多分これが一番早いと思います
〈21:20〉
召喚された瞬間、後ろ向きに五歩下がった。
「おお、成功……?」訝しげなヨルの声。
俺は前傾姿勢を取りながら、ラートが斧槍を振りかぶるのを見る。
「動くな――」
神殿の右手側、ラートの立つ場所へと駈け出す。
八歩目を踏み出そうとしたとき、迫り来る銀色の刃を目に捉える。
「――貴様!」
――ブオンッ
俺は頭上で斧槍が振りぬかれる音を聞く。
身を低く落とし、紙一重で刃の下をすり抜けたのだ。
ラートの斧槍は踏み込み次第でリーチがどこまでも伸びる。
横に避けるのは無理だった。試行錯誤の挙句、こうなった。
「避け――!?」
「馬鹿者――!」
「えっ、勇者さ――!?」
三者三様の驚きの声。
まだ終わりではない。
まだ俺は大理石の床の上を滑っている。
慣性の法則は異世界でもちゃんと働いている。
スライディング・キックが、脛当てに覆われたラートの軸足に直撃する。
斧槍を振りかぶったばかりで不安定なラートの体勢を崩すには、
俺の体重に助走数歩分の加速が乗れば十分だった。
「くっ」
ラートが横向きに倒れこみ、斧槍を手放す。
金属と大理石のこすれ合う音が鳴る。
甲冑の重さはかなりのもので、また立ち上がるのには時間がかかる。
がちゃがちゃ音を立てながら甲冑と格闘するラート。
何が起こったか把握していないヨルとペオル。
その隙に、俺を床に手をついて立ち上がる。
三人を無視して、再び勢いよく駆け出す。
そして神殿前の階段へと一歩踏み入れたとき、
――ザクッ
首を捻って音がした方向を見ると、己の背中に短剣が刺さっていた。
視線の先には、宙に右手を掲げ、不敵な笑みを浮かべているラートもいた。
ラートが、寝たままの姿勢で、隠し持っていた短剣を投げ放ったのだ。
それに気付いたとき、腹から熱いものがこみ上げてきて、
赤い液体となって俺の口から噴き出した。
だから俺はラートが倒れこむ瞬間、鎧の左腰部の鞘から短剣を抜き取った。
そしてその短剣を、隣でぼんやり立つ黒いローブの少女の首筋に突きつける。
「はにゃっ!?」と間抜けなヨルの声。
「ラート。いや、ラートさん。攻撃を止めてくれ。俺はあんたの敵ではない。酔い止め薬が欲しいだけなんだ」
ラートがまだ武器を隠し持っていて、それが判明する度に死んでいたらキリがない。
異世界とはいえ相手も人間だ。まずは言葉で交渉してみるべきだろう。
しかしラートは脳筋なので、上司を人質にでもしないと、交渉の場についてくれそうもない。
「ゆ、勇者さま?」困惑するペオル。「ヨ、ヨルさん、大丈夫ですかぁ……」
ラートは斧槍を杖代わりにして立ち上がると、吐き捨てるように言った。
「ほざけ、魔王の手先め」
――どういう勘違いをしているんだ、こいつは?
なんと返事したものか俺が考えあぐねていると、ヨルが口を開いた。
「ラ、ラートよ。わかってるとは思うが、手荒な――」
言葉半ばでラートは頷き、斧槍を一閃した。
ひんやりとした大理石の床に、俺とヨルの首が転がった。
――正気かこいつは? ヨルは上司じゃないのか?
というわけで俺は、ラートから短剣を取ったが、人質は取らなかった。
短剣を裸のままベルトに納めると、素直に階段へと一直線に向かった。
暗い足下を、揺れ動く松明の火がほのかに照らす。
一段飛ばしで階段を転がるように駆け下りていく。
階段の半ばまで来ても、俺の他に降りてくる足音は聞こえない。
――ついにラートも諦めたか?
期待に胸が膨らんだとき、神殿の方角から物音が聞こえた。
「殺すな!」というヨルの微かな声。やはり、まだまだ諦めるつもりはないらしい。
なかば予想していた展開に溜め息を吐く。
やれやれ、と思っていると、俺の胸から鋭利な刃物が生えてきた。
「は?」
背中を押されたような衝撃に、文字通り階段を転がり落ちていく。
宙を錐揉みしながら、俺は神殿の方角を一瞬だけ見ることができた。
ラートは、見事な槍投げ選手のフォームを取っていた。
今度は「殺すな!」というヨルの声を合図に、俺は後ろ回し蹴りを放った。
俺の足刀は具合よく斧槍の腹にあたり、その軌道を階段からわずかに反らした。
幾度となく俺を苦しめてきた斧槍は、ついに夜の闇へと消えていった。
「なにっ!?」というラートの驚嘆の声。
続いて「殺す気か、ばかもんー!」とヨルがぽかぽか殴る音がする。
少し惜しい気もした。斧槍を自分の武器にできたら心強いだろうなあ。
しかし、俺には重すぎて振り回せなかったのだ。
ループで筋肉は鍛えられないだろうから、仕方ない。
これでラートは斧槍も短剣も失った。もう武器は持っていない(と信じたい)。
距離の差もだいぶ開いた。いくらラートでも、あの甲冑では俺に追いつくのは無理だろう。
俺は足の速さにはちょっとだけ自信がある。
高校で陸上部の部長から直接スカウトされたことがあるくらいだ。
……「うちの部、オタクが多いから君もどう?」って理由だったけど。
まあいい。とにかく、もやはラートは脅威ではない。
脳筋とも、脳筋の振りかざす刃物ともおさらばだ。
優しい世界の到来だ。
万感の思いを胸に、俺は階段の最後の一段を踏みしめる。
〈21:21〉
ここまでで一分。
もちろん、実際にここに辿り着くまでに、体感時間ではその数百倍かかっている。
尊い犠牲の上に、ようやく。
俺は次のステージ、広場に辿り着いた。
一人で来るのは初めてだった。
ざっと周囲を見回すが、幸い人影はない。
広場の中央には女神らしき銅像がある。
薄い布を羽織った、耳の長い半裸の女性で、ペオルが成長したような感じだ。
ちょっと見惚れてしまうな。芸術的な意味で!
その女神の銅像を取り囲むようにして、石畳の道が放射状に六つ広がっている。
それぞれの通りに何かがあるとペオルが言っていたが、俺が覚えているのはひとつだけ。
薬品庫のある通り――これは神殿へと続く通りの、すぐ隣だ。
立ち止まっていると、召喚酔いの気持ち悪さがぶり返してきた。
今まではラートとの戦いによる興奮状態が上回って、吐き気を忘れていたっぽい。
急がなければ――すぐさま俺は薬品庫のある通りへ走りだした。
新たな局面に入り、様々な不安が頭をよぎる。
――薬品庫のだいたいの場所はペオルが示してくれたが、今回の一発で目的の建物にたどり着けるだろうか。
――あまり時間をかけると、ヨルたちに追いつかれてしまうかもしれない。
――いや。ヨルたちは俺が薬品庫に向かっているとは知らないんだ。大丈夫だろう。
――あれ? 「酔い止め薬が欲しい」ってバラしたような気が。
――いやいや、そのルートはもう使っていないから大丈夫。
などとぐるぐる思考をしていた俺は、蹄の音にまったく気が付かなかった。
そう。
馬に乗った男が、くの字に曲がった道の先から急に現れたのである。
俺はビビって引き返そうとするが、
「待て、お前!」
「はひっ」
初めて聞く声に命じられ、言われるがままに立ち止まった。
鎧を来た男は、ランプを左手に移し替え、右手で長剣を抜いた。
その姿にはかすかに見覚えがあった――ラガハマ将軍の官邸に来ていた伝令のひとりだ。
「その服……奇怪な。まさか、魔王軍の手の者か!? くそっ、もうここまで侵入してきていたとは」
剣を構える兵士に、俺は慌てて、
「ち、違うんです! 俺は勇者です! 異世界から召喚された! ヨル――ヨルガリアとかいう魔術師に呼び出されたんです!」
「なにぃ? ヨルガリア……あの魔女か。そういえば、そんな噂を聞いたことがあるな」
兵士は近付き、俺の顔をじろりと見る。
「なるほど。服装だけでなく、顔つきも珍しい。異世界人とはこうも目が細いのか?」
「い、いや~、実はそうなんですよ~」
「ふうむ……」
ほっとしたのもつかの間、兵士は俺の肩に長剣を載せた。
「妙な姿形をしているのは、魔物とて同じこと。真偽の程を確かめる必要がある。下手な真似をするな。このまま営倉まで行き、尋問を受けてもらう」
「は、はいぃ……」
「『勇者どの』だとしたら、申し訳ない。今は非常事態でな。だが、真の『勇者どの』ならば、我々が立たされている窮地も、こうしなければならない理由も、わかっていただけることだろう」
兵士は剣を一旦俺の肩から離し、「さあ、両手をあげ、後ろを向いてくれ。俺の命じる方へ歩くんだ」と言って、振り向いた俺の背中を剣先でつんつんと突いた。
ラートと違い、彼が問答無用に俺を殺さなかったことだけは、不幸中の幸いだろう。
営倉は、ラガハマ将軍の官邸を通り過ぎた場所にあった。
木と藁で作られた、粗末な長屋だ。
あちこち隙間だらけで、風に吹きざらしの状態になっている。
部屋の隅には「ここで寝ろ」と言わんばかりに、藁の山が置いてある。
兵士は別の兵士――おそらく看守だろう――に俺の身柄を預けると「待っていろ。すぐ人を呼んでくる」と言って馬で走り去っていった。
俺は時計を見る。
〈21:25〉
ああ、ちんたら歩いているから……。
定期的に馬の嘶きが聞こえてくる。近くに馬小屋があるのだろう。
というかこの営倉は、余った馬小屋を流用しているに違いない。
風に運ばれて漂う馬糞の臭いが吐き気を後押しし、俺は「オエッ」とえずく。
それを聞きつけた看守が部屋の窓――というか隙間――から、こちらを覗いてきた。
「おいあんた、大丈夫かい?」
「……あのー、すいません。酔い止め薬を持ってきてもらせませんかね」
「酔い止めだって? はは、なんだ。あんたも飲む口かね! 勇者かもしれんと言うから、どんな人間かと思ったら」
「オエーッ」また馬糞の臭い漂ってきた。「勇者じゃなくてもいいんで、酔い止め薬を……」
「そうは行かないよ、あんた。ここは酔った兵士が反省する場所なんだから! あんたも反省しなくっちゃね!」
ガハハと笑いながら看守は窓から離れていった。
俺はバタリと倒れこみ、溢れる涙と涎で藁のベッドを濡らした。
もう時計を見る気にもなれない。
しばらくして、何やら言い争いをする複数人の声が近づいてきた。
起き上がって窓に張り付くと、ヨルたち三人とラガハマ将軍ほか複数の兵士たちが、こちらに歩いてくるのが見えた。
「ですから! あれは本当に勇者なのです! わたしが召喚した! だから処分はわたしにお任せを!」
ヨルが身振り手振りを交えながら、ラガハマ将軍に主張している。
ラガハマ将軍は立派な髭を撫でながら、
「しかしですなあ、ヨル殿。もともと今回の召喚は軍の要請があってのこと。あなたが召喚したからといって、あなたに被召喚物をどうこうできる権利があるわけではない」
「召喚契約上は、そうなっている!」
「いや、魔術の細かい取り決めなど、わたしは知りません。これは単に社会常識の話ですぞ」
ラガハマ将軍は子供に諭すように言う。尚もヨルはぴょんぴょん跳ねながら、
「勇者に失礼な振る舞いをして、もしも協力を得られなくなったら、責任を取れるのですか!?」
「ホホ。あなたの口から『礼』という言葉出るとは」ラガハマ将軍は首を横に振る。「そもそもですな。あなたも知らないわけではありますまい。仮に異世界から稀人を呼ぶことに成功したとしても、すべての稀人が勇者になるわけではない。有史以来、召喚された稀人三百人に対し、勇者と認定されたのは六人だけ――でしたかな? まあ細かい数字はどうでもよいことです。ほとんどの稀人は凡人か廃人、悪ければ――」
「あれが凡人であるはずがない! わたしの施した術が……いや、現に、あれを止めようとしたらラートが、まったく歯が立たなかった! まるで赤子の手をひねるようだった!」
ラガハマ将軍の、眼帯をしていない片目が光る。
「そうなのか、ラート?」
ラートは兜の面をあげて頷く。
「ええ。かなりの腕前です」
「なるほど……元・百人隊長であるラートと互角以上に渡り合える」将軍はしきりに髭を撫でる。「なおさら危険だ。なおさら厳密に管理しなければならない 」
「なぜそうなるのですッ!?」と怒鳴るヨル。
「やましいことがあれば、逃げるはずはない。違いますか?」
飄々と言うドワーフの将軍。
「ええ」ラートが追従する。「言葉もなく逃げ出しました。あれは魔の者に違いありません」
――お前は言葉もなく俺を殺そうとしたよな! と、その場にいたらツッコみたかった。
「そ、それは何か理由があるはずです」ヨルが言いよどむ。「逃げ出すような理由……あるいは急がなければならないような理由が……まだ、我々に敵意があると決まった訳では……」
「苦しいですな。まあ、とりあえずは、そこのところを"尋問"するというのが、スジでしょうが」
将軍は、白いローブを着た少女の肩を叩いた。
「幸い、ここには回復役もいる。多少手荒くしても問題はなかろう」
「え、え、わた、わたし?」ペオルが慌てふためく。 「て、『手荒く』……はわわわ……」
将軍たちが間近に来たところで、俺は窓から顔を出した。
「おい!」一同は俺の方を向く。「よくも俺をこんな馬臭いところに閉じ込めてくれたな」
ラガハマ将軍は禍々しい笑みを浮かべた。
「あれが勇者か? 思ったよりも若い。威勢もいいな。教育のしがいがある」
「勇者? 教育? ふざけんな! 誰がお前らなんかに協力するもんか!」
「ほれ見ろ、怒っているではないか」
何故かドヤ顔をするヨル。
「お前もお前だ! 酔い止めも用意せずに召喚しやがって!」
「あ、そういえば」とヨルは小声で呟いて真顔に戻る。
「いいか、お前ら全員同罪だ! 罰として、俺は今から、ここに星を落とす!」
俺の言い放った一言に、場が静まり返った。
「星を落とす?」ドワーフの将軍が口を開いた。「はは、狂っているのではないのか、こいつ? やはり召喚は失敗だったな、魔術師殿よ」
付き添いの兵士たちも、嘲りの笑い声を上げる。
にわかに、夜闇が赤みを差し始めた。
「あ、あの……あれ、なんでしょうか……?」
ペオルが空の一方向を指差すが、俺のいる営倉からは見えない。
「な」ラガハマ将軍は同じ方角を向いて、口をぽっかりと開ける。「なんだあれは……」
ゴオオオオというジェットエンジンのような低い唸り声が聞こえる。
「何か、良くないものなのは確かです。凄まじい殺気を感じます」
ラートが将軍に囁く。
「ありえん……『星を落とす』……そんなことが本当に……」
将軍の顔に汗が浮かび上がる。
「馬鹿な! これは彗星魔術ではないか」ついにヨルの台詞が最後まで聞けた。「この短時間で詠唱も魔法陣もなしに……!?」
「ご」涙目のペオルが俺に近付いてきた。「ごめんなさいごめんなさい勇者さま。謝りますから止めてください」
あ、すげー罪悪感。
俺は窓から目を逸らした。
〈21:30〉




