召喚酔いも醒めぬ内に
全身を悪寒が襲った。くらくらと眩暈がする。
頭の内側からアイスピックで突かれるような痛みを覚えた。
風邪を引いて高熱を出したときの気分に近い。
「うぅ……」
うつむいたまま、俺は目を見開いた。
足下には先程と同じ模様があり、その輝きがみるみるうちに失われていくところだった。
しかし、模様が描かれている床の材質が、さっきから変わっていた。
床が、アスファルト舗装の道路ではなく、大理石のタイルになっている。
顔を上げれば、外灯を切らした電柱もなくなり、代わりに大理石の柱が並んでいた。
両手では抱えきれないほどに太い、荘厳な装飾のついた柱だ。
世界史の教科書に載ってた遺跡――ギリシャのパルテノン神殿だっけ?――の、天井がなくて柱だけがある感じだ。
四方を囲む柱の向こうには壁がひとつもなく、ただ満点の星の夜空が覗き、ぬるい風が俺の頬を撫でている。
急に夏になったかのような蒸し暑さ。外からはザワザワという虫の音がうるさいほど聞こえる。
頭を抱えながら周囲をきょろきょろと見回すと、三つの人影が遠巻きに俺を見つめていることに気付いた。
黒いローブ、白いローブ、そして甲冑を着込んだ人間。
柱に括りつけられた松明によって、三人の一様に浮かべる驚きの表情が照らされている。
真ん中の一人、黒いローブを羽織り、とんがり帽子を斜めに被った女が呟いた。
「おお、成功した……」彼女は大きな眼鏡を指で持ち上げながら言った。「ついに成功したぞっ……構想十年、制作三年の究極召喚魔法が……!」
髪まで黒い、全身黒ずくめの女――というよりは少女と言ってもいい、低い背丈だった――は、満面の笑みに表情を変え、一歩俺に近づいた。
「彼方から訪れた稀人よ。わたしは今回の召喚の儀を執り行った宮廷魔術師、ヨルガリア=ブーグルト。ヨルとお呼びください」
彼女はそう名乗ると一礼して、
「稀人よ、あなた様の名前は?」
不思議な感覚だった。
明らかに彼女が喋っている言葉は日本語ではない――もちろん英語でもない――のに、彼女が何を言っているかを頭で理解できた。
そういうわけで、自分の名前を聞かれたということがはっきりとわかった。
「い……入須義時」
「イ・イリス・ヨスィ……?」ヨルは舌を噛んだ。「むぅ……やはり稀人のお名前は発音が難しい……失礼ながら、しばらくは便宜上、『勇者どの』と呼ばせて頂いても?」
そこまで聞いて、なんとなく俺は状況を察した。
ラノベやアニメで何度も見たことがある展開――異世界に召喚されたしまったというわけだ、この俺自身が。
冗談みたいな状況で笑ってしまいたくなる――しかしまだ頭痛が酷くて、微笑むことすらできない。
とりあえず黒ずくめの女に返事をしようと、俺は口を開いた。
「ああ、別に……」しかし言葉とは別のものが口から出そうになり、咄嗟に右手でそこを押さえた。「うっぷ」
ヨルの隣に立っていた、白いローブの少女が俺の隣に駆け寄ってきた。
頭巾を後ろに下ろし、銀色の長髪と、ぴんと伸びた長い耳を覗かせる――おいおい、この娘はエルフか何かか?
彼女は緑色の瞳で、うつむく俺の顔を下から覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」そう言って、黒ローブの方を向き、「あの、ヨルさん。勇者さん、とても体調が悪そうなんですけど……」
俺はうんうんと頷いた。
「……めっちゃ気持ち悪い。とりあえず水か何かください……」
「ふむ」黒いローブの少女ヨルは、呻く俺を見て面白がるように言った。「勇者も召喚酔いになるものなのか。酔い止めの魔法陣も一緒に織り込んでおくべきだったな。これは忘れないうちに研究ノートに記録しておかなければ」
「……ねえ、俺の話聞いてます? 頭が割れるように痛いんですけど……水……」
「おっ。そうでしたな」ヨルは思い出したように言う。「しかし申し訳ない、勇者どの。召喚酔いを治す白魔法はかなりの高僧でなければ使えないのだが、この場には見習いの侍者しかいない。まあ、召喚酔いは自然治癒するものだから、しばらく待っていれば……」
「あ、あのっ」白いローブのエルフ娘が口を挟んだ。「酔い止め薬なら、薬品庫に置いてあると思います」
「なんだ、そうだったのか。早く持ってきてくれ、ペオル」
「はいっ」
ペオルと呼ばれた銀髪の少女は、柱の間を抜けて神殿前の階段を降りていった。
とりあえず何かを持ってきてくれるらしい――そうわかると気が抜け、おれはその場にバタリと仰向けに倒れた。
神殿の空を覆う一面の星が視界に飛び込む。大理石の冷たさが服越しに伝わってくる。
しかし、頭と腹の中は相変わらず熱いほどに気持ち悪い。
ヨルの平坦な声が上から降ってきた。
「ふむ。この調子では、勇者どのは今日は動けそうにないな。ラート、念の為に、勇者どのが逃げないように見張っておけ。わたしはちょっと研究室までノートを取ってくる」
「御意」
ラートと呼ばれた甲冑人間は、身の丈を超える巨大な斧槍を構え直した。
ペオルに続いてヨルも階段を降りると、神殿は俺とラートの二人だけになった。
ラートは言葉をまったく発さず、置き物のようにぴくりとも動かない。
俺は我慢できず口を開いた。
「……あの、どこか横になれる場所はないですかね? できたら硬い床以外に」
その瞬間、ラートは斧槍をブンと一回転させ、切っ先を俺の首筋に突きつけた。
「動くな。少しでも不審な動きをしてみろ」兜の面を上げ、鋭い眼光で睨んだ。「即、首を撥ねる」
驚いたことに、ラートは女性だった。それもかなりの美人の部類だ。
浅黒い肌で、艶のある黒髪をしている。ラテン系美女といった感じだ(この世界にラテンという概念があるとは思えないが)。
背丈があって、身がキュッ引き締まっているので、モデルとかできそうである。
――と、普段の俺ならそこから色々と妄想が広がるところなのだが、急に到来した命の危険のために妄想をストップせざるを得なかった。
「いやいやいや、あの、全然変な意図はないんですよ! ただ、ちょっと気分が悪いから、どこかベッドとかあったらいいなーって! 希望を! 希望を述べただけ……うっぷ」
必死に吐き気をおさえ、涙目になりながら俺は言い訳をした。
「勇者などと呼ばれていい気になるな。わたしはまだお前を信頼していない。お前はまだ戦ってすらいないのだからな」
ラートが喋るたび、振動で斧槍の切っ先が、俺の首をちくちくと突いて痛い。
「……あの、やはり、戦争をやっているんですか。相手は……魔王軍とか?」
「うむ」とラートは頷き、やっと斧槍を引いてくれた。「丘の下を見てみろ」
よろよろと起き上がろうとする俺を見かねたのか、ラートは肩を貸して立たせてくれた。
ラートに支えられながら柱に片手をつき、そのとき初めて神殿の外が見えた。
見下ろした世界は、どこまでも戦火が広がっていた。
さっきから聞こえていたザワザワという音が虫の声などではなく、戦場から届いてくる騒音であることに俺は気付いた。
米粒のように小さく見える黒い点が地平線まで無数に広がり、犇めき合っている。
よく見れば、そこかしこに建っている戦旗の紋章から、その集団は二種類のものから構成されているのがわかった。
「あれが魔王軍だ」ラートは遠方の一軍を指さす。「対面しているのが、我らが亞人連合。そしてここが、我らの領土を守る最後の砦」
丘の中腹には、無骨な石積みの建造物が端から端まで並び、巨大な監獄のような威圧感を与えていた。
この神殿も砦の一部であり、宗教的な理由か何かで、丘の一番高いところに作られたということだろう。
「数では我らの不利にある。何もしなければ、もう間もなく戦線は崩れるだろう」
ラートは己の感情を抑制するように、目を細めてそういった。
彼女の顔をよく見れば細かい傷跡がいっぱい残っている。
きっと何度も戦場に立ち、何人もの戦友を失ってきたのだろう。
「だからお前は召喚されたのだ。盤面を覆す最強の『駒』、七代目勇者の候補として」
よくある話だ。
とてもよくある話だ。
こうなることは薄々感づいていた。
ラノベでもアニメでもありふれた展開だ。
異世界に召喚された以上は、そういう役割が回ってくる。
それはコーラを呑んだらゲップが出るくらい当然のことなのだ。
わかっていた。
わかっていたのに。
それでもこうして、いざ俺にそういう番が回ってくると――
どくん。
どくん。
高まる胸の鼓動が、『召喚酔い』の気持ち悪さを上回った。
「俺が選ばれた――勇者に」
「そういうことだ」ラートは頷いた。「その目は、戦う意志があるということか?」
ラートが赤銅色の瞳でまじまじと見つめてくるので、おれも空気に飲まれて思わず頷く。
すると彼女は斧槍を左手に持ち替え、右手を俺に差し出した。
「戦士のラート・ポイナーだ。まだお前を勇者と認めたわけではないが、同じ敵と戦う以上は戦友になる」
「あ、ああ。よろしく頼む」
「うむ」
乗せられてラートと熱い握手を交わした。
しかしラートの握力はバカみたいに強く、意識してかしないでか、万力みたいに俺の手を締め付ける。
そのうえ何秒もブンブン腕を振ってくるので、だんだんと召喚酔いの気持ち悪さがまたぶり返してきた。
そろそろラートさんの鎧にゲロがかかって俺が瞬殺されてしまうのではないかなーという不安が頭をよぎった頃、
「あっ。ラートさんずるい。わたしまだ勇者さまと握手してないのに!」
天使のような少女の声がした。
ラートはぱっと俺の右手を開放し、そこに血の巡りが戻ってくる。
「ペオルか」
先ほどの白いローブの娘が神殿に戻ってきたのだ。その手には青色の液体が入ったガラス瓶が握られている。
「勇者さま、申し遅れました。わたし、侍者のペオル=ターパーと言います。酔い止め薬を持ってきましたよ」
ペオルは薬瓶の蓋を取り、俺に手渡ししてくれた。
その手と俺の手が触れ合ったとき、「不味いので、一気に飲んだほうがいいですよ」といって彼女は微笑んだ。
「あ、ありがとう」
こんなにかわいい女の子にこんなに優しくされたことのない俺は、先ほどとは違う理由で鼓動が高まるのを感じた。
酔い止め薬の青い瓶を見る。量は100ml程度だろうか。確かにこれくらいなら一気飲みできるだろう。
おれは覚悟を決め、風呂あがりにコーヒー牛乳でも飲むかのように腰に手を当て、ペオルのアドバイス通り薬を一気飲みした。
ごくりと液体が喉を通る。
なるほど、ドクターペッパーのような味だ。人によってはこれを不味いと評するだろうが、俺は嫌いではない。
「ん?」
酔い止め薬の瓶をくわえて星空を仰いだとき、おれはあることに気付いた。
「あの、ペオルさん」空になった瓶を手渡しながら尋ねる。「ひとつ聞いていいかな?」
「はい、なんでしょう?」
「この世界には月が二つあるのかい?」
「まさか! いつもお空にお月さまはひとつしかありませんよ。あっ、もしかして、勇者さまの世界ではお月さまが二つもあるんですか!?」
ペオルはお伽話を聞く子どものように目を輝かせて、長い耳を前後に動かす。
「いや、そんなことはないんだけど……じゃあ、あれはなにかな?」
俺が指差す夜空の一方に、ひときわ大きく赤く輝く星が見えた。
明らかに普通の星の大きさではなかった。というか、月よりも大きい。
「星の名前ですか? わたしはだいたいわかりますよ」ペオルが自慢気に言って、夜空を見上げる。「どれですか?」
「ほら、あれあれ」
「あー、あれはですねー……あれ。えっ?」
ペオルが絶句した。
赤い星はどんどん大きくなっていく。
しかも、星は丸い形をしていなくて、後ろに尾を引いている。
こちらに近付くに連れ、昼のように辺りを赤く照らしている。
遠くにあるときには戦場の音で気づかなかったが、ゴオオオオというジェットエンジンのような低い唸り声をあげている。
いまや戦場の兵士たちも敵味方問わず、空を走る赤い星を見上げ、剣を振るう腕を止めている。
「えっ。あれ。なんでしょうか?」ペオルが苦笑いを浮かべる。「ラートさん、あれが何かわかりますか?」
「いや、見たことがない。ひとつだけ言えるのは――良いものではない。凄まじい殺気を感じる」
ラートは斧槍を構え、俺たちを守るように一歩前に踏み出た。
そのとき、階段をたったったと駆け上る音が聞こえてきた。
羽根ペンとノートを片手に持った黒ずくめの魔法使い、ヨルが神殿に姿を表した。
「おい、何の音だ? 騒がしいぞ? 勇者どのに何かあったら……」ヨルは俺の指差す方向を向き、口をぽっかりと開けた。「馬鹿な! これは彗星魔……」
――――
ヨルが最後まで言う暇もなく、その場にいた四人は一瞬で蒸発した。
ついでにいうと、爆心地である神殿から半径10km以内に立っていたものは、有象無象の区別なく爆風と衝撃波によって薙ぎ払われた。
その日、砦防衛戦に参加していた亞人連合軍一万五千、魔王軍二万三千の兵の命はすべて露と消えた。




