存在の影
「馬より速い乗り物、ですか?」と、ヨルは俺に聞き返した。
「ああ。乗り物が欲しい。戦では機動力がモノを言うからな」馬鹿正直に、逃げるための乗り物が欲しいと言う必要はない。「たとえば俺の世界では、機械の車が一般的な乗り物だったんだが……」
「機械仕掛けの車? 馬に引っ張られるのではなく?」
「油を燃やして走るんだ」
「紅蓮魔術の応用ですか、実に興味深い」ヨルは頷く。「しかし、こちらの世界では現在そのような技術はないですな……古代に栄えたという機械文明でなら、あるいは存在していたかのもしれませんが」
「そうか……」
召喚酔いの吐き気に苛まされながら、俺は弱々しく返事をした。
今回は神殿から逃げることを止めて、また平和ルートに戻っていた。いつものようにラガハマ将軍の官邸に向かっている最中である。ヨルとラートに前後を挟まれながら、神殿の階段を降りている。ペオルには先に薬品庫まで行ってもらって、召喚酔いの薬をもってくるように頼んである。
「……いや、そうだ。別に機械じゃなくてもいいんだよ。ファンタジー世界なんだからドラゴンとかいるだろ? ドラゴンを乗り物にできないのか?」
「竜騎士か」口を開いたのは俺の背後にいる甲冑女、ラートだった。「確かにドラゴンを使役できたなら戦力としては頼もしいな。実際、西方の部族はワイバーン種を飼いならして従えているとも聞く。しかし、この辺りの山に棲息するドラゴンはヘルカイト種で、気性が荒い。人の手に負えるものではないだろう」
「なるほど……」そこそこ俺の知ってるファンタジーの常識が通用する世界らしい。「しかし、ワイバーンとやらには乗れるわけだな」
「私自身は経験はないが、そう聞く」と、ラートが返事をする。
「ヨル!」俺は前を進む少女に呼び掛ける。「ワイバーンを召喚できないか? ドラゴンは召喚獣の定番だろ!」
「えっ」ヨルは動揺する。「ま、まあ、十分な予算と時間を頂ければできないことでは……」
「いや、今すぐここに喚べないか!?」
「今!? さ、流石に無理です……そもそも私は今マナ切れで、魔法は使えないですし……」
「そういやそうだったな」
俺はがくんとうなだれた。
〈21:24〉
階段を降り、とぼとぼと三人並んで広場を歩く。
「勇者さまー!」と、そこにペオルが薬瓶片手に走ってきた。「酔い止め薬を持ってきました!」
「お……ありがと……」
ペオルから受け取った薬瓶を手にしながら、俺は考えた。ファンタジーRPGの常識に照らし合わせるなら、状態異常だけでなく、HPやMPを回復できる薬やら何やらがあるはずじゃないか?
「なあ、ペオル。魔力を回復できる薬ってないのか?」
「マナ切れですか、勇者さま?」ペオルは薬瓶を指差した。「その酔い止め薬はエーテルに溶かしてあるものなので、飲めばマナも少しは回復しますよ!」
「いや、回復したいのは俺じゃないんだが……まあいい、とにかく、某RPGと同じで、エーテルを飲めば魔力は回復するわけだな?」
「ええ、エーテルは最も純粋なマナの形態です」
「じゃあヨル、これを飲め!」俺は酔い止めの薬瓶を黒魔女に押し付けた。「そしてドラゴンを召喚しろ!」
「えっ……」あからさまに嫌そうな顔をするヨル。「これしきのマナでは到底足りませんよ。そもそも召喚魔法には召喚陣の周到な準備が……召喚獣についての深い知識が……ごにょごにょ」
「あー、もう! いつも言い訳ばかりだなお前は!」
久しぶりの長い召喚酔いで、俺のイライラは頂点に達していた。ペオルが突然興奮する俺に驚いたのか、ラートの後ろに隠れる。
落ち着け、落ち着け、俺。何か考えるんだ。まだ可能性が残されているファンタジー的な移動手段があるはずだ。馬より速い移動手段が――
「そうだ!」俺は閃いた。「召喚魔法がダメでも、転移魔法ならどうだ! 瞬間移動するやつ! 街から街へ一瞬でワープする魔法とか、ダンジョンの入り口に戻る魔法とかあるだろ!」
「残念ながら」ヨルが首を横に振った。「そのような魔法はありません。街やダンジョンでの移動手段として、気流を操って術者を空中移動させる風雲魔術はありますが、安全と引き換えに非常に低速です。瞬間移動と呼べそうなものは――そうですね、外法のひとつ、〈隔たりの外法〉というものが……」
「だーっ! ご高説は結構! またえらく俺に都合の悪い設定だな!」俺はヨルの言葉を遮った。「つーか、おかしくねえ? 俺を召喚してるくらいだから、転移だってできるはずだろう! 現に、俺は元の世界からこの世界に瞬間移動してきたじゃねえか!」
「え、違いますよ?」と、ヨルは首を傾げた。
「は?」
「召喚魔法は、あくまでも存在の〈影〉を作っているに過ぎません。〈影〉は元の存在から影響を受けることはあっても、元の存在に影響を与えることはありません」
「えっ。ちょっと待って。どういうこと?」
俺は混乱した。
「?」「?」
後ろに控えていたペオルとラートも、初めて聞いた話だったのか、ふたり顔を見合わせながら、興味深げにヨルの言葉に聞き耳を立てている。
「ですから、召喚魔法というのは、あくまで魔力によって対象物の忠実な複製を作る魔法であって、荒唐無稽な転移魔法とはまったく異なるものです。魔術のどこにも、瞬間移動などという不可能な過程は存在していません」
「えっ、えっ。複製??」俺の頭が理解を拒んだ。「クローンってことか、俺が? 複製人間? マモー?」
「まもー? は知りませんが、まあ、〈影〉のことは複製と言っても差し支えないでしょう」
ヨルは頷いた。
「いやいやいや、倫理的にアウトだろそれ! そんな魔法にゴーサインを出したのは誰だ、クソッ!」俺はちゃぶ台をひっくり返したい気分だった。「い、いや……それよりも気になることが……あのー、あのですね、つかぬことをお伺いしますけど……今、俺がいた元の世界はどうなっているんでしょうか? 俺が召喚されたあと、元の世界は……?」
しまった、とヨルが小声が呟くのが聞こえた。
「ええっと……事は複雑で……どこから説明すればいいのか……」
「いや! 聞きたいのは本当にシンプルなことなんですよ、ヨルさん……? 本当に、聞くまでもないことだと思うです。ほんの確認のつもりなんですけど……」俺は吐き気をこらえながら、馬鹿丁寧にヨルに尋ねた。「今、俺がここにいるってことは、元の世界に俺はいないんですよね? 常識的に考えれば。元の世界ではきっと、俺が急にいなくなったことを心配して、家族や友達が俺の帰りを待っているんですよね……?」
本当はわかっていた。頭ではヨルの返事は予想できた。しかし、心がそれを拒んでいた。
「正直に申し上げますと」ヨルの目が泳いでいる。「元の世界にも、勇者殿はいます。現在進行形で。あちらの世界で召喚陣を見たかと思いますが、あれはあくまで勇者殿の情報を読み取るのに必要だっただけです。勇者殿の本体に影響を与えることはありません。召喚の後も、勇者殿の本体は何不自由なく、あちらの世界で暮らしていけるはず」
「……じゃ、じゃあ、俺の帰る場所は――」
「――勇者さまの帰る場所は、ないってことですか!?」俺の言葉をペオルの大声が遮った。「こちらの世界を助けるために来て頂いたのに、勇者さまはお家に帰ることができないんですか!?」
「なんと非道な術だ……」と、ラートが閉口する。
ヨルがバツの悪そうな顔を浮かべた。面倒なことになった、と吐き捨てるように言った。
「は、はは……」
頭がふらふらしてきた。俺は自分の手元に視線を降ろす。右手には酔い止め薬の瓶が、未開封のまま握られている。ヨルの話を聞くのに集中して、飲むのをすっかり忘れてた。召喚酔いの倦怠感が襲ってきた。
いや、それだけじゃない。精神的な疲れ。これまでの何百何千のループで俺がしてきた努力。その努力が報われるどころか、今こうして、元の世界に帰るという僅かな希望すら潰されてしまった。
心が疲弊しきっていた。
「帰りたい」
そう呟き、俺はバタリと地面に倒れた。
〈21:27〉




