第二章
獣の歯噛みのような歪んだ音を立てて電車は発車した。録音の構内放送があっただけで、駅舎は無人だ。
止まった二両編成の電車からは、降りてくる中学生二人がいるだけだった。
そのまま観察しているとたまに貨物電車が音と風を巻き上げて、この駅を一顧だにせずに通り過ぎていく。改札には木箱が置いてあり、中には使用済み切符が数枚入っていた。
下りた学生たちは近くに無断駐車していた自転車にまたがり、喋りながら去っていった。
「正直どこにでもあるような無人駅だな」
変わり映えしないし、何か特殊なものも見当たらなかった。
「あの子らはね、隣町の学生よ」
「そうなのか」
「あの制服知ってるもん。ここで降りてキセルしてるのよ」
「へぇ」
「入場券か一番安い切符だけ買ってね、ここで降りるのよ。誰もいないから。ほら」
美里が指差したのは自転車が止められていた場所。使用済みの切符が捨てられていた。
そういえば高校生の頃、街から離れた農家に住む先輩が似たようなことをしてると言っていた。街や隣の県の大都市に繰り出す際は、そうやって電車賃を浮かせるのだと。
「駅員は取り締まらないのか」
「たかが何人かのキセルぐらいじゃ引き合わないんでしょ。人件費が」
私は周囲を見回した。駅前というのは大体賑やかなものだが、この辺は目に付く派手なものが何も無い。
数軒先に個人経営の小さな書店があって入り口に競馬雑誌の宣伝の紙が貼ってある。隣にはシャッターが半分閉まった駄菓子屋のような風情の店。中を覗くとパンやお菓子などが申し訳程度に置いてあり、品揃えという点ではお話にならない。
他には何をやってるのか分からないようなこじんまりした無個性なビル、駐車場、自動販売機。
典型的な地方の小さな町。
「こんな所なら仕方ないかな」
「昔は違ってたらしいのよ。この駅舎だって前はあそこぐらいまであって豪華だったって」
美里が眩しい日差しを避けるように手を目の上にかざしビル付近を指差した。
「ほう」
そこそこ中堅の駅ぐらいの大きさはあったわけだ。
「これは建て直しか」
小さいなりに駅舎もそこまで傷んではいない。
「廃線に伴って老朽化して作り直ししたのよ。それで今みたいになったってつぐみ園の園長さんが言ってたわ。飲食店とかもいっぱいあって親戚の人がこの辺でうどん屋経営してたそう」
「見かけによらないもんだな」
もう一度近所をざっと見て回る。今ではそうした賑わいの片鱗も見いだせない。言われなければ鉄道マニアも何の感慨も無く通り過ぎるだろう。
「ここって街に近いでしょ。働き手出してる関係で集団就職する人たちも多かったらしいのよ。タエさんも昔は都会で働いてたらしくて」
遠景に点描のように見える畑。若者がそれなりに豊富で高度成長の一角を担った地域。日本全国で似たような光景が見られていたはずだ。
「老人ホームが多いのもね、そんな人たちが退職してUターンしてきたのもあるのよ、ふるさとにね」
美里が指差す先には「福寿荘」という看板が見えた。あそこも老人ホームなのだろう。
大都会の賑わいには比べ物にならなくても、故郷にはやはりタイムカプセルの様に埋まった思い出がある。
そこかしこに散らばっている古くからの記憶の断片。もちろんいい記憶だけではない。しかしよその土地では補えない家族や周囲の人々と過ごした日々が残されている。
話しながら私と美里は駅舎の周りを一周した。踏切を超えると裏側には野ざらしの貸し駐車場になっている。
申し訳ばかりの杭と鉄線が張り巡らされているが、スカスカで子供でも自由に入れそうだ。一部では鉄線も無くて線路にまで自由に出入りできる。
「無用心だな」
線路の左右を確認して進入する。しゃがんでみると枕木も古くレールもかなり傷を負っている。
この街が過去を湛えているように、路線も、強く主張しなくても過ぎ行く日々を担ってきたのだ。
黙って私は腕組みして周囲を見やった。
私に寄り添うように美里も無言で駅舎と線路に目を落とす。
どこにでもありそうな鄙びた顔を持つ鄙びた町。全てが寡占し集中した大都会を支える役割を負わされ、その役割を終えた街。
うららかな日差しの中では、奇怪な暴走する幽霊電車の面影など想像できなかった。
「……華ちゃんは素面だったのか、普段はどんな性格だ?」
「仕事中に飲むわけないわ。明るくていい子よ。変な妄想言い立てるような子じゃないし」
「そうか」
突如絹を引き裂くような悲鳴と鈍重な物を投げつけるような音が響き、思わず身体を震わす。
「なんだありゃ」
駅舎の反対正面の方だ。美里は意外に落ち着いた顔をしていた。
「行きましょう」
私の手を引いて走る。
見るとさきほど見かけた駄菓屋の前に座り込んでる年寄りがいる。
職員らしき若い男が必死に取り押さえようとしてるが、大声でわけの分からぬことを叫んでいる。
近くの家の窓が割れ、瓦のようなものが下に落ちている。
「ああ、また……」
以外にも美里は表情を乱していない。
「あれもつぐみ園のおじいちゃんよ。あんたも手伝って」
男の職員は美里と顔見知りらしく、頷いて目くばせする。
私たちは暴れる年寄りを三人がかりで取り押さえた。
血管が浮き、枯れ木のような腕にどこにそんな力が残ってるかと思うほどの暴れっぷりで、下手すると噛みつかれそうだった。
やっと落ち着かせた頃には全身汗ばんでしまっていた。
「どうもすみません」
頬に引っかき傷のある職員は私に礼を言った。介護事業も並大抵じゃないな。内心同情した。
「藤吉さんがまた暴れたんかい。ほれ、みんな乗んなさい」
横にすべるようにプリウスが入ってきた。運転席から白髪を綺麗になでつけた運転手が顔を出している。
ジャケットをきっちり着込んで紳士然としている。
ようやく大人しくなった年寄りを男の職員が後部座席に押し込んだ。
「あの方も職員さん?」
美里に囁くと首を振った。
「ううん、燒津さんは入居者よ。まだ身体は元気だから家から通って来てるの」




