表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/25

夢オチヤッター!

「――時間が余ったか」低い声が頭に響いた。「じゃあ、次の単元の予習しとこう。みんな、223ページを開け……開いたな。川原崎、序文のところ音読しろ」

「はい」と女子が答え、椅子を引いて立ち上がる。「――ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて……」


 俺は自分の腕から顔を上げ、周囲を見回した。

 教科書。机。鞄。制服。廊下。窓。青空。

 見覚えのある風景。

 ――教室だ。授業中のありふれた風景。

 教壇には黒岩先生が立っている。古文の担当だ。


 俺は混乱しつつ、とりあえず涎を制服の袖で拭き取る。


 砦や神殿の面影はどこにもない。

 黒魔女もエルフも甲冑も誰もいない。

 誰がどう見ても、ここはファンタジー世界ではない。


 俺は戻ってきたのだ――現実世界に。


(やった!)


 嬉しさのあまり小声で呟き、俺はガッツポーズを決める。

 夢だ。すべては夢だったのだ。

 そりゃそうさ。


 異世界に勝手に召喚されて、体調は最悪でコミュニケーションもままならず、右往左往しているうちに巨大隕石が降ってくる――そんなわけがない!

 死んだと思ったら時間が巻き戻って、再び隕石が降ってくるのを待つだけの無限ループに陥る――そんなわけがない!!

 この俺が実はクローンで、元の世界には居場所がない――そんなわけがない!!!


 どれもこれも、不条理過ぎる!

 そんな不条理は悪夢に決まってるじゃないか。

 当然だ。


 あー、よかった、よかった。

 これはあれですねー、夢オチってやつですね。

 フィクションでは最悪の一手とされるけど、今この瞬間に限っては何も文句はありません。自分の身に振りかかる不幸が夢オチで文句言う奴いるか? いねえだろ。


 夢オチばんざい! 

 さよなら不条理!

 ただいま日常!


 俺はニコニコして教科書のページを捲った。川原崎が音読していたところは、えーっと、「方丈記」だな。

 黒岩先生の授業は、基本的に生徒を席順に当ててゆく。河原崎の席は廊下側前方で、窓際後方の俺とは真逆に位置する。今回の授業ではたぶん俺の席まで指名が進むことはないだろう。でもたま~に黒岩先生は居眠り防止のためとか言って、ランダムに生徒に質問をぶつけたりすることもあるから、油断はできん。念のため、準備はしとかんとな。俺が寝ていたところを先生に見られていたら、目をつけられたかもしれん。ま、学校で教える範囲を既に一通り勉強済みの俺にとっちゃ、どんな質問が来ようと怖くはないが……。


「――はい、そこまで」黒岩先生が川原崎の音読を中断させた。「まあ、鴨長明による有名な随筆だ。この冒頭部分は、結構聞いたことのある人も多いんじゃないのか? 鎌倉時代の動乱期に書かれたもので――いや、歴史的背景については、おいおい解説していくとして……とりあえず次は――河本こうもと、今のところの現代訳を読み上げてくれ」


 教室にしばらく沈黙が流れた。


「……河本?」


 黒岩先生が老眼鏡を外し、指名された女子生徒の席を見る。


 その生徒――河本唯こうもとゆいはしかし、立ち上がろうとすらしない。


 河本は成績優秀者の常連だ。黒縁の眼鏡に切れ長の目は冷たい印象があるが、実は隠れ美人としても有名。男子の間で密かに作られた学年女子人気ランキングの常連でもある。そのためか、生徒会選挙では立候補していないにもかかわらず推薦票を大いに集めてしまった。本人は会長を辞退したものの、生徒会の強い希望で結局は公式に生徒会書記を務めることとなった。


 その優等生キャラ女子代表である河本が、黒岩先生の指名を無視し、ただ挙動不審げに、左右をキョロキョロ見回している。

 珍しいこともあるものだ。

 俺と同じように、居眠りでもしてたのだろうか?


「どうした河本、居眠りか?」と、黒岩先生にまで言われてしまった。


「……あー……」と、河本は呆けたように声を上げる。


「まだ寝惚けているのか、河本?」黒岩先生は仕方ないな、といったふうに笑いながら顔を左右に振った。「223ページの『方丈記』だ。序文の現代語訳のところを読んでくれ」


「…………」


 ようやく河本は机の上の教科書を開き、ページを捲り出した。その表情には、いつもの優等生らしからぬ焦りが浮かんでいる。ページを捲るたび、目を丸くしている。どんどんページを捲る手が加速していく。なぜか、そのまま河本は最後のページまで教科書を捲り終え、閉じてしまった。そして今度は、自分の顔を自分の指でペタペタ触りだした。まるで生まれたての子どものようだ。


「河本? 立ち上がって音読してくれ、223ページの――」


 ――がたん!


 河本は急に椅子を引いて立ち上がった。

 そして教室を見渡し、大きな声でこう言った。


「今すぐそこから逃げて。彗星が落ちてくる」


 その真に迫った様子に、教室のみんなが息を呑んだ。生徒が口々に(どうしたの河本さん?)(今なんて言った?)と囁き出す。そして俺は、おそらく俺だけは、河本の発した言葉に戦慄を覚えていた。

 ――彗星。

 そのキーワードを聞いた瞬間、夢がフラッシュバックしていた。俺はまた隕石が落ちてこないかとヒヤヒヤして、教室の窓の外を眺めた。


 ざわつく教室の中、黒岩先生が首を傾げ、河本にこう尋ねた。


「すまん、河本。何を言っているのかわからんぞ。えー、とにかくだな。223ページの現代語訳を――」


 そのとき、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。次は昼休みだ。


「――おっと、今日の授業はここまでだな。次回からしばらくは『方丈記』だ。みんな、予習は勿論のこと、余裕があれば歴史背景も調べておくように」黒岩先生は教材をまとめながら、河本に笑いかけた。「河本、夜遅くまで勉強するのは結構だが、授業中の居眠りには気をつけろよ。じゃあ、日直」


 黒岩先生に促され、日直が号令をかけた。教室の生徒が起立・礼・着席のルーチンを済ませる。河本も何事もなかったかのように、黙って俯いたまま、再び着席する。


 先生が教室を退出すると、生徒たちもぱらぱら立ち上がり、食堂かグラウンドか、思い思いの場所に散らばっていった。授業終わりに起こったちょっとした珍事も、昼休みの開放感の前には些細なことだったのだろう。教室はすっかり日常のざわめきを取り戻していた。


 ――なんだ、何も起きないじゃないか。河本のやつ、驚かせやがって。


 俺はホッとひと安心して、席を立った。そこに、


「入須氏、入須氏~! はやく屋上に行くでござるよ~! 我々の昼メシを食べる場所がなくなるでござる!」


 と、小太り男がウザい口調で話しかけてきた。俺の友人、佐々木である。昼食は弁当組と食堂組に分かれるわけだが、いつも俺がつるんでるオタク仲間の中では、俺と佐々木だけが弁当組だ。いつも二人で一緒に弁当を食う。そしてどちらもこだわりのあるオタクなので、景色のいいところで飯を食べたくなる。しかし屋上などは昼メシの人気スポットのひとつだから、あっという間に座る場所がなくなってしまう。


「おう。ま、屋上空いてなかったら便所飯にするか」

「ちょ、冗談でもそれは勘弁でござる……拙者、中学生の頃リアルに便所飯やったことあるでござるよ……」

「マジか……じゃあ仕方ない、走るぞ!」

「把握でござる!」


 というわけで若者特有のノリで屋上まで駆け足で階段を登り、俺と佐々木は一番乗りで屋上のベンチを占有することができた。息を切らしながら、二人並んで弁当箱を包みから取り出し、膝の上に置く。箸を進めながら、他愛もないオタク話に花を咲かせていた。そんなとき唐突に、


「――ところで、さっきの授業中、河本氏の様子が変でしたな。何やら謎の言葉を吐いてましたが、一体なんだったのやら」

 と佐々木が言い出すので、俺の頭に再び、隕石の悪夢がフラッシュバックした。

「さあな。居眠りして悪い夢でも見てたんじゃないのか?」俺は箸を動かす手を止める。「実を言うと、俺もさっきの授業中、居眠りして悪い夢を見てたんだ……いや、今思うと、結構笑える夢かもな」

「ほほう。どんな夢でござるか? もぐもぐ」

 佐々木が弁当を食べながら返事をする。

「それがさ、異世界に召喚される夢でさ……向こうの世界には魔女とかエルフとか、甲冑を着た女戦士とかがいるわけよ」

「ブフォッ」佐々木が米を吹き出した。「エルフのいる異世界……羨ましい限りですが、入須氏、それは欲求不満ではありませんか? きっと入須氏の身体が、参考書ばかりではなく、ラノベも読みたいと訴えかけているのでござるよ。フヒヒ」

 佐々木は最近、俺が勉強にかまけてオタク付き合いが悪いものだから、ちょいちょい皮肉を言ってくる。

「ハハ、言えてるかもな……でもさ、話はここで終わりじゃないんだよ。異世界の設定がまた酷くって。まず、魔王を倒すために俺が召喚されるんだが」

「王道ですな、もぐもぐ」

「ああ。でも、俺が召喚された瞬間から、『召喚酔い』とか言って、吐き気がすごいのなんの。まともに立っていられない」

「ふむふむ、もぐもぐ」

「それでエルフの娘に酔い止め薬を持ってきてもらうんだけど、そうこうしているうち空が赤く染まってきて……」

「ほうほう、ちょうどあのような感じですかな、もぐもぐ」

 佐々木が、空の一点を箸で指した。

「そうそう、ちょうどあんな……えっ?」


 ゴオオオという、ジェットエンジンのような低い唸りが聞こえてきた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ