第18話 空欄を埋める
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第18話 空欄を埋める
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◇
三月の中旬。
進路希望調査の、最終提出日だった。
◇
「――まだ書いてないのですか」
図書室で、五百旗頭が言った。
「まだだ」
「今日が締め切りです」
「知ってる」
「――放課後までですよ」
「知ってる」
……。
五百旗頭は、あきれた顔をした。
「あなた、一月から、ずっと同じことを言っています」
「そうだな」
「二か月です」
「そうだな」
◇
……。
プリントは、鞄の中にある。
何度も出しては、しまった。
……何も、書けなかった。
「――何が、決まらないのですか」
「全部だ」
「全部?」
「文系か理系かも」俺は言った。「学部も、大学も、職業も」
……。
「何ひとつ、決まってない」
◇
「――では、消去法でいきましょう」
「前もやっただろ」
「もう一度やります」五百旗頭は言った。「絶対に嫌なことは?」
「電話で頭を下げる仕事」
「それは職業です」五百旗頭は言った。「科目の話を」
「古文が嫌だ」
「では文系は不利です」
「物理も嫌だ」
「では理系も不利です」
……。
「詰んでるな」
「詰んでいます」
◇
「――ねえ、森本くん」
御手洗が、資料から顔を上げた。
「なんだよ」
「本当に、何もないの?」
「ない」
「本当に?」
……。
御手洗は、じっと俺を見た。
「――でも、あなた、先月、あの部屋に入ったでしょう」
……。
「入ったな」
「なぜ?」
……。
◇
「……藤堂が、気になったからだ」
「なぜ、気になったの?」
「……なんでだろうな」
……。
御手洗は、少し首をかしげた。
「――あなた、いつも、そうよね」
「そうか?」
「そうよ」御手洗は言った。「面倒くさいって言いながら、結局、動いているわ」
……。
「一年生のときから、そうでしょう?」
「一年のときは、何もしてない」
「そう?」
◇
「――していますよ」
五百旗頭が言った。
「してないだろ」
「しています」五百旗頭は言った。「わたしが、宇宙の話をしていたとき」
……。
「あなた、聞いていました」
「聞いてただけだろ」
「――誰も、聞きませんでした」五百旗頭は言った。
……。
「わたしは、変な人だと思われていました」五百旗頭は言った。「宇宙の話ばかりする、面倒な女だと」
……。
「――でも、あなただけは、聞いていました」
◇
……。
俺は、少し黙った。
……そんなこと、覚えていない。
ただ、面白そうだと思って、聞いていただけだ。
「……それ、何かしたことになるのか」
「なります」五百旗頭は言った。
「なぜだ」
「――わたしが、今も、宇宙の話をしているからです」
……。
え。
◇
「あのとき、誰も聞かなかったら」五百旗頭は言った。「わたしは、たぶん、話すのをやめていました」
……。
「話しても、意味がないと思って」五百旗頭は言った。「――そのうち、興味も、なくしていたかもしれません」
……。
「でも、あなたが聞いたので」五百旗頭は言った。
……。
「――続けられました」
◇
……。
俺は、何も言えなかった。
「……大げさだろ」
「大げさではありません」五百旗頭は言った。
……。
「わたしは、今、素粒子物理を目指しています」五百旗頭は言った。「その入口は、あの図書室です」
……。
「――そして、そこには、あなたがいました」
◇
……。
図書室が、静かだった。
御手洗が、少し笑った。
「――わたしもよ」
「え?」
「わたし、世界史の話を、誰にもしなかったわ」御手洗は言った。「したら、嫌がられるから」
……。
「でも、あなたは、聞いてくれたでしょう?」
「……わかんなかったけどな」
「わからなくても、聞いてくれたわ」御手洗は言った。
……。
「――それが、嬉しかったの」
◇
……。
俺は、机を見ていた。
……なんだ、これ。
何もしていないと思っていた。
面倒くさがって、逃げてばかりで。
……でも。
「――ねえ、森本くん」
御手洗が言った。
「なんだよ」
「あなた、何がしたいのか、わからないと言ったわね」
「言った」
「――でも、何をしてきたかは、わかるでしょう?」
◇
……。
何をしてきたか。
……。
五百旗頭の話を、聞いた。
御手洗の世界史を、聞いた。
不破が疑われたとき、庇った。
ミライが信じてもらえなかったとき、信じた。
東海林が離れたとき、追いかけた。
藤堂が一人で片付けをしていたとき、手伝った。
和泉さんが外にいたとき、中に入れと言った。
……。
……あ。
◇
……。
全部、同じだ。
誰かが、一人でいるとき。
……そこに、行った。
それだけだ。
大したことじゃない。
特別な能力でもない。
……ただ、気になって、動いただけだ。
◇
「……なあ、五百旗頭」
「はい」
「それ、職業になるか?」
「……なんですか」
「――誰かが一人でいるとき、そこに行く仕事」
……。
五百旗頭は、少し考えた。
「……たくさんあります」
「たとえば」
「教師。カウンセラー。ソーシャルワーカー。医療職」五百旗頭は言った。「――他にも、いろいろ」
……。
「でも」五百旗頭は言った。
「でも?」
「――それは、職業でなくても、できます」
◇
……。
「え?」
「あなたは、高校生です」五百旗頭は言った。「教師でも、カウンセラーでもありません」
「ああ」
「でも、やっています」五百旗頭は言った。「――肩書きは、必要ありませんでした」
……。
「じゃあ」俺は言った。「――何を書けばいいんだ」
……。
五百旗頭は、少し笑った。
「――大学に行ってください」
◇
「え?」
「まず、大学に行ってください」五百旗頭は言った。「そして、その先で、決めればいいのです」
……。
「でも、学部は」
「なんでもいいです」五百旗頭は言った。「――ですが、選べるほうがいい」
……。
「選べる?」
「はい」五百旗頭は言った。「――Fランでもいい、と言っていましたよね」
……。
「言ったな」
「それだと」五百旗頭は言った。「――選べる範囲が、狭くなります」
◇
……。
「あなたは、今、何がしたいか、わかりません」五百旗頭は言った。「――それは、悪いことではありません」
……。
「でも」五百旗頭は言った。「わからないなら、選択肢を、多く持っておくべきです」
……。
「そのためには」五百旗頭は言った。
……。
「――勉強するしか、ありません」
◇
……。
俺は、しばらく黙っていた。
それから、鞄からプリントを出した。
空欄。
二か月間、白いままだった欄。
……。
ペンを、取った。
◇
『進路希望』
……。
少し、考えた。
それから、書いた。
『大学進学』
……。
『志望校』
……。
少し、迷った。
でも、書いた。
『未定。ただし、選択肢の多い大学を目指す』
◇
『将来つきたい職業』
……。
ここが、いちばん、難しかった。
……。
ペンを止めて、しばらく考えた。
……。
そして、書いた。
『未定』
……。
でも、その下に、もう一行、書いた。
◇
『――誰かが一人でいるときに、そこに行ける人でいたい』
『そのために何が必要かは、まだわからない』
……。
書いてから、少し、恥ずかしくなった。
……なんだ、これ。
ポエムか。
……。
消そうかと思った。
でも。
……やめた。
◇
「――書けましたか」
五百旗頭が言った。
「書けた」
「見せてください」
「嫌だ」
「なぜですか」
「恥ずかしいからだ」
……。
「見せなさい」
「嫌だ」
……。
結局、取り上げられた。
◇
五百旗頭は、プリントを読んだ。
……。
しばらく、黙っていた。
それから、言った。
「……これは」
「なんだよ」
「――担任に、何か言われますよ」
「うるさい」
……。
「でも」五百旗頭は言った。
……。
少し、笑った。
「――いいと思います」
◇
御手洗も、覗き込んだ。
「あら」
「見るな」
「素敵じゃない」
「やめろ」
……。
「――でもね、森本くん」御手洗は言った。
「なんだよ」
「これ、進路希望調査よ」
「知ってる」
「――『選択肢の多い大学』って、書いてあるけれど」
……。
「今の成績で、行けるかしら?」
……。
……あ。
◇
……。
俺は、プリントを見た。
……たしかに。
……書くのは簡単だ。
でも、行くには、勉強しないといけない。
……。
「……なあ、五百旗頭」
「はい」
「――数学、教えてくれ」
……。
五百旗頭は、少し驚いた顔をして。
それから、頷いた。
「――いいですよ」
(第18話 了)




