第八話
「近頃、部屋の空気が澄んでいるなと感じただけだ」
「えっ」
馨さまの声を「怒気を含んだ声」だと思ったのは間違いでした。
「毎日お部屋のお掃除をしているから、でしょうか?」
「そうか」
少しばかり、馨さまの口元が緩んだような気がいたしました。
「近頃はよく眠れる」
「よかったです」
ベッドを清潔に整えていたことにも気づいてくださった。ということは、馨さまに喜んでいただけた。僅かながらも妻として認めていただけたのではないのでしょうか。
私がしていることは、馨さまにとって余計なお世話やお節介なのかもしれない。そんな考えが頭の片隅にありました。自己満足でも別に構わない。そう思っていた矢先、褒めていただけたのです。
「園子」
「は、はい!」
初めて名前を呼ばれて、胸が弾みました。
「もし迷惑でなければ、弁当を拵えてはもらえないだろうか?」
なんということでしょう。
これは、これは……。お手伝いのおかわりを頂けたということでしょうか?
「……岬に頼んだほうがよいか?」
「いいえ、私にお任せください。明日からご用意いたします!」
これからも、馨さまの力になれるよう頑張りましょう。
私は、うれしさのあまり、心が弾みました。
ただ、ふと思ったことが……。この家にお弁当箱はあったかしら?
夕食後、岬さんと一緒に、お弁当箱を探します。結婚に合わせて暮らし始めた家にはまだ揃っていないものもたくさんあります。家具や食器のほとんどが侯爵家で不要になったものを分けてもらったもの。まだ荷ほどきしていない中を探していると、風呂あがりの馨さまが、探し物でてんやわんやする私たちに気が付きました。
「どうかしたか?」
「あの……弁当箱がないようでして」
「そうか。それなら」
軍から支給されたというアルマイトの弁当箱を渡してくれました。
さて翌日のことです。朝の4時に起きて、お弁当を準備をいたしました。
馨さまがお出かけなさる前、私は軍靴を磨きます。一日お出かけになられただけで、こんなにも汚れるんですね。
「これでよし」
ちょうど磨き上がったころ、軍服に着替えた馨さまがやってきました。
「行ってくる」
「あっ、お待ちください」
お出かけになさる馨さまに、お弁当をお渡ししました。
お弁当の中身は、朝ごはんと同じようなものです。
昨日の今日のご相談でしたから仕方ありませんが、今後毎日作るならば、飽きないような工夫も頑張らねばなりません。
馨さまに、お弁当の入った風呂敷包みをお渡ししました。
「いってらっしゃいませ」
すると、馨さまの手が私の手にすっと重なったのです──




