第二話
初めて乗った人力車は、倒れてしまわぬか、投げ出されてしまわぬか不安でしたが、車夫のお方の頼もしい足取りと規則的な速度に、徐々に不安が吹き飛んでいきました。
塀の外には、これほどまでに広い世界が広がっていたのですね。
これまで私が知識を得るには、外へ買出しに出かける使用人の助さんと緑さんからお話を聞くか、瑠璃子やお母様のお古として与えられた活版印刷の小説を読むか、以外に手立てはありませんでした。頭の中で想像していた以上に、鮮やかな街並みと・明るい人々の声を聞き、頬に浴びる風は心地よかったです。
しかし、不安が完全に消えたわけではありません。ここで失敗したら……。私に帰る場所はございませんから。この嫁入りは、私にとって人生を変えることができる唯一の機会。期待と不安が入り混じったような気分でした。
白髪の将校と呼ばれる馨さまは、いったいどのようなお方なのでしょうか。
せめて、ご迷惑をかけず、妻としてお役に立たつことができるよう精進いたしましょう。
到着したのは、日本風の屋根瓦に、翠玉色をした柱と窓枠は西洋風といった、瀟洒な洋館でした。侯爵家ともなると、和洋折衷の立派な邸宅にお住まいなんだわ……と感嘆のため息をついていると、人力車は一礼し去っていきました。
はて、どうしたことでしょう。
侯爵家への嫁入りにしては、あまりに静かではないでしょうか。
そもそもついてくる家族もいませんが、油小路家も、何か問題を抱えているのかもしれません。
「ごめんくださいまし」
玄関で声をかけると、すらりとした背丈の軍服姿の男性が現れました。
彼こそが、油小路馨さまでしょう。
「そなたが池田瑠璃子か?」
「いいえ、瑠璃子は妹です。私は姉の園子でございます」
第一声、瑠璃子かと問われれば、入れ違いでもあったのかと少しばかり焦りを覚えました。しかし馨さまは動じる様子も見せずに
「そうか。上がれ」
と私を家へと上げました。
通されたのは応接間でしょうか。
「油小路馨、陸軍少佐だ」
馨さまが軍帽を外し、一礼されました。
さらりとした白髪を手櫛で整える馨さま。眉やまつ毛、瞳は漆黒であり、整った顔立ちと、高い背丈、広い肩幅に、つい見とれてしまいました。彼も「呪われている」と揶揄されてきたのでしょうけれど、不思議と怖くはありません。私と同じ純白の特色をお持ちのお方だからでしょうか。
そうだわ、と思いつき、私も色眼鏡をはずしました。
「恥ずかしながら、私も純白の特色を持っております」
「……」
目が合ったとき、じろりと睨まれたような気がしました。気味悪がるのではなく、怒っているような鋭いまなざしでした。それもそうでしょう。陸軍少佐であり、侯爵家のお方と私とが同等に並べられては、機嫌を損ねてしまうのも無理はございません。それにこの白い瞳は、初めて見るものには不気味なものでしょう。
「す、すみません。普段は必ずこの眼鏡をかけますので」
「そうか」
すぐに眼鏡をかけて、互いに席に着きます。すると、私より少しばかリお姉さんといった年頃の使用人がお茶を出してくださいました。彼女は岬さんというそうで、一礼して去っていきます。そのお茶は西洋風の花柄模様の急須に入っており、甘い香りが周囲に立ち込めました。
馨さまは、優雅に一口、お茶をすすったのちに、不穏なことを口にしました。
「結婚はしたが、君に求めることは何もない」
「えっ?」




