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俺はイサーンからWokeして異世界へ  作者: ilxamz


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第5章 死と税


 湿った土の匂いと、素焼きの窯から立ちのぼるかすかな煙が、ドンバン村の夕暮れの空気に漂っていた。アティウスは膝を立てて座り、薪を舐める炎がぱちりと爆ぜる音を眺めている。そのとき、旧世界の記憶の底から、唐突にある一文が浮かび上がってきた。


――この世で避けられないものは、死と税金だけだ。


 七歳の体に理屈っぽい青年の頭脳を宿した少年は、心の中で自嘲ぎみに鼻を鳴らした。もし自分が、国家という仕組みを信じない無政府主義者だったとしたら、どうして異世界くんだりまで来て、税の心配などしなければならないのか。この皮肉まじりの冗談は、むろんドンバン村の誰にも通じない。当の本人でさえ、声に出しては笑いきれなかった。


 あの角熊を倒した一件から、およそひと月が過ぎた。村の暮らしは落ち着きを取り戻しつつある。ただ、「森の加護」も「火の加護」も持たない七歳の子どもが、知恵と見慣れぬ武器だけで巨大な魔物を倒した――その噂は、手すきの村人たちのあいだで、いまだに話題の中心だった。この件で、なぜか村の祈祷師だけが、不気味なほど固く口を閉ざしている。


 この一か月、アティウスは暇を見つけては、「コンパウンド・スティック」(力を補う仕掛けのついた弓)の作り方を、猟師や村人たちに教えてきた。誰もがその威力に目を丸くした。彼らがこれまで獲物を狩って食いつないできた伝統の投擲具「ウィアン石」とは、狙いの正確さも威力も、比べものにならなかったのだ。


 だが、このところ村人たちが毎日のように、むきになって議論を戦わせている話題は別にあった。アティウスが拾って育てている、四匹の灰色の仔狼のことだ。


 まだひと月しか経っていないのに、あの仔狼たちは跳ねるような勢いで育っている。理由のひとつは、村の神獣である牛の乳を、ずっと飲ませてもらっているからだ。そこまで考えると、アティウスは悔しさに歯ぎしりしたくなる。彼は乳糖不耐症で、生の牛乳を消化できない体質だった。だから神獣の恵みは、一滴たりとも味わえずにいる。それなのに仔狼たちときたら、すくすく伸びる一方だ。最近は牛乳に加えて、アティウスがよく火を通してから与えるリスやネズミ、小鳥といった小動物の肉も食べはじめた。あの日、七歳の子どもでも抱き上げられた小さな仔狼が、いまや彼の胸の高さに届きそうなほど大きい。


 アティウスは、ひそかに運命を恨めしく思った。牛乳にカルシウムが含まれ、骨や背を伸ばす助けになることは、科学的によく知っている。それなのに、なぜ自分の背だけは、ちっとも伸びないのか。


 さらに村人たちが、つかみ合い寸前になるほど揉めているのが、仔狼たちの名前だった。アティウスが「ポチ」や「モモ」といった手頃な名前を挙げるたび、大人たちは顔を真っ赤にして怒り出す。高貴な血を引く神獣を侮辱するつもりか、というのだ。言い伝えによれば、この仔狼たちは「金の瞳の狼」の血筋で、体格も気高い姿も、森の普通の狼とはまるで違う。村人たちは畏れ敬うあまり、ありふれた名前で呼ぶことなど許せなかった。月が何度も満ち欠けしそうなほど議論を重ねても、正式な名前は決まらない。そのうち、四匹とも「ポチ」と呼べば耳を立てて尻尾を振るようになってしまい、村人たちの頭痛はいっそうひどくなった。


 村人たちが祈祷師のもとへひれ伏して、縁起のよい名づけを頼んだときのことだ。老人は顔を真っ青にして地面に額をこすりつけ、恐怖に震える声で口走った。


「お、おそれ多い……! わしには、あの方々に名をつけるなど、できませぬ!」


 それでも、ドンバン村の暮らしは続いていく。現在の村の人口は、幼子も老人も体の不自由な者も含めて、全部で八十九人。村人たちが力を合わせて育てる主食は、アティウスが旧世界では一度も見たことのない根菜だった。蔓が絡み合うように這い、芋の形はキャッサバに似ているが、食感はタロイモに近い。実は深い地中に埋まり、ときおり先端が地上にのぞく。外皮は淡い茶色で、皮をむくと、繊維がぎっしり詰まった真っ白な身が現れる。村人たちは、これを細かくすりつぶして煮て食べていた。広い畑では、村人たちが交代で、せっせと世話をしている。


 目測では、この「プラン」と呼ばれる根菜は、冬に入る直前に年一回収穫できるようだ。その総量は、八十九人が一年食べていくのに足りそうに見えた。ところが現実の父トゥイスは、腕を組み、険しい顔で畑を見つめている。大柄な男の目には、悲しみと憂いが浮かんでいた。


「……足りん」


 トゥイスは、ぽつりとこぼした。声には、はっきりしない重苦しさがにじんでいた。


 保存の工程はこうだ。収穫したプランは、村人総出で皮をむき、身を煮てすりつぶす。それを日に干してからからに乾かす。乾燥プランは、きわめて長持ちする。食べるときは、粉状の乾燥プランをもう一度砕き、お湯を注いだ土瓶に入れるだけだ。繊維質の身は食物繊維のように働いて、腹持ちをよくする。溶け出した白い粉は、片栗粉のようなとろみをもつ。薄い粥にして食べるほか、粉を水でふやかして団子にし、炙って香ばしく焼くのも、村人たちの好む食べ方だった。味は薄く、素っ気ない。それでも、空腹をしのぐには十分だった。


 日によっては、猟師たちが森から肉を獲ってきて、足しにすることもある。だが、その量は多くもなければ、安定してもいなかった。この世界の野生動物は、たいてい危険で凶暴だ。狩りに出るたび、負傷や死のリスクが高く、割に合わない。いまでは村に「コンパウンド・スティック」があり、狩りの手間も効率もかなり良くなった。それでも、本物の猟師の技と魂を持つ村人は、十人にも満たない。その十人足らずが、湿った深い森へ二、三日もかけて分け入り、命がけで、わずかな肉を持ち帰るのだ。


 アティウスがプランの山の前に立って考え込んでいると、聞き慣れた澄んだ声が、村の裏をゆったり流れる小川のほうから割り込んできた。


「アティウス! こっち、早く来て!」


 水魔法の使い手である姉のミアーが、大きく手招きして呼んでいる。アティウスは考えごとを中断し、声のほうへ歩いていった。


「どうしたんですか、ミアー姉さん?」


 そう尋ねると、姉は興奮して、岸辺の岩場を指さした。


「カニよ! あそこに大きなカニが、五、六匹も歩き回ってるの!」


 だが、アティウスが近づいて確かめるより早く、巨大な淡水ガニの群れは気配を察した。素早く脚を動かして走り出し、あっという間に土手の穴へ潜り込んでしまう。遠目にも驚くほどの速さだった。


「あーあ……みんな逃げちゃった」


 ミアーは心底残念そうに嘆いて、へたり込んだ。


 アティウスは歩み寄り、カニが消えたばかりの穴をのぞき込んだ。穴は大人の腕ほどの太さで、深く、暗い。


「ああ、巣穴はここなんですね。こんなに広い穴に素手を突っ込んだら、あの巨大なハサミに肉をちぎられますよ。割に合いませんって」


 少年は理屈で分析した。


「残念……アティウスが弓で射てくれてたら、カニが食べられたのに」


 ミアーがぶつぶつこぼす。それを聞いたアティウスは、わざと横目でにらみ、にやりと意地悪な笑みを返した。


「へえ……ミアー姉さんって、カニは平気で食べるんですね。このあいだ僕が捕ってきたクラポム――森トカゲには、あんなに嫌そうな顔をしたのに」


 ミアーは、すぐさまきっとにらみ返した。


「それとこれとは別でしょ! カニはね、大きなハサミのところを火であぶると、中の身がすっごく甘くて美味しいのよ!」


 アティウスは少し考え込んだ。そこで旧世界の民間の技を思い出し、近くで遊んでいた子どもたち三人に声をかけた。


「クーナ、パート、シーファ! あそこの大きくて丈夫な草を、ちょっと採ってきてくれる?」


 三人は不思議そうな顔をしたが、言われたとおりに駆けていき、頭より高いチガヤの草を、ひと抱え引き抜いて戻ってきた。


「アティウス兄ちゃん、この草でなにするの?」


 シーファが尋ねる。ミアーも興味津々で、身を寄せてきた。


「今から、面白いものを見せてあげる……ミアー姉さん、シーファの編みかごのふた、開けて待っててください」


 アティウスは自信たっぷりに言い、チガヤの中から、いちばん長くて粘りのある葉を一枚選んだ。そして葉先を穴の奥深くまで差し込み、根もとを指でくるくると、一定の調子で回しはじめた。


「よく見ててくださいね」


 暗い穴の中で葉を回しつづけていると、やがて手の中の葉が、ぴんと張った。穴の中の生き物が引っ張る力が、葉を通して、はっきりと伝わってくる。縄張りを荒らされた大ガニが、怒って本能のままに、葉をハサミでがっちり挟んだのだ。アティウスはにっと笑い、回す力をゆるめて、そっと葉を穴の外へ引きはじめた。葉を離そうとしない大きなカニが、少しずつ、穴の縁から引きずり出されてくる。


「出てきた……!」


 ミアーと三人の子どもたちは、ガチョウの卵ほどに目を丸くした。そして甲羅が穴からすっかり出た瞬間、アティウスはハサミの届かない位置を見切って、背中の真ん中をぱっとつかんだ。


「捕まえた! やったー!」


 子どもたちの歓声が、水辺に響き渡る。近くで働いていた村人たちも、何事かと手を止め、ぞろぞろと見物に集まってきた。


「捕まえるときは、甲羅のうしろのほうに気をつけてください。じゃないと、ハサミが振り回されて挟まれますから」


 アティウスは、大人たちにコツを教えた。


「ほー! こんなやり方があるのか!」


 あちこちから、感嘆の声が上がる。やがて子どもも大人も、チガヤの葉でカニ穴をくるくる回すのに夢中になり、小川のほとりは大いに賑わった。日が地平線に沈んで闇が降りるころには、大きな編みかごが何個もいっぱいになるほどの、巨大なカニが獲れていた。


 その夕方、ドンバン村はささやかな祭りのような賑わいだった。村人たちは輪になってカニを焼き、香ばしい匂いがあたりに満ちる。それを熱々の煮プランと一緒に食べた。アティウスは、みんなの幸せそうな笑顔を眺めて、胸がいっぱいになる。四匹の仔狼たちも、そばでカニの殻や肉をかじり、楽しげに輪に加わっていた。


 だが、笑い声の中で、アティウスは異変に気づいた。父のトゥイスが、目の前の食べ物にほとんど手をつけていない。大柄な男は黙りこくって座り込み、炎を見つめる眼差しは、心に深い悩みを抱えているかのように、冷たく孤独だった。心配になったアティウスは、そばに寄って声をかけた。


「父さん、どうかしましたか? どうしてみんなと一緒にカニを食べないんですか? 今日はたくさん獲れたのに」


 トゥイスは小さな息子を振り返った。瞳が、罪悪感に揺れている。


「すまんな、アティウス……だが、お前はもう、知るべきだと思う。お前は賢くて、歳のわりに責任感もある……今年は、プランの収穫が少なすぎるんだ」


 アティウスは眉をひそめた。


「え? プランの畑なら、芋がいっぱい実っていますよ。あれだけあれば、一年は楽に食べられるはずです。どうして『少ない』なんですか?」


「あのプランは……半分以上が、持っていかれる」


 トゥイスの言葉に、アティウスは愕然として目を見開いた。


「え……? 持っていかれる?」


 アティウスが問い詰める間もなく、母のイスイが輪に加わった。顔は悲しみに沈み、青ざめている。母は夫の肩に手を置いて、強く握った。まるで、互いに励まし合うように。トゥイスは地面に目を落とした。低い声が、震えている。


「五年前、お前がまだ赤ん坊だったころ、ドンバン村は襲われた……村人の半分以上が、むごたらしく殺されたんだ。俺は無力だった……誰ひとり守れなかった。お前の兄も、そこで命を落とした……アキアス。お前の実の兄だ。俺は『森の加護』も『火の加護』も授かっているのに、自分の息子の命ひとつ守れなかったんだ!」


 その告白に、アティウスの頭は真っ白になり、心臓がどくんと跳ねた。


「僕に……兄さんが、いたんですか……?」


 かすれた声が漏れる。焚き火を囲んでいた賑やかな空気は、にわかに静まり返った。近くに座っていた村人たちが、うつむいて黙り込む。その目には、長年押し込めてきた悲しみと、根深い恨みがはっきりと浮かんでいた。


「もうすぐ……あいつらが、また戻ってくる。恨みを晴らしに、そして収穫を奪いにな」


 トゥイスは炎の奥をじっと見つめながら言った。うつろな目は、過去の惨劇が再び幕を開ける幻を見ているかのようだった。


 思いがけず突きつけられた残酷な真実に、頭は混乱していた。それでも、理屈で動く青年の魂は、すぐさま情報をつなぎ合わせていく……プラン、税、飢え、そして死。すべてが、おぞましいほど一本の線につながっていた。アティウスは深く息を吸い込み、小さな手で、父の分厚い肩をぎゅっと握った。震える筋肉に、しっかりとした力が伝わる。少年は父の目を、まっすぐに見据えた。決意の炎が燃える瞳で。


「父さん! 今はまだ小さくて、ただの七歳だけど……お願いです、僕にも手伝わせてください!」


 声は力強く、広場に響き渡った。トゥイスも、イスイも、焚き火を囲む村人たちも、身の丈に余るその覚悟に、息をのんで少年を見つめた。


 結局のところ、辺境の秘境に生まれ変わろうと、はるか遠い異世界に来ようと、搾取の仕組みの暗い影は、人間につきまとって離れない。旧世界では、税は紙の上の数字か、退屈な政治学の授業にすぎなかった。だがこの、文明の夜明けの異世界で、税は生き延びるための糧そのものだ。八十九人の命をつなぐ食べ物であり、ときには、無慈悲な死を意味する。炎がアティウスの瞳の中できらきらと揺れた。ひとつの考えが、はっきりと形をとる……自分たちにとって最も恐ろしい敵は、森の凶暴な魔物ではないのかもしれない。「権力」という名の見えざるものを握り、その仕組みの陰に身を潜めている、人間たちなのかもしれない、と。

【語注】


「この世で避けられないものは、死と税金だけだ」:ベンジャミン・フランクリンの言葉として知られる格言。原文では前世の記憶から浮かぶ一節として引用されています。

無政府主義者(アナーキスト):国家などの統治機構そのものを認めない立場の人。税を嘆く自分への、アティウスの自嘲です。

加護(かご):原文の「พร」(祝福・恩寵)にあたる、この世界の特別な力。「森の加護」「火の加護」など種類があり、授かった者は身体能力などが高まります。

コンパウンド・スティック:アティウスが考案した、複合弓の仕組みで石や矢を撃ち出す武器。

ウィアン石:村に昔からある、石を投げて使う狩りの道具。

プラン:この世界の主食の根菜。キャッサバに似た形で、タロイモに近い食感。乾燥させて粉にして保存します。

乳糖不耐症:牛乳に含まれる乳糖を分解できず、飲むと体調を崩す体質。

ポチ:日本で犬の定番の名前。原文の「ไอ้ตูบ」(タイで犬によくつける名前)に当たる呼び名として訳しました。

クラポム:イサーン(タイ東北部)で森トカゲを指す言葉。

チガヤ:細長く丈夫な葉のイネ科の草。この葉を巣穴に差し込む、イサーン伝統のカニ捕りの技です。

イサーン:タイ東北部地方。主人公の前世の故郷です。

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