第14話 回避可能だった未来
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第14話 回避可能だった未来
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公演まで、一日。
最後の通し稽古の日だった。
◇
「――今日で、稽古は最後です」
真壁が、全員の前に立った。
「明日は本番。ここまで来られたのは、みなさんのおかげです」
パチパチ、と拍手が起きた。
「ただ」真壁は言った。「まだ、決まっていないことがあります」
……。
全員が、静かになった。
「――結末です」
◇
「台本は、第七場まで書けています」真壁は言った。「六人が閉じ込められて、一人ずつ死んでいく。手記が書かれる。……そこまでです」
「その先は」
「ありません」真壁は言った。「だって、わからないので」
……。
そうだ。
真相が、わからない。
だから、終われない。
「五百旗頭さん」真壁は言った。「……書けますか」
全員の視線が、五百旗頭に集まった。
五百旗頭は、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「――書けません」
◇
「え」
「真相は、わかりませんでした」五百旗頭は言った。「誰が犯人か。なぜ殺したのか。……何ひとつ、確定できていません」
「じゃあ」
「ですが」五百旗頭は言った。「――別のものなら、書けます」
「別のもの?」
五百旗頭は、ホワイトボードの前に立った。
「わたしたちは、この二週間、あの部屋を再現してきました」
「ああ」
「視界を確かめ、時間を計り、体勢を試しました」五百旗頭は言った。「――そして、いくつかの『できないこと』が、わかりました」
五百旗頭は、書いていった。
マーカーが、きゅ、きゅ、と鳴った。
『あの位置からは、部屋の大部分が見えない』
『あの体勢では、長い文章は書けない』
『あの傷では、すぐに意識を失う』
『あの時間では、五十時間が説明できない』
「これらは、すべて、否定です」五百旗頭は言った。「『こうではなかった』ということしか、わかっていません」
◇
「でも」五百旗頭は言った。「――否定を重ねると、残るものがあります」
「なんだ」
「――『こうであれば、成立した』という形です」
五百旗頭は、新しい行を書いた。
『もし、あの部屋に、もう一人いたら』
……。
「いいですか」五百旗頭は言った。「あの手記が成立するためには、条件があります」
「条件」
「一。書き手は、動けないが、書ける状態だった」五百旗頭は言った。「二。見えない位置にいながら、状況を把握できた」
「ああ」
「三。長時間、出血しながら、書き続けた」五百旗頭は言った。「四。助けを呼ばなかった」
「うん」
「これらを、すべて満たす状況が、ひとつだけあります」
五百旗頭は、俺たちを見た。
「――誰かが、そばにいた場合です」
◇
……え。
「そばに?」
「はい」五百旗頭は言った。「彼女に、状況を伝えた誰かがいた」
「……」
「『今、誰が倒れた』と、教えた誰かが」
……。
ぞわ、と、した。
「それなら、見えなくても書けます」五百旗頭は言った。「そして、その人物が、彼女を助けなかった理由も」
「……なんだ」
「――助けられない状況だった」
……。
「たとえば、その人物も負傷していた」五百旗頭は言った。「あるいは、動けなかった。あるいは」
五百旗頭は、少し言いにくそうにした。
「――外から、扉越しに、話していた」
◇
……。
稽古場が、静まり返った。
「……外?」
「可能性です」五百旗頭は言った。「扉の向こうに、誰かがいた。中には入れない。でも、声は届く」
「……」
「その人物が、中の様子を見ていた」五百旗頭は言った。「窓か、隙間か、何らかの方法で」
「じゃあ、なんで助けない」
「わかりません」五百旗頭は言った。「ですが――もし、その人物が、鍵を持っていなかったとしたら」
……。
……あ。
外にいて。
中が見えて。
でも、入れない。
助けたくても、助けられない。
◇
「……それ」俺は言った。「地獄じゃないか」
「はい」五百旗頭は静かに言った。「――地獄です」
……。
その一言が、稽古場の、明るい蛍光灯の下に。
やけに、重く、落ちた。
……十年前。
誰かが、扉の向こうにいた。
中では、人が死んでいく。
見えている。
声も、届く。
でも、入れない。
……そして。
中にいた彼女は。
その誰かに向けて。
記録を、書いた。
◇
「……なんで、記録なんか」
「伝えるためです」御手洗が言った。
「伝える?」
「ええ」御手洗は言った。「もし、わたしがその立場だったら」
御手洗は、部屋の隅を見た。
誰もいない、その隅を。
「……たぶん、こう思うわ。『この人は、助けられない』って」
「……」
「でも、話しかけてくれる」御手洗は言った。「『今、誰が倒れた』って、教えてくれる」
「……ああ」
「だったら」御手洗は言った。「――わたしは、書くわ」
御手洗は、静かに言った。
「その人が、わたしたちのことを、忘れないように」
◇
……。
誰も、何も言えなかった。
「――それで」五百旗頭が、口を開いた。
声が、少しかすれていた。
「ここからが、本題です」
「本題?」
「はい」五百旗頭は言った。「――もし、その人物が、鍵を持っていたら」
……。
空気が、変わった。
「あるいは」五百旗頭は言った。「――もう一人、誰かが来ていたら」
……。
「二人いれば、扉を破れたかもしれません」五百旗頭は言った。「あるいは、一人が助けを呼びに行き、一人が残ることもできた」
「……」
「一人では、できないことが」五百旗頭は言った。「――二人なら、できます」
◇
稽古場が、静かだった。
「……それが、結末か」
「はい」五百旗頭は言った。「――『こうしていれば、助かった』という可能性です」
「でも、それは事実じゃない」
「事実ではありません」五百旗頭は認めた。「起きなかったことです」
「じゃあ、書いていいのか」
五百旗頭は、少し黙った。
それから、言った。
「――これは、演劇です」
……。
「記録ではありません」五百旗頭は言った。「事実を伝えるものでも、ありません」
「……ああ」
「演劇にできるのは」五百旗頭は言った。「――『こうだったかもしれない』を、見せることだけです」
◇
「じゃあ、書きましょう」
真壁が、言った。
「いいのか」
「はい」真壁は頷いた。「わたし、最初に言いましたよね。忘れられてるほうが、ひどいって」
「……ああ」
「でも、今なら、もっと言えます」真壁は言った。「――『どうにもならなかった』って思われるのも、ひどいです」
……。
真壁の声は、いつもの勢いのままだった。
でも、その目だけは、まっすぐで、動かなかった。
「あの六人は、運が悪かった。仕方なかった。……そう片付けられるのが、いちばん、悔しいです」真壁は言った。「だって、そうじゃないかもしれないんですよ」
「……」
「誰かが、来ていれば」真壁は言った。「――変わったかもしれない」
◇
その夜、五百旗頭は最後の場面を書いた。
内容は、簡単なものだった。
扉の向こうに、誰かが来る。
中の状況を知る。
助けを呼ぶ。
そして、扉が開く。
……それだけ。
実際には、起きなかったこと。
でも、起きえたこと。
「――タイトルは、どうしますか」
真壁が聞いた。
五百旗頭は、少し考えて。
それから、言った。
「――『もし、あなたが来ていたら』」
……。
俺は、そのタイトルを聞いて。
なぜか、背筋が寒くなった。
「あなた」。
それは。
誰に向けた、言葉なんだろう。
(第14話 了)




