第十六話
馨さまの所属する帝国陸軍は野外演習などの特別任務がない限りは、土曜の午前中まで勤務し、以降1日半はお休みという勤務体系。「上官が家に来たい」とお話になったその週末、土曜の勤務後に、家にお迎えすることになりました。
あかぎれの薬を塗っていただく際、ひとつだけ馨さまに確認したことがあります。
「馨さま、上官の方が私の目を見て気味悪い思いをするのは、良くないかと思いまして。家にいらした際は色眼鏡を付けてお手伝いをさせていただければと思うのですが……」
正直、池田家にいたときと同じく、家から出ずに生活ができるなら、周囲の方々にご迷惑をかけることはなかったでしょう。しかし、夫の仕事のため、出世のため(馨さまは私などが手を貸さずとも立派におい仕事をなさっていますが……)妻が貢献できることはお手伝いするべきです。とはいえ、白眼の呪いを持つ私が人前に立って本当に大丈夫か、とても心配でした。
「気にするな。堂々としていていい」
「そうでしょうか……」
「もしお前が気になるのなら、色眼鏡だけはつければいい」
「はい……」
私の不安と心配をよそに、馨さまはあまり心配していない様子です。
「ただ、おせっかいな男なんだ。余計な話は聞き流し、困ったときは俺を頼れ」
「は、はい?」
私と別の部分で馨さまは不安を抱えているようでした。
そして迎えた土曜の午後。
自宅の門の前に、立派な輸入車両が止まりました。馨さまが運転され、お隣に座っていた立派な恰幅をされた上官の方が大きな声をあげて車から降りられました。
「どれどれ。お主の妻がどんな人物か、この俺が見定めてやろうじゃないか」
「やめてください」
元気なやり取りを耳にしながら、玄関先で、私はお客様をお迎えいたしました。
「初めまして。私、妻の園子と申します」
実はこの日のために、岬さんのお知り合いから、着物を一つお借りしました。
白地に大きめな黄色い蝶があしらわれた着物です。顔にはおしろいを塗っていただき、できる限り、外の方に見られても恥ずかしくないことを意識したのです。
馨さまに堂々としていろと言われましたが、色眼鏡だけは着用しました。
その方が間違いないと私なりの判断でした。そうして一礼して頭をあげると、
「ふっ。お主がカオルの妻か。よろしく。俺はカオルの上官の英臣じゃ」
恰幅のよい英臣さんは私に右手を差し出しました。これは握手でしょうか。そっと手を出すと、その手をブンブンと力が強く振りました。
さらに英臣さまのお顔が徐々に私の顔に近づいてきます。そして一言──
「ところで、奥さん。なぜ色眼鏡をしとるんじゃ?」
と私の顔をまじまじと見つめられました。
「え、それは……」
固まってしまいました。それに何と答えるのが正解なのかわからなかったからです。
「おあがりください。話はそれから」
馨さまも私を助けてくださります。しかし英臣さんは考え込んでしまいました。
「ううむ、モダンガールでそういう女性も増えとるいうが、やや奇抜で先を行き過ぎた不良のする格好かと思ってなあ」
そうなのですね。巷での色眼鏡をかけてる人の印象を初めて知りました。
「それに、客人をもてなすにしても、色眼鏡をして出てくるのは失礼ではないかのう?」
その言葉に私はびくっとしまいました。
確かに英臣さまの方のおっしゃる通りなのです。目と目を合わせてお話しする。それは当たり前の礼儀です。色眼鏡をかけてご挨拶をしたことは、非礼な行為にとらえられたのではないでしょうか。大変まずいことになりました。
「これには訳があります」
馨さまは顔色一つ変えず、冷静に助けてくださりますが、このとき私は二つの考えで堂々巡りをしておりました。
人々に奇異の目で見られるこの呪いは隠すほうが正解。万が一ここで見せて、もしも馨さまが上官から嫌われたり、出世を阻まれたり、退職に追い込まれたり、お仕事のご迷惑がかかってはいけません。
しかし、初めて会った英臣さまに色眼鏡姿で登場した不良妻と思われている今、このまま隠しておけば、それはそれでよくないのでは。
英臣さまは相変わらず前のめりで私の顔を見つめ続け、馨さまは、困り顔で英臣さまの背を叩き、家に入るよう促す。
こうなったら!
私の判断が間違っていた時には、しっかり謝罪いたしますから、馨さまお許しを──
「大変失礼いたしました。色眼鏡をしているのには訳がありまして」
私は、目をつぶったまま色眼鏡を外しました。そして、ぱっと目を開けると、英臣さまの目をじっと見つめて、
「私『白眼の呪い』の持ち主なのです」
と正直に打ち明けたのです。




