが降って湧いてきた。
俺はベルトに差していた短剣を抜き取る。
ラートから奪ったものだ。
刃が月光に煌めく。
そうだ。まだ、諦めては行けない。
掛け金は長く雨風に晒されていたようで、ボロボロに錆び付いている。
この程度なら、短剣で壊せるはずだ。
――ガンッ!ガンッ!
おお……
みるみる掛け金の錆が剥がれていく……
その下から、新品同様の金属光沢が現われてきた。
おかしいなあ。短剣の方がどんどん刃毀れしていくよ……
それでも俺はめげずに
――ガンッ!ガンッ!
と繰り返し短剣を叩きつける。
いつの間にか、背後からは蹄の音が迫ってきた。
「いたぞ!」
「曲者だ!」
「出合え! 出合え !」
俺はあっという間に兵士らに囲まれて、馬小屋まがいの営倉に連れて行かれた。
というわけで、時間は巻き戻る。




