10分間の生
オーケー、オーケー。大丈夫。何も問題ない。
ここはポジティブ・シンキングで行こう。
〈隕石以外の死に方でも、戻る〉
それがわかっただけでも良しとしようじゃないか。
当面は酔い止め薬をもらうことに集中しようと思っていたのだが、ちょっと予想外のことが起きて、取り乱してしまった。
あのとき、「既に遡ったあとか?」と、ヨルは俺に言った。
遡る――俺の身に起こっていることを端的に表す一言だ。明らかにヨルはこの時間ループについて、何かを知っている。
というか、あいつの仕業ということすら十分に有り得る。
どうもこの世界の召喚術は、単に異世界の存在を呼び出すだけではなく、呼び出す対象に何かオマケのような能力を付加できるらしいからな。召喚酔い防止とか、言語能力とか。
このループも、あの黒魔女が俺のために付加した能力なのかもしれない。
絶対にいつか問いただしてやるぞ(脳筋のラートさんを刺激しない形で)。
しかし、何はともあれ酔い止め薬だ。
今や慣れ親しんだ魔法陣の上に立ちながら、俺は決して慣れることのない吐き気と戦っている。
「おお、成功した……」
黒ずくめの丸眼鏡が何か嬉しそうに言っている。頭が割れそうな俺の苦しみも知らずに。
ここは我慢のしどころだ。不審な動きをすればラートを刺激する。
何か気を紛らわすことを考えなければ――
通学中の不愉快な満員電車とかでは、こういうときスマホを取り出すんだけどな。流石にこの場でソシャゲを始めちゃったりするのは怪しまれるだろう。
そういえば、今まで自分の装備を気にしたことはなかったが、元の世界で身に着けていたものは大体こちらの世界に持って来れているようだ。
学ランにダッフルコートという服装はそのまま。財布とスマホも、ズボンのポケットに入っているのが感触でわかる。腕時計も左手首に巻かれたまま。
時計――そうだ、時間を確認しておこう。
スマホを取り出すのは不自然だが、自分の時計をちらりと見るくらいは問題無いだろう。
俺は左手首を回して、腕時計の文字盤を確認する。
〈21:20〉
そうだ。この時間帯、予備校から帰っている途中だったな。家では温かい晩ご飯が待っているはずだったのだ。しかし、晩飯を食ってから召喚されていたら確実に吐いていただろう、この吐き気。不幸中の幸いか?
あっ。学校鞄がないことに気付いた。魔法陣に飛び乗ったとき、一瞬だけ身体から離れたのかもしれない。今頃、元の世界では道路の上に俺の鞄が放置されているのだろうか……。まあ、あれは勉強道具ぐらいしか入ってなかったからいいか。
「彼方から訪れた稀人よ。わたしは今回の召喚の儀を執り行った宮廷魔術師、ヨルガリア=ブーグルト。ヨルとお呼びください」
ヨルはとんがり帽子を外し、軽く一礼した。
「稀人よ、あなた様の名前は?」
「……入須。名前はイリスだ。フルネームは……どうせ発音できないだろ」
俺は苗字を名乗った。ヨルたちは西洋式にお互いを名前で呼び合うみたいだが、義時という武将みたいな名前よりは、入須の方が西洋っぽい。邪神みたいでカッコいい。
「ほう、やはりそういうものですか、稀人のお名前というものは……」ヨルは感心したように頷く。「いやはや、イリスどの。よくぞ、この世界においでくださいました」
再び吐き気の波が襲ってきた――しかし、ここで弱みを見せたら、俺に気を遣うペオルは薬を取りに、俺に興味を失ったヨルはノートを取りに行って、そして二人が去ったあとにはラートと俺だけが神殿に残されてしまう。
あの脳筋と二人きりになるのは勘弁願いたい。
「……ヨル。挨拶はいい。俺を呼んだ理由があるんだろ?」
ヨルは、ハッとした表情を浮かべ、跪いた。ペオルとラートもそれに倣う。
次にヨルが顔を上げると、そこには完全な無表情が浮かんでいた。
「誠に勝手ながら、どうしてもあなたのお力が必要な案件があり、召喚の儀によって、この地に来て頂きました。実は、我ら亞人国家連合は、かつてない窮地に立たされているのです。魔王ザンク=パムライ率いる魑魅魍魎の軍隊が暗黒大陸を出て他国への侵攻を開始したのが四年前のこと。今では連合に加盟していなかったハイエルフやマーフォークの国々が陥落し、ついに奴らの魔の手が我らの領土の目と鼻の先まで――」
ヨルの棒読み台詞が長くなりそうだったので、俺は躊躇なく割り込んだ。
「皆まで言うな。俺に魔王を倒す勇者になれと言うんだろ。わかっている。魔王軍の悪逆非道は俺の世界にまで伝わっている。許せん。必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬ。今すぐにでも戦場へ走り出したい――」
これぐらい戦意をアピールすれば脳筋の人も納得するだろう。
俺はラートをちらりと見たが、兜をかぶっているので表情はわからない。
その横でペオルが「おお、勇者さま……!」と感激していた。まあいいか。
「――そのためにも、早く戦況を把握したいところだ。しかし、ここは落ち着いて話をするような場所ではないように見えるな?」
俺が何もない神殿の広間で両手を広げると、ヨルは赤面し、慌てて立ち上がった。
「これは失礼しました、イリスどの……いや、勇者どの。いま、砦の中をご案内します。行くぞ、ペオル。ラートも後ろから付いて来い」
黒魔女ヨルに先導され、俺たちは神殿の外の階段を降りていく。
ラートは俺を逃げないように背後で見張っているのだろう。
階段の両脇には点々と松明が灯っていた。明かりに照らされた腕時計の針は、
〈21:23〉
を示している。
「勇者さま、あのぅ」白いローブが俺の横に並んだ。「……あっ、わたし、侍者のペオル=ターパーと言います。あの、勇者さま、さっきから腕に巻いてるものを見ていらっしゃいますが、それは何ですか?」
「え? ああ、これは時計だよ」
「ええっ、そんなに小さなものが!?」ペオルが驚きの声を上げる。「わたし、小さい頃からあちこちの教会で色んな時計を見てきましたが、そんなに小さな時計、見たことないですよ! ここの礼拝堂にある時計だって最先端の振り子式ですが、持ち歩けるほど小さくはないです。それ、いったいどんな仕組みなんですか?」
教会と時計の繋がりが一瞬よくわからなかったが、お祈りの時間とかを鐘で知らせるために必要なのだろう、たぶん。
「水晶に電圧をかけてその振動で……まあ、電気だね」
気持ち悪さで頭がボーッとしている俺は、適当に答えた。
「すごい! 勇者さまは雷電術師なんですね!」
「ああうん、そうそう。今度、雷を落とすところ見せてあげるよ」
「え、勇者さまの魔術を!? やったー!」
見た目の年齢は俺と大差ないペオルが、子供のようにはしゃぐ。
無邪気で可愛いのは結構だが、こっちが召喚酔いの苦しみと戦っているときに楽しそうな他人を見るのはちょっとだけイラッと来るものがある。
「なあ、ペオル。礼拝堂があるくらいだ、ここには食糧や薬も取り揃えてあるんだろ?」
「ええ、もちろん!」白いローブの少女は小さな胸を張って言う。
俺たちは神殿前の階段を降りきって、大きな広場に出た。
「食料庫、薬品庫、武器庫に書物庫……市場だってありますよ!」
広場で踊るように、あちこちの通りを指差すペオル。
普通の住居らしき建物も多くあったが、明かりが付いているものは少ない。
まあ、魔王軍と戦っている最前線の要塞都市なんて、誰も住みたくはないか。
「このマィアウリスの丘は歴史が古いんです。元々は三百年ほど前の戦争で蛮族が作った野営地だったんですが、跡地に人が住み始めて――」
なんか歴史講座が始まりそうだったので、俺は慌てて中断した。
「そうなんだ、すごいね! じゃあさ、酔い止めの薬とかあったら、持ってきてくれないかな? 実は、召喚されてからずっと気分が悪くって!」
「えっ! 召喚酔いですか!?」急に青ざめるペオル。「ヨ、ヨルさん、ヨルさん!」
ペオルはヨルとごにょごにょ話し合った後、すぐに薬品庫の方へ走り去っていった。
「ふむ、勇者も召喚酔いになるとは……」と呟くヨルを俺が睨んでいると、「おっと、失礼。薬はすぐに持ってこさせます。我々はこちらの館へ」
ヨルの手の先には、二階建ての大きな煉瓦建築があった。
館の門は開かれているが、さっきから慌ただしく鎧を着た兵士たちが出たり入ったりしている。
門を出た兵士が馬に乗るところから察するに、彼らは伝令だろう。
とすると、この場所は軍事的に重要な建物ということになる。
ヨルが守衛と話をつけている間に、ペオルが酔い止め薬を俺に持ってきてくれた。
今回は薬を持ってきてくるのが早い気がする……ああ、神殿を降りて薬品庫が近付いたからか。
門をくぐりながら、俺は腕時計を一瞥した。
〈21:27〉
「これはこれはヨル殿」
立派な髭を蓄えた、ちっさいおっさんが喋る。この期に及んで新キャラ登場だ。
俺より背が低いとはいえ、片目の傷が眼帯で覆われていて、かなりの風格がある。
ペオルがエルフだとしたら、こいつはドワーフってやつだろう。
「こんな時にいかがされました。ご覧のとおり、今は会議中ですぞ。用件なら手短にお願いしたいものですな」
部屋の中央には正方形の大きなテーブルがあり、その上には地図が広がっていた。
チェスの駒のようなものがあちこちに散らかっているところを見ると、地図は戦場を表しているのか。
テーブルを囲むおっさん達の鋭い睨みを受け流し、ヨルが口を開く。
「勇者どのを召喚したのですが、さっそく戦況のことをお聞きになりたいとおっしゃって……」ヨルは頬をぽりぽり掻く。「わたしはそういったことには疎いので、あなたがやってくれるとありがたい、ラガハマ将軍」
勇者、という言葉をヨルが発した瞬間、部屋中がざわついた。
「おお、なんと!」
「まさか、本当に……」
「お伽話ではなかったのか!」
口々に騒ぐおっさん達を制して、眼帯のおっさんが言う。
「素晴らしい! 勇者召喚に成功するとは……ヨル殿、あなたは一流の魔術師でいらっしゃる。これで戦況が覆りますぞ!」
その言い草では、勇者の戦力はあまりアテにされていなかったようだな。ヨルの魔術師としての腕は、信頼に足るものではなかったらしい。
「して、肝心の勇者どのは?」
ヨルがすっと横に動き、俺の姿を衆目に晒す。
「あ、どうも。勇者のイリスです。どもども」
俺は部屋中のおっさんにペコペコして握手を交わす。
酔い止め薬が効いてきたのか、頭がすっきりして気分がいい。
「勇者イリスどの! お逢いできて光栄です」眼帯のおっさんが右手を差し出した。「わたしはこのマィアウリス要塞で司令官を務めている、ラガハマ=ナーメンと申します。以後、お見知り置きを」
「これはどうもご丁寧に、ラガハマさん。短いお付き合いになりますが、どうぞよろしくお願いします」
俺とラガハマ将軍が握手を交わしていると、テーブルの上の駒がカタカタと震え始めた。
振動は段々と大きくなり、テーブルやイスも目に見えて動き出す。
そして今や、部屋にいる誰もが、ゴオオオオというジェットエンジンのような低い唸り声を耳にしていた。
「なんだこの音は?」
ラガハマ将軍が不審に思って、窓を塞いでいたカーテンをさっと開く。
紅蓮色に染まった空を見て、彼は口をぽかんと開けた。
彼だけでなく、部屋中の誰もが言葉を失った。
ヨルも、ペオルも、ラートも。
ただし、俺だけは除いておく。
俺は時計の文字盤を見ながら、こう言った。
「ああ、これは隕石が落ちてくる音ですよ」
〈21:30〉




