第9話 でも、見ているだけ
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第9話 でも、見ているだけ
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◇
「――私、です」
和泉さんは、そう言った。
誰も、しばらく何も言えなかった。
二階の窓の明かりが、非常階段の手すりに反射していた。
◇
「……どういう意味ですか」
俺は聞いた。
和泉さんは、うつむいたまま、言った。
「制度は、変えました」
「はい」
「脱落者を守る。時間を短くする。鍵を渡す。子供に責任を負わせない」和泉さんは言った。「――全部、やりました」
「はい」
「それで、二度と、同じことは起きなくなりました」和泉さんは言った。「事実、この六年間、事故は一件もありません」
……。
「でも」和泉さんは言った。
顔を上げた。
「――私は、一度も、あの部屋に入っていません」
◇
……。
「鍵は、持っています」和泉さんは言った。「権限も、あります。入ろうと思えば、いつでも入れます」
「……」
「でも、入りません」和泉さんは言った。「基準に達していないからです」
……。
「基準は、私が作りました」和泉さんは言った。「怪我。体調不良。暴力」
……。
「――つまり」和泉さんは言った。「私は、入らなくていい理由を、自分で作ったのです」
……。
ぞ、と、した。
◇
「……そんなつもりは、なかったと思います」
五百旗頭が言った。
「あったのだと思います」和泉さんは言った。「無意識に」
「……」
「基準を作れば、判断しなくて済みます」和泉さんは言った。「『基準に達していないから、入らない』。……そう言えば、私は、悩まなくていい」
……。
「十年前、私は、判断できませんでした」和泉さんは言った。「規則を破るべきか。人を呼ぶべきか。……ずっと迷って、何もできませんでした」
「……」
「だから、基準を作りました」和泉さんは言った。「二度と、迷わなくて済むように」
……。
「――でも、それは」
◇
和泉さんは、少し笑った。
力のない笑い方だった。
「――結局、同じですね」
……。
「十年前も、今も」和泉さんは言った。「私は、外にいて、見ているだけです」
……。
誰も、否定できなかった。
「花を置いているのは」和泉さんは言った。「――そのことを、忘れないためです」
◇
「……変えられていない、というのは」
「私が、です」和泉さんは言った。「制度は変わりました。でも、私は、変わっていません」
……。
「ずっと、あの部屋の外にいます」和泉さんは言った。「十年間、一度も、中に入っていません」
……。
二階の窓を、見上げた。
明かりがついている。
今も、中で、六人がいる。
そして、和泉さんは、ここにいる。
◇
「――だったら」
ミライが、口を開いた。
「入ればいいじゃん」
……。
和泉さんが、ミライを見た。
「……入れません」
「なんで」
「基準に、達していないからです」
「その基準、あんたが作ったんでしょ」ミライは言った。「じゃあ、変えればいいじゃん」
……。
「……そういうものでは、ありません」
「そういうもんでしょ」ミライは言った。「あんたが作ったなら、あんたが変えられるじゃん」
◇
……。
和泉さんは、答えなかった。
「――怖いんですか」
御手洗が言った。
……。
和泉さんの、肩が動いた。
「……怖い?」
「ええ」御手洗は言った。「入って、また、間違えるのが」
……。
……。
和泉さんは、何も言わなかった。
でも、その沈黙が、答えだった。
◇
「……そうかもしれません」
やがて、和泉さんは言った。
「私は、十年前、判断を間違えました」
「……」
「『そのうち収まるだろう』と思った」和泉さんは言った。「『大丈夫だろう』と思った」
……。
「その判断のせいで、六人が死にました」和泉さんは言った。「……私の判断は、信用できません」
……。
「だから、基準に従います」和泉さんは言った。「私の判断ではなく、規則に」
……。
「そのほうが、安全だからです」
◇
……。
俺は、その言葉を聞いて。
なんとも言えない気持ちになった。
……わかる。
わかってしまう。
一度、致命的な間違いをした人が、自分を信じられなくなる。
だから、規則に従う。
判断しない。
……そのほうが、安全だから。
◇
「――でも」
俺は、言った。
「はい」
「それって」俺は言った。「……見てるだけですよね」
……。
和泉さんは、俺を見た。
「はい」
「認めるんですか」
「認めます」和泉さんは言った。「――私は、見ているだけです」
……。
◇
「じゃあ、聞きますけど」俺は言った。「なんで、今日、ここに来たんですか」
……。
和泉さんが、少し止まった。
「なんで、俺たちに、こんな話をしたんですか」
……。
「帰れって言うだけでよかったでしょう」俺は言った。「制度の説明も、十年前の話も、しなくてよかった」
……。
「……」
「なのに、話しました」俺は言った。「――なんでですか」
◇
長い、沈黙があった。
和泉さんは、うつむいて、自分の手を見ていた。
やがて、小さな声で言った。
「……止めてほしかったのかもしれません」
……。
「え?」
「わかりません」和泉さんは言った。「でも、たぶん」
……。
「誰かに、『それは違う』と、言ってほしかったのだと思います」
……。
「十年間、誰にも言われませんでした」和泉さんは言った。「みんな、『よくやっている』と言います。『制度は改善された』と」
……。
「でも、私は、知っています」和泉さんは言った。「――私は、まだ、外にいます」
◇
……。
その言葉を聞いて、俺は思った。
この人は。
ずっと、待っていたんじゃないか。
誰かが、来るのを。
……いや。
誰かが、自分を、連れ出しに来るのを。
◇
「――和泉さん」
五百旗頭が言った。
「はい」
「今日、何が起きるか、予想はありますか」
……。
「……いえ」
「本当ですか」
「本当です」和泉さんは言った。「ゲームの内容は、私が設計しています。ですが、人がどう動くかは、わかりません」
……。
「今回の内容は?」
「……言えません」
「では、一つだけ」五百旗頭は言った。「――誰かが、追い詰められる可能性は、ありますか」
……。
和泉さんは、少し黙った。
それから、言った。
「――あります」
◇
空気が、変わった。
「どういう内容ですか」
「……言えません」
「和泉さん」
「言えません」和泉さんは、繰り返した。「それは、規則です」
……。
「でも」和泉さんは言った。
少し、声が変わった。
「――一つだけ、言います」
……。
「今回の参加者の中に」和泉さんは言った。「――一人、断れない子がいます」
……。
心臓が、跳ねた。
藤堂。
◇
「その子は、たぶん」和泉さんは言った。「全部、引き受けます」
「……」
「他人の分まで、背負おうとします」和泉さんは言った。「――そういう子です」
……。
「それは、危険ですか」
「基準上は、危険ではありません」和泉さんは言った。「怪我もしません。体調も崩しません」
……。
「でも」和泉さんは言った。
顔を上げた。
「――たぶん、その子は、つぶれます」
◇
……。
誰も、何も言わなかった。
「なぜ、それを、俺たちに言うんですか」
俺は聞いた。
和泉さんは、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「……わかりません」
「……」
「ただ」和泉さんは言った。
立ち上がった。
「――私は、入れません」
……。
そして、階段を上がっていった。
◇
足音が、遠ざかっていく。
俺たちは、その場に残された。
「……あれ」
ミライが言った。
「なんだよ」
「――今の、伝言じゃない?」
……。
……あ。
「入れない」和泉さんは、そう言った。
でも。
その前に、こう言った。
「一人、断れない子がいます」
「たぶん、その子は、つぶれます」
……。
「……あの人」俺は言った。
「うん」
「――俺たちに、行けって言ってるのか?」
(第9話 了)




