プロローグ
読み飛ばし可。
日はとっくに落ちていた。暦の上では春になったと言っても、夜はまだまだ肌寒い。
学ランの上からコートを羽織っててもかなわない。突き刺すように冷たい風が頬を撫で、俺は思わずコートの前を閉じた。
放課後、予備校に立ち寄り、三時間の自習を終えてからの帰り道だった。
最近は友人たちの遊びの誘いもきっぱりと断り、ずっとこの調子だ。
趣味だったラノベもアニメもゲームもすべて受験が終わるまでおあずけ――そう自分で決めたのだ。
なにしろ俺は、二年生の間に模試で志望校にA判定を出さなければならない。
今までは最高でもB判定までしか出したことがないのだ。
二年生もあと二ヶ月で終わってしまう。次の模試が最後のチャンスである。
両親は大学など行っても意味は無い、と俺に言う。
「うちにはカネがないんだから」「高校を出たらすぐ働け、義時」といつも言われてきた。
その都度俺は「俺は大学に行って勉強がしたいんだ!」と反論し続けてきた。
嘘である。
はっきり言って、俺だって大学に行く積極的な理由はない。
ただ単に、まだ働きたくないというのが第一の理由である。
小中高の十二年間も勉強を強制され続けてきたのに、それをまだあと四年間続けたいなどというのは、頭がおかしい人間の妄言だ。
しかし、大学生の従兄弟に聞いたところによると、大学というのは「遊ぶ場所」だということである。
授業などすべてサボって、一日中友人と麻雀したり、一日中彼女といちゃいちゃしていても、
「単位」というよくわからないものを「教授」という偉い人に土下座してゲットしさえすれば、卒業はできるらしいのである。
つまり。
俺も大学に行って、いっぱい遊びたい。女の子といちゃいちゃしたい!――というのが本音だ。
中学高校と部活に入らず、オタク友達とひたすらオタク活動に打ち込んできた俺は、当然のことながら彼女いない歴=年齢の童貞ボーイである。
従兄弟は、そんな俺でも大学では彼女を作るチャンスがある!――と教えてくれた。
大学には女子がいっぱいいるし、新しい人間関係はゼミやサークルでいっぱい作れる。
ところが逆に就職してしまえば、仕事場だけの狭い人間関係で世界が閉じてしまい、彼女を作るチャンスが著しく減ってしまうのだという。
お前のようなオタクが彼女を作るには、大学生の間しかもうチャンスはないのだ――と真剣な表情で教えてくれた。
そういうわけで、両親を説得するべく、俺は「大学行くのと行かないので生涯年収が全然違うだろ」と統計資料を示しながら熱くプレゼンを行った。
統計資料は官公庁のホームページから拾った本物だったが、はっきり言って本当は大学を出ても就職するかどうかなどまじめに考えていなかった。
その場しのぎの方便でしかない。
それでも、あれだけ頑固だった両親は俺の熱意についに負け、三つの条件付きで大学受験を認めてくれた。
「学費の半分は自分でバイトして稼ぐ」「下宿するなら生活費は自分で稼ぐ」
そして「高校二年生の間に志望校A判定を出して、確実に受かると証明してみせる」というのがその条件だった。
もしA判定を出せなければ、高校三年生は就職活動に専念しろ、ということだ。
お金のことを考えると必然的に、学費が安くて実家から通える地元の国立大学を受験するしかなくなる。
その大学は結構な偏差値が必要とされるが、俺は覚悟を決めてラノベもアニメもゲームも絶ち、二年生の夏から真面目に勉強を始めた。
今ではその甲斐もあって、最初はEだった判定もBを安定して出せるようになってきた。
あと少しだ。
あと少し――大学デビューし、女の子といちゃいちゃするまでの、いましばらくの辛抱である。
勉強でいい感じに疲れた頭に、不純な妄想が次々と浮かび、俺はにやにやしながら足を進めていた。
ふと、自分がいつも歩いている、見慣れたはずの帰り道に、なんだか違和感を覚えた。
違和感の原因はすぐに見つかった――道沿いに並んでいる電柱、その中のひとつの外灯が切れているせいで、道の途中にぽっかりと闇が生まれているのである。
そして不思議な事に、明かりが消えているはずなのに、その電柱の下、道のど真ん中に「落書き」があった。
暗闇で物が見えるはずがない――それでも、その複雑な模様の落書きが見えたのは、落書き自体が光を放っていたからである。
落書きの発する輝きはオパールのようで、時々刻々と虹色の変化を見せた。
「なんだこれ……?」
子どもの落書きだとしたら、なかなか凝ったものだ――感心して俺は落書きに近付いた。
蛍光塗料を使ってもここまでの光を発するものだろうか?
それとも俺が勉強のし過ぎで、幻覚が見えるようになったのだろうか?
落書きを近くでまじまじ眺めてみれば、ファンタジーのRPGによく出てくる魔法陣とかに似ていることに気付いた。
「乗ったら異世界に飛ばされたりしてな」
俺はひょいと落書きの上に乗ってみた。その瞬間、頭をガツンと殴られたような衝撃が襲った。




