第一章
「つぐみ園のタエおばあちゃんがね、幽霊みたいな電車に襲われたって」
美里が話を持ち込んできたのは先週のことだった。二人でファミレスで夕食を取っていた時のことだ。
「なんだそりゃ」
ビールでも注文しようと思っていた矢先に、奇抜な話で気勢を削がれてしまう。時々突拍子もないことを言う美里だが、これは内容が内容だった。
「つぐみ園……今アルバイトで行ってる老人ホームだったか?」
「そう。でも元は大学の社会実習だったのよ。人手不足だから来てくれって、そのまま働いてる」
好物のたらこスパゲティを口に運びながら美里は言った。
大学の社会実習で公園の清掃や裁判の傍聴、老人ホーム慰問など色々あるらしく、美里はお年寄り相手にレクレーションをやる担当になったそうだ。
「この前やったのはね、日本地図を出して県名を当てるクイズ。記憶力のテストよ」
年寄の世話に戸惑う学生も少なくない中、持ち前の勝気でおせっかいな性格で老人相手の行事をなんなくこなし、一緒にカラオケから、しまいに手慣れた感じでおむつの交換までやってのけたという。その働きぶりを見た職員の人に、手伝いに来ないかとスカウトされたのだ。
「親しく世話してる相手にタエさんっておばあちゃんがいるのよ」
つぐみ園にいる年寄りには認知症がかなり進んでいる人もいて、問題行動をするケースあるという。ひどい時には施設にいるのを嫌がって自宅に戻りたいと暴れ、夜中に逃亡する者もいるのだそうだ。意識が混濁して街中を徘徊する者も珍しくなく、この辺は日本中どこにでも見聞きする問題だろう。
「妹さんに連れられて入園したらしいんだけど、相当嫌がってたらしいの。足腰はしっかりしてるからね、時々脱走してたらしいのよ。ある時なんかね、着替えとか荷物の一切合切もって、職員の人の自転車に乗って行っちゃって」
「住み慣れた自宅に戻ってたんだな。そりゃそっちがいいだろうな」
「それがね、全然違うのよ」
「えっ……?」
「近くの水泳場まで行って観覧席に座ってたんだって」
「水泳場? なんで?」
いささか唖然とする。
「さあ……娘さんの送り迎えしなきゃって言ってたらしいけど。勝手に入り込んでたらしいわ」
「若い時に娘さんがそこに通ってたのか。スイミングクラブとか」
「ううん。そもそも娘さんがいないのよ」
「…………」
「結婚はしてたらしいけど子供はいなかったらしいの」
「……よく分からんな」
「でしょ? なんか理屈が通じないらしいのよ、そうなっちゃうと。若い時やってた行動を繰り返す人もいるけど、中には突拍子もないことをすることもあるんだって。ただ本人にとっては筋が通ってるらしくて、周りの人の方がおかしいって思うらしいのよね」
「うーん……」
自分の乏しい経験と知識からは推測できない世界だった。世の中には把握できないことの方が多い。
「タエさんはね、昼間は割と普通なんだけど夜になるとちょっとおかしいのよ。目を離すと脱走して」
「うん」
「その日はおとなしく寝てるからだいじょうぶかなって職員の人も安心してたの。そしたらいつの間にかトイレの窓から脱け出てて…… 後から駅で見つかったらしいのよ」
「スイミング場の次は駅か」
「普通はね、職員の人が探しに来たら逃げ隠れするのよ。でもね、その時は自分から走り寄って来て……。〝助けて〟って言いながら」
「何が起きたんだ?」
美里は困ったような表情を浮かべた。
「〝電車が襲ってくる〟〝電車に喰われる〟ってずっと叫んでたんだって。パニック状態で」
「……要は轢かれそうになったんだろ。電車に」
「私も最初はそう思ったんだけど……」
困り果てたように聡美は麺を巻き付けたフォークを皿に置く。そして説明を続けた。
深夜一時過ぎ。もう終電が過ぎてる時間だ。しかも現場となった栄駅は日中でも駅員がいない。典型的な地方のさびれた無人駅だった。
一時間に一、二本電車が来ればいいローカル線だけに、業務終了後の荷物運搬だとか臨時車両も少ない。
華恵という介護福祉の学校を卒業したばかりの若い職員は、錯乱したタエさんをなだめすかして駅から連れて帰ろうとしていた。その時に大地を震わすような地鳴りに気付く。
「本当に出てきたって」
美里は眉根を寄せて私の瞳を覗き込む。
「何が」
「幽霊の電車が」
「はぁ?」
素っ頓狂なところのある美里だが、この時の瞳は真剣味を帯びていた。
「ほんとに。電車が迫ってきたって。獣の悲鳴みたいな大声上げて、突進してきたの。ライトを目玉みたいにカッって押し開いて、うぉおおおって」
美里の声は冗談にしては低すぎて茶々を入れるゆとりも無い。私は水滴で濡れたグラスを取り上げて咽喉を潤す。
「華ちゃんね、もう介護してるおばあちゃんみたいに腰が抜けてびっくりしちゃって、必死でタエさん抱えてそこから逃げたって言うのよ。いや、ほんとに。話してる時もガクガク震えてたもん」




