特別編 湊ミライは、噛みつく
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特別編 湊ミライは、噛みつく
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白瀬先生が、学校を、去る、前日。
俺は、たまたま。
その場に、居合わせて、しまった。
◇
放課後。空き教室。
荷物を、まとめている、白瀬先生の、前に。
湊ミライが。
仁王立ちで。
立って、いた。
「……なんですか、湊さん」
「先生」ミライは、言った。「ひとつ、聞いていい?」
「どうぞ」
「なんで、森本を、巻き込んだの」
俺は。
廊下の、陰で。
思わず。
足を、止めた。
◇
「なぜ、と、言われても」白瀬先生は、荷物を、まとめる手を、止めずに、言った。「わたしは、人間の、噂に関する、行動心理学的な、動向を、知りたかった。それだけです」
「違うわ!」ミライの、声が、跳ねた。「あんたの、実験に。森本を、使うなって、言ってんだよ」
「使う、と、言われましても」白瀬先生は、首を、かしげた。「彼は、サンプルとして、条件が、合っていた。……たまたま、選ばれただけです」
「たまたま?」
「ええ。恨みも、意図も、ありません」白瀬先生は、言った。「それに、『使うな』と、言われても。人間の、行動原理を、知るためには。……やってみないと、わからない、わけで」
「……うっせーな」
ミライの、声が。
低く、なった。
「そんなこと、言ってんじゃ、ねーんだよ」
「では、何を?」
「お前には」ミライは、白瀬先生を、指さした。「――感情が、ねーのかよ」
◇
白瀬先生は。
少しだけ、間を、置いて。
それから、言った。
「感情は、ありますよ。人並みに」
「嘘つけ」
「本当です」白瀬先生は、あっさり、言った。「というより。……湊さん。あなた、いま。わたしが、感情の、薄い、人間だと。決めつけましたよね」
「……」
「それ」白瀬先生は、微笑んだ。「印象、じゃ、ないですか?」
ぐ。
……こいつ。
使ってくる。
こっちの、テーマを。
◇
「……あー、そう」ミライは、髪を、かき上げた。「じゃあ、聞くけどさ。先生。あんた、彼氏とか、彼女とか。いんの?」
「いますけど」
「……は?」
「彼女なら、普通に、いますよ」白瀬先生は、けろっと、して、言った。「なんなら、今。大学の、同級生と。同棲して、います」
「……」
「もしかして」白瀬先生は、少し、楽しそうに、言った。「そんな、わたしに。『モテなさそう』って、言おうと、しました?」
「……」
「それって」白瀬先生は、言った。「――あなたの、思い込み、というか。願望、ですよね?」
……えぐい。
えぐい、返し方だ。
ミライの、こめかみに。
青筋が、浮いた。
◇
「……だとしてもよ」ミライは、言った。「その彼女。……本当に、好きじゃ、ねーだろ」
「なぜ、そう思うのですか」
「お前」ミライは、まっすぐ、言った。「自分以外、本当に、好きそうじゃ、ねーもんな」
白瀬先生は。
ぴくり、とも、しなかった。
「……それも、感情論、ですよね」白瀬先生は、言った。「理屈で、話さないと。納得しませんよ、僕」
「僕?」
「一人称は、場面で、変えています。研究者としては、『僕』のほうが、しっくりくるので」
「……知らねーよ」
ミライの、拳が。
ぎゅっ、と、握られた。
「そういうんじゃ、ねーんだよ」
「では、どういう、ものですか」
「……お前、ボコボコに、すんぞ」
「ヤンキーですか? あなた」
……。
だめだ。
会話が。
成立して、ない。
いや。
成立、して、いる。
白瀬先生の、ルールの上でだけ。
◇
「……あのさ」
ミライは。
一度、深く、息を、吸って。
それから、言った。
「自分しか、愛せないから。他人の、気持ちが、わからないんだよね。……君は」
「……」
「それを」ミライは、続けた。「観察者側で。……安全な、ところから、見てないと、理解できないって。……可哀想だよね」
白瀬先生の、手が。
ほんの一瞬。
止まった。
……気が、した。
でも。
すぐに。
いつもの、調子で、言った。
「感情が、入りすぎて。……話に、なりませんね」
「そうだね。ならないね」ミライは、言った。「でもさ。……ひとつだけ、言っとく」
「なんでしょう」
「そういうのは」ミライは、言った。「他人を、使って、実験する、もんじゃ、ねーんだよ。……自分、使って。いろいろ、試してみな」
白瀬先生は。
きょとん、と、して。
それから。
にっこり、笑った。
「ええ。そうして、いますよ」
「……は?」
「彼女も」白瀬先生は、言った。「試行実験で。……それで、作りましたし」
……。
ぞわ、と、した。
「これからも」白瀬先生は、続けた。「人の、心理を、研究するために。……いろいろ、使って、いきますよ」
◇
空き教室が。
しん、と、した。
ミライは。
しばらく。
何も、言わなかった。
それから。
ぽつり、と。
「……人間って」
「はい?」
「……そういう、もんじゃ、ねーんだよな」
ミライは。
顔を、上げた。
その目は。
怒って、いるようで。
少しだけ。
悲しそうにも、見えた。
「……それってさ」ミライは、言った。「結局、きみも。……使われてる側だってこと。……気づけないんだな」
「……」
「かわいそうに」
白瀬先生の、笑みが。
ほんの少しだけ。
崩れた。
「……使うも、使われるも、ないでしょう」白瀬先生は、言った。「僕の、思い通りに、できるなら。どちらでも……」
それは。
反論じゃ、なかった。
話題を。
手放しただけ、だった。
◇
ミライは。
くるり、と、背を、向けて。
出口へ、歩き出した。
でも。
扉の、手前で。
立ち止まって。
振り返らずに、言った。
「……先生。あんた、森本のこと。……『被験者M』って、書いてたよね」
白瀬先生の、動きが。
止まった。
「……なぜ、それを」
「ノート、見たもん」ミライは、あっさり、言った。「机の、上に、置きっぱなしだったし」
「……」
「で」ミライは、言った。
「――『被験者S』って、誰?」
沈黙。
長い、沈黙が、あった。
白瀬先生は。
答えなかった。
「……答えられないんだ」ミライは、言った。「ふーん」
それだけ、言って。
ミライは。
空き教室を、出て、いった。
◇
廊下で。
俺は。
ミライと、鉢合わせた。
「……げ。森本。聞いてたの」
「……ああ。悪い」
「うわ、最悪」ミライは、髪を、かき上げた。「かっこ悪いとこ、見られた」
「かっこ悪くは、なかったけど」
「負けたじゃん、わたし」ミライは、吐き捨てた。「あいつ、理屈しか、聞かないんだもん。……全部、『それ感情論ですよね』で、終わり」
「……ああ」
「わたし、頭、よくないからさ」ミライは、言った。「五百旗頭さんなら。……もっと、うまく、論破できたのかもね」
たぶん。
そうかも、しれない。
五百旗頭なら。理屈で、あいつを、崩せた、かもしれない。
でも。
「……なあ、湊」
「なに」
「なんで、あんなに、怒ったんだ?」
ミライは。
少し、黙って。
それから。
前を、向いたまま、言った。
「……わたしね」
「ああ」
「……一年のとき。誰にも、見られてなかったんだよ」
「……」
「クラスに、いたのに。名前も、覚えられなくて。……誰も、わたしのこと、見てなかった」ミライは、言った。「みんな、勝手に、わたしを、記憶してた。……『あの、地味な子』って」
俺は。
何も、言えなかった。
「あいつがさ」ミライは、言った。「『人は、噂だけで、他人を、認識する』って。……証明して、喜んでたでしょ」
「……ああ」
「あれ」ミライは、言った。「わたしが、ずっと、味わってきた、やつだから」
……。
そうか。
だから、こいつ。
あんなに。
感情的に、なったのか。
「……ま、いいけど」ミライは、いつもの、調子に、戻った。「負けたけどね。完敗」
「……いや」
俺は、言った。
「負けてないだろ」
「へ?」
「あいつ、最後。答えられなかったろ」俺は、言った。「『被験者Sって誰』って。……黙ってた」
「……ああ、あれ」
「それに」俺は、言った。「聞いてて、思ったよ。……あいつ、理屈は、通ってるけど。……なんか、人として、こわい」
ミライは。
ぽかん、と、した顔で、俺を、見て。
それから。
ぷっ、と、噴き出した。
「……あはは。何それ」
「本当だって」
「……うん」ミライは、笑った。「……そうだね。こわいね、あいつ」
その、笑い方は。
いつもの、意地の悪い、やつじゃ、なくて。
なんだか。
少しだけ。
救われた、みたいな。
そんな、笑い方だった。
◇
――理屈では。
たぶん、ミライは。
負けた。
白瀬先生の、ルールの上では。全敗、だったと思う。
でも。
なぜだろう。
見ていた、俺には。
ミライが、負けた気が。
まったく。
しなかった。
(特別編 了)
(――第2巻+特別編・完。第3巻へ、つづく)




