第15話 その台詞だけは違う
====================
第15話 その台詞だけは違う
====================
公演当日。
十二月の、土曜日だった。
◇
体育館は、思ったより人が入っていた。
二百人くらいだろうか。生徒がほとんどだが、保護者らしき大人もちらほらいる。
冬公演は、例年もっと少ないらしい。
「……なんで、こんなに来てるんだ」
「噂になってるみたいです」真壁が言った。「『十年前の事件をやるらしい』って」
……そうか。
みんな、知っているわけじゃない。でも、なんとなく聞いたことがある。そういう話。
それが、舞台になる。
「大丈夫か、これ」
「大丈夫です」真壁は言った。「事実は伏せてますし、実名も出しません」
「……そうだな」
でも、なんとなく、落ち着かなかった。
◇
開演三十分前。
舞台袖で、五百旗頭が台本を読み返していた。
「緊張してるのか」
「していません」
「顔が硬いぞ」
「……少し、しています」五百旗頭は認めた。「妙な気分です」
「どんな」
「これは、演劇です」五百旗頭は言った。「フィクションです。……ですが、あの部屋で起きたことは、事実です」
「ああ」
「わたしは、その事実を、想像で埋めました」五百旗頭は言った。「正しいかどうか、わかりません」
「……」
「間違っていたら」五百旗頭は言った。「――わたしは、亡くなった方に、嘘をつくことになります」
……。
そうか。
こいつは、そこを、ずっと気にしていたのか。
「――でも」
五百旗頭は、顔を上げた。
「何も言わないよりは、ましだと思いました」
◇
客席の様子を、幕の隙間から見た。
前のほうに、演劇部の関係者。中ほどに生徒たち。
そして、いちばん後ろ。
……柏木先生がいた。
一人で、立って見ている。座らずに。
「……来てるな」
「はい」五百旗頭も見ていた。「……当然かもしれません」
「なんでだ」
「あの人は、十年前の卒業生です」五百旗頭は言った。「――知っているはずです。この題材が、何なのか」
……。
そして。
もう一人。
客席のいちばん端、壁際の立ち見の位置に。
東海林がいた。
コートを着たまま。竹刀袋は持っていない。
じっと、舞台を見ていた。
◇
開演。
照明が落ちる。
俺は、照明卓の前でスイッチに手をかけた。
幕が上がる。
舞台の上には、テープで引かれた図書室の間取りと、六人の役者。
そして、静かに、劇が始まった。
◇
第一場。
六人が集まる。何かの用事で図書室にいる。
台詞は、意図的に曖昧にしてあった。何のために集まったのかは、説明しない。わからないからだ。
第二場。
扉が閉まる。開かない。
でも、誰も慌てない。「そのうち開く」と言い合う。
……この場面は、五百旗頭の推測だった。
五十時間、彼らは何もしなかった。ならば、危機だと思っていなかったのだろう、と。
第三場。
時間が経つ。少しずつ、空気が変わる。
最初に苛立ち始めるのは、不破が演じる「部長」。
「――いつまで、こうしてるんだ」
声が、体育館に響いた。
……うまい。
相変わらず、無駄にうまい。
◇
第四場。
御手洗が、倒れる。
暗転。
……体育館が、真っ暗になった。
二百人分の、息が、いっせいに、止まった気がした。
俺は、照明卓の前で、汗をかいていた。ライトの熱が、狭いブースにこもる。手のひらが、湿っている。指が、次のスイッチを、探す。
明かりが、戻る。
隅に、御手洗が、いた。
体を、丸めて。膝を、抱えて。片手で、床を、押さえて。
書いていた。
……静か、なんてもんじゃ、なかった。
ペン先が、紙をこする音。
かり、かり、と。
それだけが、二百人の、体育館に、響いていた。
咳ひとつ、しない。
誰も、しなかった。
御手洗の、肩が、上下していた。呼吸が、浅い。ときどき、止まる。痛みを、こらえるみたいに。
……いや。
こらえて、いるんじゃ、ない。
こいつは、いま。
御手洗じゃ、なかった。
名前も、残らなかった、十年前の、誰かだった。
必死で、誰かに、伝えようとして。
書いて、いた。
……俺は。
御手洗が、演じてるってことを。
一瞬、忘れた。
たぶん、客席も、忘れていた。
◇
第五場。
一人ずつ、倒れていく。
台詞は、ほとんどない。
暗転。
そのたびに、音がした。
何かが、床に、倒れる音。低くて、鈍い。舞台の床を伝って、客席の、足の裏まで来る。
短い、悲鳴。
そして、また、暗転。
明かりが、戻るたびに。
立っている、人が。
一人ずつ。
減っている。
さっきまで、そこにいた場所が。
ぽっかり、空いている。
……俺は。
その、空いた場所を、見ていた。
ここは、旧図書室じゃ、ない。体育館の、舞台の上だ。
なのに。
たしかに。
人が、減っていく。
客席は、完全に、静まり返っていた。
衣擦れも。ない。
みんな、息を、するのを、忘れて。
ただ、減っていくのを。
見ていた。
◇
そして。
五百旗頭が演じる、教師が。
最後に、残った。
倒れる、前に。
舞台の、中央で。
ゆっくりと、顔を、上げた。
そして、言った。
「――どうして、あなたが、ここにいるの」
稽古のときに、ミライが入れた台詞。
真壁が、そのまま採用した一言。
……その、声が。
いつもの、五百旗頭じゃ、なかった。
少し、震えて、いた。
こいつは、知っている。
この台詞が、自分で採った、台本にない一言だってこと。
そして、たぶん、こうも、思っている。
――これが、正しいのか。
――亡くなった人に、嘘を、ついて、いないか。
その、迷いごと。
五百旗頭は、その台詞を、言い切った。
……その、瞬間だった。
◇
客席の、いちばん、端。
壁際の、立ち見の、位置で。
――影が、まっすぐ、伸びた。
誰かが、立ち上がった。
……東海林、だった。
コートを、着たまま。
舞台を、見て。
そして。
はっきりと。
体育館じゅうに、届く声で。
言った。
「――その台詞は、違う」
……。
しん、と。
なった。
一拍。
それから、ざわ、と。
客席が、揺れた。
前のほうの、生徒が、振り返る。誰だ。今の。何。
舞台の上の、役者たちが。
動きを、止めた。
五百旗頭が。
台詞の、途中の、姿勢のまま。
固まって。
客席の、その一点を、見た。
……目が、合った。
東海林と、五百旗頭の、目が。
舞台の光と、客席の暗がりを、挟んで。
まっすぐ。
東海林は。
しばらく。
立って、いた。
自分の声が、二百人の中に、落ちたことに。
まだ、気づいて、いないみたいに。
それから。
ふ、と。
我に返って。
……少し、うつむいた。
そして。
誰とも、目を、合わせずに。
体育館を、出て、いった。
扉が、閉まる。
その、音だけが。
やけに、大きく、聞こえた。
◇
……数秒の、沈黙。
でも、真壁の判断は早かった。
舞台袖から、小さく合図を出した。
「――続けて」
役者たちが、動き出した。
何事もなかったように、劇は続いた。
……でも。
俺は、照明を操作しながら、ずっと考えていた。
東海林は、なぜ、あの台詞に反応したんだ。
なぜ、「違う」と言えたんだ。
……知っているみたいに。
◇
劇は、最終場まで進んだ。
五百旗頭が書いた、最後の場面。
扉の向こうに、誰かが来る。
中の状況を知る。
助けを呼ぶ。
そして、扉が開く。
……そこで、幕が下りた。
一瞬の、静寂。
それから、拍手が起きた。
大きな拍手だった。
……でも。
拍手の、真ん中で。
俺は、客席のいちばん後ろを、見ていた。
二百人が、手を、叩いている。
その音の、ただ中で。
柏木先生だけが。
拍手を、していなかった。
立ったまま。
動かずに。
両手を、下げたまま。
じっと、舞台を、見ていた。
その顔は、遠くてよく見えなかった。
でも。
なぜか。
泣いているように見えた。
(第15話 了)




