第三話
「結婚はしたが、君に求めることは何もない」
「えっ?」
これには驚きました。しかし馨さまは私の戸惑いを気にも留めずに言葉を続けます。
「困ったことがあれば使用人の岬を頼ってくれ。俺はしばらく仕事に専念したい。一人にさせることも多いだろうが、俺のことは気にせず、この家は自由に使ってくれ」
驚きました。いったいどうして馨さまは結婚などなさったのでしょう? お荷物を背負うだけではありませんか。何か深い理由がありそうですが、出会ったばかりでずかずかと人の懐に入るのも厚かましいでしょう。そこで私は準備してきた返答をそのままお返しいたしました。
「かしこまりました。私、暖かい環境など望みません。ただ、せめて、妻として貴方様のお手伝いをさせてくださいまし」
静かに下げた頭をあげると、馨さまはきょとんとしたお顔で驚かれた様子でした。
私はお返事を間違ってしまったでしょうか。馨さまは特に何も言い返すことはなく、小さく頷くと、そのあとは岬さんに家の案内を託し、二階の書斎にこもってしまいました。
その日は結局、油小路家の方々とご挨拶することはありませんでした。どうやら馨さまは結婚を機に、この邸宅を購入されたようで、邸宅には馨さまと使用人の岬さんと私の三人のみが暮らすようです。
祝言の日は大層豪華なお祝いがなされると小説で読んだことがありましたが、あれはあくまで小説の世界だけの出来事なのでしょうね。私の嫁入りの日は、岬さんが準備してくれたお食事を、馨さまと二人でいただく流れとなりました。それが私の身の丈に合っている気もしました。
お食事は、食堂にていただくことになりました。木で作られたモダンな意匠の食卓にはほかほかとゆげの立ち上るお食事が並べられております。
「あの……このお食事を私に?」
食欲をそそる出汁のいいにおいに、ごくりと喉がなります。私の疑問に、馨さまはふたたびぽかんとしたお顔をなさりながらも答えてくださいました。
「そこにあるものは全て君のものだ」
「まあ……」
これまで20年、まともな食事を口にしておりません。呪われて生まれてきたお荷物の私は、釜に焦げ付いて残った固いお米と、冷たい具なしの味噌汁を混ぜた残飯だけでここまで生き延びてきました。
ですから、今、目の前に出されているお食事は、キラキラ輝く宝石のようです。
おいもとお豆腐の味噌汁とつやつやと輝くごはん。鯛とまぐろのお刺身の盛り合わせ。出汁の利いた具だくさんの茶碗蒸し。ウサギ型に切られたりんごまで添えられており、なんて素敵なのでしょう。
「いただきます」
馨さまが手を付けたのを見計らい、私も味噌汁茶碗を持ちました。両手に伝わる温かいぬくもりが細部まで冷え切っていた私の身体に熱を灯していきます。さっそく一口、お味噌汁をすすりました。
「なんて、温かいの……」
喉から胃へとゆっくり、温かいものが流れ込んでいくのがわかりました。そして心臓から指先、足先まで血液と共に熱がぽつりぽつりと灯っていきます。それは私にとってはじめての感覚でした。すると、どうしてでしょう……? なぜだか涙がこぼれてきたのです。
「っ……ぐすっ……」
「どうした?」
突然、目の前で涙を流した私に、馨さまは、箸をおいて声かけてくださいました。




