第五章
私と里美は先輩の頼みでつぐみ園へと向かった。スタッフと入居者の話が聞きたいとのことだった。
考え事をしながら歩く先輩の後ろで美里が声をひそめた。
「分かったってどういうことよ」
「知らないよ。教えてくんないんだから。何かがあるんだ」
「やっぱりあの人頭おかしいんじゃないの」
「おかしいとか言うな」
「…………」
明らかに聞こえてる先輩は黙って足を進めている。ざっくばらんの髪の毛がふわふわと揺れて、人柄をしのばす髪型が何だかオーラを放っているようにさえ見えた。
「あれ、美里ちゃん、今日は彼氏を連れてきたの?」
「いや、そんな……」
つぐみ園のスタッフのおばちゃんは私たちをみて朗らかな笑いを見せる。
「ふふ、照れなくてもいいわ」
スタッフの人はしっかりした感じの人が多かった。若い子も年配の人も結構いるが、皆いい顔をしている。介護は時に看護婦の役割も兼ねる。ちょっとのことじゃ動じないぐらいの器量が必要なのだろう。
「タエさんには聞かないあげて」
事情を話すと介護士長さんはやんわりと断った。
「あの時以来ちょっと精神的にも不安定だし、あんまり思い出させたくないのよ」
「そうですか」
「華ちゃんならいいんじゃないですか」
美里が横から言った。あの夜に迎えに行った人か。
「そうね、華ならいいわ。ちょっと待ってて」
今度は介護士長さんも請け合い、美里と同い年ぐらいの女の子を連れてきた。小柄だが頬がふっくらしていて黒縁眼鏡、アニメのキャラクターの様なタイプの人だった。
「華ちゃん、また眼鏡に戻したの?」
美里が聞く。
「うん、目が痛くって耐えられない。度もおかしかったみたい」
ニコニコと美里と挨拶を交わしていたが、あの事件の話になると表情に翳りが射した。
先輩は丁寧な口調だがはっきりと問いただす。
「かなりの夜遅くだったよね? 何か見間違いってことない?」
先輩は華ちゃんの眼鏡にちらりと目をやった。
「それはないです」
首を振って否定すると黒縁眼鏡を外して見せた。
「あの日はね、これをやめて初めてコンタクトに変えてた日で…… だから目が痛くって涙も出るし調子悪くて。だからタエさん脱走するの見逃しちゃったんですけど…… さすがにあれを見間違えることはないです」
そういって眼鏡をかけ直して美里を見る。
「騒音上げながらこっちに突入してきたもの。地の底から震える感じで身体にびしびし……。あんなのが幻のわけないわ」
「そう……」
「間違いなく幽霊。暗闇の中に火を上げて…… 思い出すだけで足ががくがくする~」
おどけた口調を装ってるものの目の奥に怯えが入ってる。嘘をついてるようには思えなかった。
「失礼だけど酔っぱらってたとかはない?」
「わたし仕事中には飲みません。仕事終わってからかお休みの時だけ」
「そうか……」
華ちゃんの口調にリアルなものを感じたのか、先輩も深入りはしなかった。
華ちゃんとの話が終わると先輩は美里に言う。
「二人を送ってきた人がいたよね? もう一人の……」
「焼津さん? ちょっと待ってください」
美里はカレンダーを見て指で日付の空欄を押す。
「土曜だったわね、今日……なら大丈夫」
「午後からだからもうすぐ来るわよ」
横から介護士長さんが教えてくれた。
「ここにずっといないんですか」
「入居者は週に何日か通いとか、ずっと居る人とか色々なのよ。家族が忙しい平日だけいるとか、昼間だけ滞在して夜になると迎え来たり。独り身だとやっぱり病気とか怖くなるのよ。昼寝目が覚めたら突然起きれなくなったとか、身体の不調があるとかで自分から入られます。焼津さんはまだ身体はしっかりしてるから。普段はお近くの家にいて週末になると来るの。夜から泊まりに来る日もあるし、今日は午後からの予定」
美里が横から口を挟む。
「あたしもお世話したことあるけど、綺麗な白髪がトレードマークの人よ」
「ああそうだった」
藤吉さんという入居者を取り押さえた時のことを思い出す。年の割には身だしなみにも気を遣って瀟洒な紳士風だった。
「介護しててもほとんど手がかからなくてお茶飲んでおしゃべりするぐらい」
「へえ」
先輩に向かって介護士長さんが背伸びして外を指差す。
「ほら、あれじゃないの」
真新しいプリウスが駐車場に入ってきた。運転席から下りてくる姿は介護施設の入居者のイメージとはまるで違った。背筋もしゃきっとしてるしジャケットを粋に着こなし髪型も撫でつけてすっきりしてる。老紳士のような風格があった。
「私は直接見てないがね」
事情を話すと焼津さんは気さくに語ってくれた。ラウンジのソファにリラックスして座って口調もはきはきしてる。
こんな人も入居するんだ、と世間を知らない私は意外な気がした。
「こっちに来る途中に見つけて……矢田さんと華ちゃんをこっちまで送り届けたんだ」
矢田はタエさんの名字だ。まじめな顔つきで思い出すように目を閉じる。
先輩は焼津さんを見ていて遠慮がちに尋ねた。
「失礼ですけど、焼津さんは今年でいくつになられます?」
「はは、もう八十一だよ」
温和な微笑みを見せて老紳士は相好を崩した。
「見えませんね、もっと若いかと」
「そうかな、気持ちはそのぐらいだけど」
このぐらいなら中小企業の会長とかにいそうなタイプだ。同じ年齢でもっと老け込んだ親戚だっているので、私は感心した。
ここからまた幽霊電車の話に戻る。
「スタッフの華ちゃんは本当に怪物みたいな電車が襲ってきたって言ってますが」
「さあ、私は見てないから何とも言えない。ただ、ほんとにそんなものが出てきたら気付かないわけないと思うが……」
戸惑ったように目を瞬かせる。
「お二人を見つけた時のことを詳しく教えていただけますか」
「夜のドライブから帰ってきて駅のそばを走っていた時だった。よくやる事でね。ここに入るとこもりがちになるから、来る前は気分転換にひとっ走りする。駅付近もあの時間帯になると人通りが消えるからね。かえって走りやすい。のんびり運転してると目の前にあの二人が髪を振り乱して絶叫してて。こっちが肝を潰したよ」
「お二人とも普通の調子じゃない感じで?」
目を見開いて何度も頷く。その時のことを思い出したのか顔つきが硬くなる。
「そりゃもう……」
首を伸ばして周りを確認してから声を潜める。
「言葉は悪いけどね、タエさんなんか昔話にある山姥?みたいな感じで。狂女二人が獣の様に絶叫しながら逃げ回ってるだろ。もう夜のいい時間なのに、こっちが怖くて小便ちびりそうになったよ」
「……なるほど」
ここで美里が持ってきたクッキーを勧める。燒津さんは礼を言ってかじった。歯ざわりと齧る音がほんとに明るく、あごも歯もまだまだ丈夫そうだった。
「焼津さん自身は不審な電車などは目撃されなかったわけですね」
ロマンスグレーの紳士は確信を込めて頷いた。
「無いね。何一つ」
しばらく誰も言葉を継がない。その自信ある口振りと、正直そうな華ちゃんの言葉がぶつかりあって私たちを混乱させた。どちらも嘘をつくメリットはない。そこまで怖ろしい暴走電車が突っ込んできたなら目撃されないはずがない。この人は裸眼で運転してるレベルなのに……。
燒津さんは黙ってお茶を口に運びもう一口お菓子をかじった。
「華ちゃんたちが言うには、獣が叫ぶような騒音で、火花まで散らしてたとか言ってて…… 音か何かは」
「そんな騒音がしてたら間違いなく気付くよ。窓も開けてたから」
「一切不審な物音も無く?」
「まったく無い」
そのはっきりした口ぶりに野々沢先輩も勢いを削がれてしまった。
「遠くに通り過ぎてしまった影のようなものが……」
「いやあ、ありえない。残念ながら」
温厚そうな口調ながら燒津さんはぶれない。
先輩は唸るような声を上げて腕を組んだ。私も美里もどうしようもない。
焼津さんは迷うことなく断言してる。しかしあの華ちゃんの様子は…… タエさんだけなら錯乱した可能性もあるかもしれないが……
あの瞳はほんとに怯えていた。
「それからは二人をなだめて車に乗せてここまで連れてきた」
「あの車で?」
プリウスを指差す先輩。
「そうだね」
急に焼津さんは胸を抑えて咳き込みだし、スタッフの方がやってくる。背中をさすってやって燒津さんが落ち着くと薬と湯呑を持ってきた。薬を飲んでから燒津さんは落ち着いたように息を吐く。
「すまんね、あの時のことを思い出して少し気が昂ってしまって」
「いえ、こちらが長々と聞いてしまって失礼しました」
結局さしたる収穫がなくつぐみ園を後にすることになった。華ちゃんにも焼津さんにもあれ以上は聞き出せそうにない。
帰り際に介護士長さんに挨拶がてら燒津さんのことを尋ねる。
「焼津さんはしっかりされてる風に見えますね……」
「普段ははっきりしてるけどねえ…… あの人も一人暮らしだから不安なのよ」
苦笑して士長さんは言う。
「それから身体もちょっと問題あるし」
「ああさっき薬を飲まれてました」
「それだけじゃなくて、あの人も認知性が少し入ってるわ」
「ええ……」
三人とも驚いた。
「あんなにしっかりされてるのに」
「認知症っていうのはね、ずっとおかしいってわけじゃないのよ。普段はきちんとしてるのに微妙に辻褄が合わないとか、突然暴力的になったりね」
長年の経験からか介護士長さんはやや疲れた表情を見せる。
「そこが介護の難しいところ。家族で世話できないから預けるわけよ」
「はぁ……なるほど」
士長さんは袖をまくると腕の黒血がよった場所を見せる。
「ほら、これ。あの人を取り押さえるのにこんなになっちゃって……」
声を低めて呟く。
「なるほど……」
改めて介護の現実を突きつけられる気がした。現場は綺麗事では済まないのだ。
上っ面だけ見れば簡単そうに見えるが、現実は……
若い自分らがまだ分かってない世界もある。これもちゃんと認識しないといけない社会の現実なのだ。




