第16話 柏木
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第16話 柏木
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公演の翌日、日曜日。
呼び出しは、突然だった。
◇
朝、スマホが鳴った。
五百旗頭からだった。
「もしもし」
「森本くん。今日、時間はありますか」
「あるけど」
「学校に来てください」
「日曜だぞ」
「――柏木先生から、連絡がありました」
……。
心臓が、跳ねた。
「なんて」
「『話がある』と」五百旗頭は言った。「わたしと、あなたに」
◇
学校は、静かだった。
日曜の校舎は、人の気配がない。部活の声が、遠くのグラウンドから聞こえるだけ。
待ち合わせは、旧校舎の二階。
……つまり、旧図書室の前だった。
「……なんで、ここなんだ」
「わかりません」五百旗頭も、硬い顔をしていた。
二人で、階段を上がった。
一段、上がるごとに。
空気が、冷たく、なっていく気がした。
廊下の突き当たり。
扉の前に、柏木先生が立っていた。
◇
「――来てくれたか」
柏木先生は、こちらを見た。
いつもと、少し違って見えた。
スーツではなく、私服だった。セーターとコート。
そして、疲れているように見えた。
「先生」五百旗頭が言った。「話とは、なんでしょうか」
「その前に」柏木先生は言った。「――中に、入ろうか」
柏木先生は、鍵を取り出して、扉を開けた。
鍵が、回る音が。
静かな廊下に、やけに、大きく響いた。
……あの部屋に。
十年前、六人が死んだ部屋に。
◇
中は、空っぽだった。
……ひやり、とした。
廊下より、さらに、空気が冷たい。長いあいだ閉め切られていた、部屋の匂い。埃と、古い紙の、匂いがした。
稽古で使った白いテープが、まだ床に残っている。
あの部屋を、再現したときの、線。
何もない床に、白く、引かれたまま。
十二月の日曜。窓から入る光が、床に長い四角を作っていた。
その光の中で、埃が、ゆっくりと、舞っていた。
俺たちの、足音が。
誰もいない部屋に、響いた。
「ここに来るのは」柏木先生は言った。「何度目だろうな」
「先生」
「――昨日の劇を、見た」柏木先生は言った。「よくできていたよ」
「ありがとうございます」
「特に、最後の場面」柏木先生は言った。「あれは、君が書いたのか」
「……はい」
「そうか」
柏木先生は、部屋の隅を見た。
手記が見つかった、場所を。
何もない、その隅を。
長い、あいだ。
◇
「――質問がある」
柏木先生は言った。
「はい」
「なぜ、あの結末にした」
五百旗頭は、少し黙った。
それから、言った。
「――回避できたかもしれない、と、思ったからです」
「根拠は」
「ありません」五百旗頭は言った。「事実ではありません。……ですが、可能性としては、成立します」
「どういう可能性だ」
「一人では、できないことがあります」五百旗頭は言った。「――でも、二人なら、できたかもしれない」
……。
柏木先生は、動かなかった。
しばらく、何も言わなかった。
窓の外を、見たまま。
その横顔が、光の中で、ひどく、疲れて見えた。
◇
「――君は」
やがて、柏木先生は言った。
「どこまで、調べた」
「かなり、調べました」五百旗頭は答えた。「新聞。学校の記録。事務書類。名簿」
「名簿」
「はい」五百旗頭は言った。「――図書委員は、六人いました」
……。
柏木先生の、肩が、少し動いた。
ほんの、少しだけ。
でも、それまで動かなかった人が動いたので、はっきり、わかった。
「五人が、亡くなっています」五百旗頭は言った。「――もう一人は、卒業しています」
「……そうか」
「先生」五百旗頭は言った。「――その、もう一人は」
五百旗頭は、まっすぐ、柏木先生を見た。
「――先生ですね」
◇
部屋が、静かだった。
柏木先生は、否定しなかった。
ただ、窓の外を見ていた。
「……いつから、気づいていた」
「確信したのは、昨日です」五百旗頭は言った。「先生が、客席で、拍手をしなかったので」
「……見ていたのか」
「森本くんが、見ていました」
柏木先生は、少し笑った。
力のない笑い方だった。
「そうか。……見られていたか」
◇
「先生」俺は言った。
「なんだい」
「あの日、何があったんですか」
柏木先生は、俺を見た。
それから、また、窓の外を見た。
「……何もない」
「え?」
「私は、あの日、ここにいなかった」柏木先生は言った。「――何も、見ていない」
……。
「じゃあ」
「――だから、何も語れない」柏木先生は言った。「私が知っているのは、月曜の朝に、五人が死んでいたということだけだ」
……。
「六人、じゃないんですか」
「六人だ」柏木先生は言い直した。「……すまない。六人だ」
……。
妙な、言い間違いだった。
さっき、柏木先生は。
「五人が、死んでいた」と、言った。
図書委員は、六人。死んだのは、五人。……数は、合っている。
なのに、いま。
俺が聞き返したら。
「六人だ」と、言い直した。
まるで。
その場所に、いなかったはずの、自分を。
死んだ、五人の、中に。
数えて、しまうみたいに。
◇
「先生」五百旗頭が言った。「なぜ、あの日、来なかったのですか」
柏木先生は、答えなかった。
長い、沈黙があった。
窓から入る光が、少しずつ、角度を変えていく。
床の、白いテープが。
光と、影の、境目で。
半分だけ、明るかった。
やがて、柏木先生は言った。
「――くだらない理由だ」
「……」
「中学のときの友人から、連絡が来た」柏木先生は言った。「『今から会えないか』と」
……。
「別に、その日でなくてもよかった」柏木先生は言った。「明日でも、来週でもよかった」
「……」
「でも、行った」柏木先生は言った。「――そのほうが、楽しそうだったから」
……。
俺は、何も言えなかった。
◇
「あの頃、少し、疲れていてね」柏木先生は言った。「委員会も、勉強も、面倒になっていた」
「……」
「だから、思ったんだ」柏木先生は言った。
声が、低かった。
そして、はっきりと、言った。
「――『どうせ、一人いなくても、何も変わらないだろう』と」
……。
部屋が、静まり返った。
窓の外で、風の音がした。
それ以外は、何も、聞こえなかった。
その言葉が。
床の、白いテープの、真ん中に。
ことり、と、落ちた。
そんな、気がした。
◇
……俺は。
何も、言えなかった。
何か言おうとして、口を開いて、そして、閉じた。
だって。
……同じだ。
俺も、そう思った。
文化祭の日。
控え室から、逃げ出したとき。
「一人抜けても、たいしたことにはならない」と。
……思った。
◇
「――先生」
気づいたら、そう言っていた。
声が、少し、かすれた。
「なんだい」
「……俺も、逃げました」
柏木先生が、こちらを見た。
「文化祭です」俺は言った。「ステージの本番、直前に、逃げました」
「……」
「屋根に登って、逃げて」俺は言った。「みんな、九人で、やりました。……穴が空いたまま」
……。
「そのとき、思ったんです」俺は言った。「『一人くらい、いなくても』って」
……。
柏木先生は、何も言わなかった。
ただ、俺を、見ていた。
「……でも、みんな、怒ってました」俺は言った。「隊形が崩れたって。振り付けがずれたって」
……。
俺は、柏木先生の目を、まっすぐ見た。
「一人抜けたら」俺は言った。「――ちゃんと、変わるんです」
(第16話 了)




