第7話 十年間
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第7話 十年間
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◇
木曜日。選抜まで、二日。
その日、俺は一人で事務室に行った。
五百旗頭は「わたしも行きます」と言ったが、断った。
大勢で行ったら、たぶん、あの人は話さない。
◇
放課後。五時過ぎ。
事務室の窓から、和泉さんが出てくるのが見えた。
コートを着て、鞄を持って。
俺は、校門のところで待っていた。
「――和泉さん」
和泉さんは、足を止めた。
そして、俺を見て、少しだけ、ため息をついた。
「……森本くん」
「すみません。待ってました」
「そうみたいですね」
……。
怒ってはいなかった。
ただ、疲れた顔をしていた。
◇
「――話をしたいんです」
「何の話ですか」
「十年前のことです」
……。
和泉さんは、しばらく黙っていた。
それから、言った。
「……歩きながらで、いいですか」
「はい」
……。
断られると思っていた。
でも、そうならなかった。
◇
二人で、夜の道を歩いた。
街灯が、等間隔に並んでいる。
息が白い。
「……何を、聞きたいのですか」
「十年前、何があったんですか」
「知っているでしょう」和泉さんは言った。「六人が、亡くなりました」
「はい」
「それだけです」
「――和泉さんは、そこにいましたか」
……。
足音が、止まった。
◇
和泉さんは、こちらを見た。
街灯の下で、その顔がよく見えた。
驚いてはいなかった。
……予想していた、という顔だった。
「……どこまで、調べたのですか」
「あまり」俺は言った。「柏木先生から、聞いただけです」
「柏木先生」
「はい」
「……そう」和泉さんは言った。「あの人が、話したのですね」
……。
「彼は、話しませんよ」和泉さんは言った。「十年、誰にも話さなかった人です」
「話しました」俺は言った。「演劇を、見たあとに」
……。
「――ああ」和泉さんは言った。「あの劇ですか」
◇
「見ましたか」
「見ました」和泉さんは言った。「――客席の、いちばん後ろで」
……。
気づかなかった。
「よくできていました」和泉さんは言った。「特に、最後の場面が」
「……」
「『もし、あなたが来ていたら』」和泉さんは言った。「――あれを書いたのは、五百旗頭さんですね」
「はい」
「賢い人ですね」和泉さんは言った。「――そして、残酷です」
……。
「残酷?」
「ええ」和泉さんは言った。「回避できた可能性を示すというのは、そういうことです」
……。
◇
また、歩き始めた。
「……和泉さん」
「はい」
「あの日、どこにいましたか」
……。
和泉さんは、前を向いたまま、言った。
「――観測室にいました」
……。
心臓が、跳ねた。
「あの部屋の、真上です」和泉さんは言った。「三階の、空き教室」
「……真上?」
「はい」和泉さんは言った。「床に、点検口があります。……今も、あるはずです」
……。
「そこから、下が見えました」
◇
……。
息が、詰まった。
「……見えたんですか」
「見えました」和泉さんは、淡々と言った。「音も、聞こえました」
……。
「――全部、ですか」
「全部です」
……。
「……なんで」
「観測係だったからです」和泉さんは言った。「生徒会の書記が、その役目を担っていました」
……。
五百旗頭と、同じ役職。
「記録を取るのが、仕事でした」和泉さんは言った。「誰が、いつ、何をしたか」
「……」
「そして、私は、記録を取りました」和泉さんは言った。「――最後まで」
◇
……。
俺は、言葉が出なかった。
記録を取った。
最後まで。
つまり。
六人が死ぬまで、ずっと、見ていた。
「……なんで、止めなかったんですか」
……。
和泉さんは、少し、笑った。
力のない笑い方だった。
「――鍵を、持っていませんでした」
……。
「そんな」
「本当です」和泉さんは言った。「観測係には、鍵は渡されません。……介入を防ぐためです」
……。
「制度上、そうなっていました」和泉さんは言った。「観測者は、記録するだけ。関与してはならない」
……。
「……じゃあ、人を呼べば」
「呼びました」和泉さんは言った。「――でも、来ませんでした」
◇
「……え?」
「金曜の夜です」和泉さんは言った。「教員は、もう帰っていました」
……。
あ。
「携帯電話は、持っていました」和泉さんは言った。「でも、当時は、まだそれほど普及していなくて」
「……」
「担当の教員に、何度もかけました」和泉さんは言った。「出ませんでした」
……。
「翌日も、かけました」和泉さんは言った。「――日曜も」
……。
「……警察は」
「呼びませんでした」
……。
◇
「……なんで」
和泉さんは、しばらく黙っていた。
それから、静かに言った。
「――怖かったからです」
……。
「制度を、破ることが」和泉さんは言った。「私は、選ばれて、その役目についていました」
「……」
「観測者は、関与してはならない」和泉さんは言った。「それが、規則でした」
……。
「規則を破れば、私は、失格になります」和泉さんは言った。「……そう、思っていました」
……。
「そして、こうも思いました」和泉さんは言った。「――『大丈夫だろう』と」
◇
……。
心臓が、冷たくなった。
「あの制度は、当時も、危険なものではありませんでした」和泉さんは言った。「争いは起きます。裏切りも起きます。でも、命に関わるようなことは、なかった」
「……」
「だから、私は、思ったのです」和泉さんは言った。「『そのうち、収まるだろう』と」
……。
「『明日には、終わっているだろう』と」
……。
「そして、月曜の朝になりました」
……。
◇
和泉さんは、足を止めた。
街灯の下で、じっと立っていた。
「……最初は、誰かが眠っているのだと思いました」和泉さんは言った。
「……」
「三日目の朝でしたから」和泉さんは言った。「みんな、疲れて、眠っているのだと」
……。
「でも、誰も、動きませんでした」
……。
「そのとき、初めて、走りました」和泉さんは言った。「職員室に行って、先生を呼んで」
……。
「――遅すぎました」
◇
……。
俺は、何も言えなかった。
言葉が、出なかった。
「……和泉さん」
「はい」
「……そのこと、誰かに話しましたか」
「話しました」和泉さんは言った。「学校に。警察に」
「柏木先生には」
「……いいえ」
……。
「なぜですか」
「――言えませんでした」
和泉さんは、言った。
「彼は、来なかったことを、悔やんでいました」和泉さんは言った。「十年間、ずっと」
「……」
「でも、私は」和泉さんは言った。「――そこにいて、見ていて、何もしなかった」
……。
「どちらが、罪が重いと思いますか」
◇
……。
俺は、答えられなかった。
和泉さんは、答えを期待していないようだった。
ただ、白い息を吐いた。
「……それで、私は、制度を作り変えました」和泉さんは言った。「就職して、担当になってから」
「……」
「脱落者は、必ず安全な場所に移す」和泉さんは言った。「観測者には、鍵を持たせる。緊急時には、必ず介入する」
……。
「二度と、同じことが起きないように」和泉さんは言った。「――そうすれば、変えられると、思いました」
……。
「でも」
和泉さんは、少し、うつむいた。
「――変えられませんでした」
◇
「……何が、変わってないんですか」
和泉さんは、答えなかった。
しばらく、黙って歩いた。
やがて、交差点に着いた。
「……ここで、失礼します」和泉さんは言った。
「和泉さん」
「はい」
「――来週、何をするんですか」
……。
和泉さんは、少しだけ、こちらを見た。
そして、言った。
「――確かめます」
「何をですか」
「……私が、変われたかどうか」
……。
それだけ言って、和泉さんは、横断歩道を渡っていった。
……。
俺は、その背中を見ていた。
信号が、青から赤に変わった。
(第7話 了)




