第2.5話 妄想の話
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第2.5話 妄想の話
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◇
その日、俺は珍しく、まともに勉強していた。
進路希望調査のせいだ。
空欄を埋めるには、まず成績をどうにかしないといけない。今のままだと、選べる大学が限られる。
「――で、ここが、わからないんだけど」
図書室のテーブル。俺は、数学の問題集を広げていた。
「どこですか」
五百旗頭が、隣に座った。
「この、積分のやつ」
「ああ、これは」五百旗頭は、ペンを取った。「置換すれば、簡単になります」
「置換?」
「はい。ここを、tと置きます」
五百旗頭が、俺のノートに書き込んだ。
……近い。
いや、教えてもらってるんだから、当たり前なんだけど。
肩が、触れそうな距離にある。
◇
「わかりましたか」
「……ああ、なるほど」
「では、次の問題を」
「もういいって」
「なぜですか」
「疲れた」
「まだ二十分です」
……。
こいつ、鬼だな。
◇
「――あら、勉強?」
御手洗が来た。世界史の資料を抱えて。
「森本くん、珍しいわね」
「……まあな」
「何を勉強しているの?」
「数学」
「わたし、数学は苦手だわ」御手洗はあっさり言った。「かわりに、世界史を教えてあげましょうか」
……。
いや。
待ってくれ。
「……あー」
「どうかしたの?」
「……いや」
……言えない。
俺、日本史選択なんだけど。
でも、御手洗が、あんなに楽しそうな顔をしているのに。
……言えるか?
「じゃあ、始めましょうか」
「……お願いします」
◇
で、世界史の話が始まった。
「いい? 近代ヨーロッパを理解するには、まず三十年戦争を押さえるの」
「……三十年」
「そう。長いでしょう」
「長いな」
「その結果、ウェストファリア条約が結ばれるの」御手洗は目を輝かせた。「これが、近代国家の始まりよ」
「……はあ」
「主権国家体制ね」
「……」
「わかった?」
「……全然」
……。
わからない。
わからないし、たぶん、一生使わない。
でも。
御手洗が、楽しそうだから。
まあ、いいか。
◇
その帰り道。
一人で歩いていると、後ろから声がした。
「――ちょっと、森本」
ミライだった。
「うわ、また出た」
「出たって何」
「いや」
ミライは、俺の隣に並んだ。
「今日は、いおきべさんと御手洗さんに、手取り足取り教えてもらって」ミライは言った。「――さぞ、デレデレでしょうな」
「してない」
「してたよ」
「見てたのか」
「見てた」ミライは言った。「窓から」
……。
こいつ。
◇
「あんたさ」ミライは言った。「家に帰ったら、いおきべさんと御手洗さんで、いやらしい妄想するなよー」
「しねーよ!」
「ほんとに?」
「するか!」
「ふーん」
ミライは、にやにやしていた。
「……ていうか、なんでそんな話になるんだよ」
「別に」ミライは言った。「男子って、そういうもんでしょ」
「偏見だろ」
「偏見じゃないよ」ミライは言った。「田口が言ってた」
「……田口か」
……あいつ。
◇
「――でもさ」
ミライは言った。
「なんだよ」
「いおきべさんだって、御手洗さんだって」ミライは言った。「本心では、いやらしい妄想、抱いてるかもしれないじゃん」
「……は?」
「わかんないよ」ミライは言った。「人の内面なんて」
……。
「いや」俺は言った。「五百旗頭が、宇宙以外に妄想するか?」
「するって」
「しないだろ」
「するよ」ミライは言った。「たとえば」
ミライは、少し身を乗り出した。
「――不破くんと日下部くんが、イチャイチャしてるような」
……。
……え?
「あられもない妄想とか」
「……」
「変なBL好きとか、あったりして」
◇
……。
俺は、足を止めた。
ミライを、じっと見た。
ミライは、真顔だった。
……いや。
待て。
「……なあ」
「なに」
「それ」
「うん」
「――お前じゃないのか」
……。
……。
ミライの動きが、止まった。
一秒。
二秒。
「……」
「……」
「……あ、ばれた」
◇
「ばれたじゃねーよ!」
「いやー」ミライは、けろっとしていた。「言ってみるもんだね」
「なんで五百旗頭に押しつけようとしたんだよ!」
「なんとなく」
「なんとなくで、人の名誉を」
「大丈夫だって」ミライは言った。「本人には言わないし」
「言うなよ、絶対に」
「言わないよ」ミライは言った。「言ったら、たぶん、数式で反論されるし」
……。
……たしかに。
◇
「……で、なんだよ、そのBLって」
「知らないの?」
「知ってるけど」俺は言った。「お前、好きなのか」
「好きだよ」ミライはあっさり言った。「悪い?」
「悪くないけど」
「じゃあいいじゃん」
……。
「……不破と日下部?」
「解釈の一つね」ミライは言った。「わたしは、そこまで強火じゃないけど」
「強火」
「ジャンル用語」
……。
知らない世界だった。
◇
「……ていうか、意外だな」
「なにが」
「お前、そういうの読むのか」
「読むよ」ミライは言った。「2.5次元も好きだし」
「ああ、クリスマスの」
「そう」ミライは言った。「――現実の男子より、よっぽど誠実だからね」
……。
その言い方に、少しだけ引っかかった。
「……誠実?」
「うん」ミライは言った。「裏切らないし」
……。
前にも、聞いた気がする。
「勝手にいなくなったりしないし」ミライは言った。「……勝手に、決めたりしないし」
……。
……あ。
これ。
東海林のことか。
◇
「……なあ」
「なに」
「お前、まだ、怒ってるのか」
「――何が」
「……四季のこと」
ミライは、少し黙った。
それから、あっさり言った。
「怒ってるよ」
「まだか」
「一生って言ったでしょ」
「……ああ」
「でも」ミライは言った。「――前より、ましかな」
……。
「話すか?」
「話さない」ミライは言った。「まだ」
「まだ、か」
「まだ」
……。
ミライは、ふん、と鼻を鳴らした。
「わたし、根に持つタイプなの」
「知ってる」
「知ってるなら聞くな」
……。
◇
「――ていうか、あんた」
ミライが、ふと言った。
「なんだよ」
「今日、御手洗さんに、世界史教わってたよね」
「……ああ」
「あんた、日本史選択じゃなかった?」
……。
……。
「……そうだけど」
「え」ミライが足を止めた。「じゃあ、いらなくない?」
「……いらない」
「なんで言わなかったの」
「……言えるか」
……。
ミライは、しばらく俺を見て。
それから、心底あきれた顔をした。
「……あんた、ほんと、そういうとこだよ」
「うるさい」
「御手洗さんが楽しそうだから、黙ってたんでしょ」
「……」
「うわー」ミライは言った。「――キモ」
「なんでだよ!」
……。
でも、ミライは、少しだけ笑っていた。
◇
曲がり角で、ミライは立ち止まった。
「じゃ、わたし、こっち」
「おう」
「あ、そうだ」
「なんだよ」
ミライは、振り返って、にやり、とした。
「――いおきべさんと御手洗さんで、妄想するなよ」
「しねーって!」
「あと」ミライは言った。「――わたしでも、するなよ」
「するか!」
「即答……」ミライは、少しむっとした。「それはそれで、失礼じゃない?」
「どうしろってんだよ!」
……。
ミライは、けらけら笑いながら、帰っていった。
……。
冬の夜。
なんだったんだ、今の会話。
(第2.5話 了)




