第8話 書けない手記
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第8話 書けない手記
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その日の、稽古は。
手記の、場面から。
始まった。
◇
「――では、第三場です」
真壁が、言った。
「御手洗さん、位置に」
「はい」
御手洗が。
部屋の、隅に。
移動する。
書架の、陰。
十年前。
手記が。
見つかった、場所。
「そこで、負傷して、動けなくなります」真壁は、言った。「あとは、最後まで、その場所で」
「ええ」
「手記を、書き続けて、ください」
……。
御手洗は。
床に。
座った。
いや。
座った、というか。
崩れ落ちた、感じに。
体を、傾けて。
壁に。
背中を。
預けた。
……。
妙に。
リアル、だった。
◇
「――あの」
御手洗が。
顔を、上げた。
「はい?」
「ひとつ、聞いても、いいかしら」
「どうぞ」
「その人は」御手洗は、言った。「――どこを、怪我していたの?」
……。
……あ。
全員が。
動きを。
止めた。
「……えっと」真壁は、資料を、めくった。「そこまでは、書いてないです」
「新聞にも?」
「新聞にも」
……。
「五百旗頭さん」御手洗は、言った。「あなたが、調べた、記事には?」
「……ありません」五百旗頭は、首を、振った。「『重傷』としか」
……。
御手洗は。
少し、考えて。
それから。
言った。
「――でも、それ、大事じゃないかしら」
「大事?」
「ええ」御手洗は、頷いた。「だって」
御手洗は。
自分の。
右手を。
上げた。
「――ここを、怪我していたら。書けないもの」
◇
……。
稽古場が。
しん、と、なった。
「……あ」
五百旗頭が。
小さく。
声を、上げた。
「そうです」五百旗頭は、言った。「……そうです、御手洗さん」
「でしょう?」
「利き手を、負傷していたら」五百旗頭は、早口に、なった。「手記は、書けません。……あるいは、極端に、乱れた、字に、なります」
「ええ」
「腹部を、負傷していたら」五百旗頭は、続けた。「……前かがみに、なれません。書く、姿勢が、取れない」
「そうね」
「脚なら、書けます。腕でも、片方なら」五百旗頭は、言った。「……つまり」
五百旗頭は。
顔を、上げた。
「――負傷部位によって、『書けたか、どうか』が、決まります」
……。
そうか。
手記が。
存在する。
という、ことは。
書ける、状態だった。
という、ことだ。
◇
「実際に、やってみましょう」御手洗が、言った。「真壁さん、紙と、ペンを、貸して、いただける?」
「あ、はい!」
真壁が。
台本の、余りと。
ボールペンを。
持って、きた。
御手洗は。
それを、受け取って。
床に。
座り直した。
「まず」御手洗は、言った。「右腕が、使えない場合」
御手洗は。
右腕を。
だらり、と。
下げた。
そして。
左手で。
ペンを、持った。
……。
書き始める。
……。
ぐにゃぐにゃ、と。
した。
線が。
紙に。
残った。
「……読めないわね」御手洗は、言った。「わたし、左手では、書けないもの」
「そうだよな」
「十年前の、その人が」御手洗は、言った。「左利き、だったなら、別だけれど」
「……記録は」
「ありません」五百旗頭が、言った。
……。
わからない。
何も。
◇
「では、次」御手洗は、言った。「――お腹を、怪我している場合」
御手洗は。
右手を、戻して。
かわりに。
左手で。
腹部を。
押さえた。
そして。
壁に。
背中を。
預けたまま。
書こうと、した。
……。
「……あら」
「どうした」
「……書きにくいわ」御手洗は、言った。「紙が、安定しないの」
……。
たしかに。
膝の、上に。
紙を、置いて。
片手で。
書こうと、して、いる。
でも。
紙が。
動く。
押さえる、手が。
ない。
「……こう、かしら」
御手洗は。
姿勢を。
変えた。
前かがみに、なって。
床に。
紙を、置いて。
書こうと、した。
……。
「――痛っ」
御手洗が。
顔を、しかめた。
「大丈夫か!?」
「大丈夫よ」御手洗は、言った。「……でも、今、わかったわ」
「何が」
「お腹を、怪我していたら」御手洗は、言った。「――この姿勢は、無理ね」
……。
前かがみ。
腹部が。
圧迫される。
重傷なら。
激痛のはずだ。
◇
「……整理します」
五百旗頭が。
ノートを、開いた。
「手記が、存在する。……ということは、書ける状態だった」
「ああ」
「では、書けない、負傷部位は」五百旗頭は、指を、折った。「利き手。腕。腹部。……胸部も、難しいでしょう」
「うん」
「書ける、負傷部位は」五百旗頭は、言った。「脚。……あるいは、利き手ではない、ほうの腕」
「……脚か」
「はい」五百旗頭は、頷いた。「――脚を、負傷していたなら。動けないが、書ける」
……。
動けない。
でも。
書ける。
……。
それは。
手記の、記述と。
一致する。
「じゃあ、脚か」
「――ですが」
五百旗頭は。
そこで。
眉を、寄せた。
「脚の、負傷で。……出血多量で、死にますか?」
……。
え。
◇
「死亡原因は、出血多量です」五百旗頭は、言った。「新聞に、そう、書いてありました」
「……ああ」
「脚の、傷で、出血多量に、なるには」五百旗頭は、言った。「――太い血管を、損傷する、必要が、あります」
「太い、血管」
「大腿動脈です」五百旗頭は、言った。「……ですが、それを、切ると」
五百旗頭は。
少し。
声を、落とした。
「――数分で、意識を、失います」
……。
数分。
「その、時間で」五百旗頭は、言った。「あの、長さの、手記が、書けますか」
……。
……。
書けない。
絶対に。
手記には。
五人が、死ぬまでの。
経過が。
書かれて、いた。
数分で。
書ける、量じゃ、ない。
◇
「……矛盾、してるな」
「はい」五百旗頭は、言った。「矛盾しています」
「じゃあ、どういうことだ」
「可能性は、いくつか」五百旗頭は、言った。「一。彼女は、時間をかけて、出血した」
「時間をかけて?」
「太い血管では、ない、傷から。……ゆっくり、失血した」五百旗頭は、言った。「その場合、数時間、かかります」
「じゃあ、書ける」
「書けます」五百旗頭は、頷いた。「……ですが、それだと、別の問題が」
「なんだ」
「――数時間、あったなら」五百旗頭は、言った。「助けを、呼べたのでは?」
……。
……あ。
「叫ぶ。物を、投げる。……何か、できたはずです」五百旗頭は、言った。「動けなくても、声は、出せます」
「……」
「なのに」五百旗頭は、言った。「彼女は、書いていた」
……。
助けを。
呼ばずに。
ただ。
書いて、いた。
◇
「……ねえ」
御手洗が。
座った、まま。
言った。
「なんだよ」
「わたし、さっきから、思っているのだけれど」
「うん」
「――この人、誰かに、読ませるつもりで、書いているわよね」
……。
稽古場が。
静かに、なった。
「読ませる?」
「ええ」御手洗は、頷いた。「だって」
御手洗は。
手元の、紙を。
見た。
「順番に、書いてあるのでしょう?」御手洗は、言った。「『教師が、死んだ』『部長が、死んだ』……って」
「ああ」
「それって」御手洗は、顔を、上げた。「――誰かに、説明している、書き方だわ」
……。
……。
ぞ、と。
した。
◇
「……どういう、意味だ」
「日記なら」御手洗は、言った。「もっと、感情を、書くと、思うの」
「感情?」
「『怖い』とか。『痛い』とか。『お母さん』とか」御手洗は、言った。「……死にかけている人が、書くなら」
「……」
「でも、その手記は」御手洗は、言った。「順番と、事実だけ」
……。
たしかに。
報道された、内容は。
誰が。
どの順で。
死んだか。
それ、だけ、だった。
「まるで」御手洗は、言った。「――報告書、みたい」
……。
報告書。
「わたし、古い記録を、たくさん、読むでしょう?」御手洗は、言った。「日記と、報告書は、全然、違うの」
「……ああ」
「日記は、自分のために、書くの」御手洗は、言った。「報告書は、誰かのために、書くの」
御手洗は。
まっすぐ。
俺を、見た。
「――この人は、報告書を、書いていたのよ」
◇
「……誰に、向けて」
五百旗頭が。
かすれた声で。
言った。
「わからないわ」御手洗は、首を、振った。「でも」
「でも?」
「――読む人が、いると、思っていた」
……。
……。
そうだ。
全員が。
死ぬ、状況で。
なぜ。
記録を。
残すのか。
誰かが。
読む。
と。
思って、いたから。
じゃあ。
その、誰かは。
……。
外に、いた。
◇
「――やっぱり、外部だ」
俺は、言った。
「そうなりますね」五百旗頭は、頷いた。「彼女は、外に、誰かが、いることを、知っていた」
「じゃあ、その相手に」俺は、言った。「助けを、求めれば」
「……」
五百旗頭が。
黙った。
……。
あ。
そうか。
助けを。
求めなかった。
……いや。
違うかも、しれない。
求めても。
無駄だと。
知って、いた。
……だから。
かわりに。
記録を。
残した。
「……なんで」俺は、言った。「なんで、助けて、くれないんだ」
誰も。
答えなかった。
◇
「――ちょっと、いい?」
湊ミライが。
手を、挙げた。
「なんだ」
「あのさ」ミライは、言った。「その手記、最後、どうなってたっけ」
「『死んだと思っていた教師が、立ち上がった。こちらに来る。ああ、そういうことだったのか。わたしは』」五百旗頭が、暗唱した。「そこで、途切れています」
「うん」ミライは、頷いた。「――『ああ、そういうことだったのか』って、何?」
……。
……あ。
「これ、さ」ミライは、言った。「――何かが、わかった、ってことだよね」
「……そうだな」
「死ぬ直前に」ミライは、言った。「何かに、気づいた」
……。
……。
何に。
「『そういうことだったのか』」ミライは、繰り返した。「……何が、そういうことなの?」
……。
誰も。
答えられ、なかった。
◇
「――今日は、ここまでに、しましょうか」
真壁が。
手を、叩いた。
「そうですね」
みんなが。
荷物を、まとめ始めた。
でも。
御手洗だけは。
まだ。
床に。
座った、まま、だった。
「御手洗?」
「……ええ」
「立てないのか」
「立てるわ」御手洗は、言った。「……でも」
御手洗は。
部屋の。
前のほうを。
見て、いた。
書架の。
陰から。
見える。
一本の。
通路を。
「……ここ、暗いわね」
「……ああ」
「ずっと、こうしていたのね」御手洗は、言った。「……その人」
……。
「痛くて。動けなくて。……暗くて」御手洗は、言った。「みんなが、死んでいくのを、聞きながら」
「……」
「書いていたのね」
……。
俺は。
何も。
言えなかった。
御手洗は。
しばらく。
そこに。
座って、いた。
それから。
静かに。
立ち上がって。
スカートの、埃を。
払った。
「……ねえ、森本くん」
「なんだよ」
「わたし」御手洗は、言った。
「――この人の、名前が、知りたいわ」
……。
……あ。
そうだ。
俺たちは。
まだ。
誰の、名前も。
知らない。
「委員長」
「部長」
「教師」
記号だけ。
十年前に、死んだ。
六人の。
名前を。
誰も。
教えて、くれない。
(第8話 了)




