第七章
しばらくは何も連絡がなかった。私と美里は会うたびに例の事件について語り合ったが、私たちだけではどうしようもなかった。タエさんも華ちゃんもあれ以降は幽霊電車を目撃することもなかったらしい。
再び先輩から連絡が来たのは週末の夜の十時過ぎ、美里とともに外食に行って街をそぞろ歩きしてる時だった。
「今から来い」の連絡に美里も私もドン引きする。
「……先輩、もういい時間ですよ。今からですか?」
「いいだろ」
「美里と一緒にいるんですが……」
「ちょうどいいじゃないか。二人で来いよ」
横で美里が呆れたように首を振っている。一度目標に食らいつくと周りが見えなくなってる。私たちのデートなんてどうでもいい道の小石レベルになのだ。
「……例の幽霊電車のことですよね」
「もちろんだ。…最初からそれが目的だろうが」
「また貴重な手がかりを見せてもらえるんですか?」
「今度はあそこだ。栄駅。そこに来い」
現場調査か。駅だと聞いて多少興味が湧いてくる。
「……いいですけどこんな遅くに調べるんですか」
「遅くじゃないとダメなんだ」
「えっ……」
先輩の口調ははっきりとしてこっちを引きずるような確信に満ちている。これは何かつかんでる。今までのつきあいからそれが察せられた。美里は食後の口すすぎのハッカの飴で頬を膨らませて呆れてる。
先輩に返事をしてから美里に向き直る。
「美里、行くぞ。たぶん秘密が分かる」
ひっそりと分厚い闇の中に静まりかえっている駅舎は、昼間とは違ってそこはかとない侘しさを潜ませていた。事件の先入観もあるせいかもしれないが、どこか深い、底知れぬ雰囲気も纏っている。
「もう、こんな時間に呼び出して…… 少し肌寒いし」
美里は薄手のコートの前を留めてぶつぶつ呟いた。
暗闇の中に目を凝らす。距離を置いて定点的に鈍い光を放つ街灯のおかげで、線路にちらつく影を把握できる。
二度目。今度は夜の不法侵入。中に入り込んで先輩は線路を背に、跨ぐようにして立っている。
外の柵に沿って近寄っていくと、遠くのビルに備え付けられたが夜間用ライトが後光のようにかぶさり、先輩の姿を一種の彫像のように彩った。
「話の答え合わせだよ。お前たちが知りたがっていた幽霊電車の真相だ」
光の中に佇む先輩は顔の陰影ができて一種の凄みさえ含んでいた。
「……何か分かったんですか」
寒そうに両腕で身体を抱えながら、美里が屈託なく聞く。先輩の表情は穏やかながら確信に満ちていた。
「分かる、この夜に。全て」
「ええ……」
思わず二人して声を出してしまった。
「……もしかして来るんですか、幽霊電車が」
「そうだな。来るよ」
確信を込めた口調で、微笑みさえ交えて怖ろしい言葉を先輩は発した。その自信ありげな様子に、反論したい気持ちが塩をかけた野菜のように萎える。美里と顔を見合わせてどうすればいいか戸惑ってしまう。逃げ出したくなる気持ちを、無言で里美と共有した。
二人で線路を見やる。来るべき幻の車両を思い描いて。
先輩の背後に伸びる線路は、ひたすら闇の中に長い。私たちの視線を吸い込むようにどこまでも闇の中にその腕を伸ばしている。遠くを見やると呼応するようにどこまでも伸びていく感じだ。
その訪れを待つように、腕組みをした先輩は視線をまっすぐに線路奥へと向けている。寒々とした夜気が周りを侵して会話も途切れがちになってくる。
「ちょっとコーヒー買ってくるね」
美里が線路から出て、駄菓子屋前の自動販売機に向かった。
美里からホットのコーヒーを受けとり、先輩にもひとつ手渡そうとすると、先輩は口元に指をやって合図する。
「静かに」
「えっ?」
「ほら」
無言のうちに何かを示すように目で促している。長く暗闇の中に光る銀の回廊。海の水平線のように果てがない。
先輩の瞳は深みを帯び、何かを引き受けるように見据えている。
先輩につられて私も美里も同じ瞳の色を同じ方向に向けた。二人して言葉を失い、吸い込まれるように。
ほんとうに幽霊電車は存在するのか。
タエさんの失われかけた理性が見せた幻覚でもなく、華ちゃんが怯えのあまり落ち込んだ暗闇の幻でもなく――
この世界の現実として、あるのか。
じんわりと手の平が汗ばみ口の中の湿り気が乏しくなってくる。美里は私に寄り添うように近づき目線を重ねる。
それは最初、何かの金属音のように思えた。
かぁああんと、ハンマーで金属を叩くような、工事の時に重機の合間にきこえるような。
しかし今はもう深夜だという自覚が私に目を覚まさせる。違和感に心が鷲掴みにされた。
その音は遠い海鳴りのように揺れ、そしてその獣の鳴き声――赤ん坊の泣き声にしては低すぎる傷だらけのような音――は死出の旅路に出るように金切声を上げていた。
金属の内にこもったようなその唸りは、音自体に重みがあるような震えを帯びて、私が音に心を奪われている刹那、気付くと目の前に迫ってきていた。
耳元で鳴り響いたのは生身の叫びだった。
美里が私の腕にすがりついて声を震わしていた。
「いやああ、草ちゃん!!」
知り合って以来一度も耳にしたことの無い、肺の底から恐怖が飛び散るかのような声。
私は背中に隠れる美里を、どうにもしてやれなかった。
私自身が迫りくる黒い音の塊に圧しつけられ、線路に釘打たれたように動けない。
「草太郎! 下がってろ!」
先輩は私たちを突き飛ばすように脇に追いやり、驚いたことにそのまま黒い塊に向かっていく。
「先輩!」
地面に倒れ伏した私は身動きが取れない。気付くと美里が私の身体に泥のようにしがみついて動けない。
世界全体が軋むように揺れ、向かっていく先輩を白銀の光が包み、憤怒のように火花をまき散らした。
断末魔の叫びのような金属音が空気を引き裂き、その瞬間、横手から先輩は塊に飛びついた。
「焼津さん! やめなさい!」
先輩は黒い塊に引きずられ、振り回され――そして影が線路から外れ――
一瞬の明滅の中に見えたのは、目を血走らせた焼津さんの悪鬼のような表情だった。
次の瞬間、爆発するような衝撃が一帯を震わせた。




