第41話「三通の離脱届」
翌朝の第三窓口は、いつもと同じ時刻に開いた。
受付番号の発券機が低い音を立てて起動する。セフィアが窓口脇の案内板を確認し、本日の受付区分を書き替える。ユースはカウンターに事務用処理印を置き、帳票の束を定位置に揃えた。
昨日、王国公認勇者アルヴェイン・クロスの全権限が正式に停止された。
そのことを示す掲示は、待合室の掲示板にはない。監督院の審理結果が一般掲示に反映されるには、通常三営業日を要する。今この待合室に座っている申請者たちの大半は、まだ何も知らない。
だが窓口の側では、すでに処理が動いている。
最初の番号札を呼ぶ前に、セフィアが受付トレイの端に目を留めた。
「始発の内部便で一件。教会系の正式様式です」
封筒の表書きには、差出人名が記されていた。昨日の照会では空白だった欄に、今朝は署名がある。
勇者パーティー構成員——僧侶職。
ユースは封を開け、中身を確認した。
「王国公認パーティー構成員離脱届」。
記載欄は全て埋まっていた。署名、日付、所属教区の確認印、離脱事由欄には一行だけ。
「所属パーティーの活動継続が困難と判断したため」
添付として、教会側の在籍証明の写しが一通。様式番号も正しい。訂正箇所はなく、筆跡は落ち着いていた。
不備なし。
ユースは処理印を押した。
*
一番札の申請者を処理し、二番札の差戻しを終えた頃、待合室の入口に僧侶の姿があった。
窓口には来なかった。
受付トレイを一度だけ見て、処理印が押されているのを確認すると、そのまま踵を返した。確認しに来ただけだった。受理されたかどうかを、自分の目で見るためだけに。
セフィアが小さく首を傾げた。
「何も聞かないんですね」
「聞くことがないからでしょう」
ユースは次の番号を呼んだ。
*
午前の半ば、一般受付の職員が書類を一枚持って窓口に来た。
「すみません、これ、管轄がこちらになるんですが」
パーティー構成員の離脱届。ただし、一般受付の窓口に持ち込まれたものだった。
差出人は斥候職。
「ご本人は?」
「もう帰られました。こちらに転送してくれと」
ユースはその書類を受け取った。
様式は正しかった。署名欄、日付欄、添付の在籍確認——全て揃っている。離脱事由欄の記載は僧侶のものとは違っていた。
「個人での活動を希望するため」
筆圧が均一で、書き慣れた手つきだった。様式番号を調べ、必要な添付を確認し、不備なく仕上げてから別の窓口に持ち込んでいる。
この書類を、誰にも教わらず一人で書いたのか。それとも——
ユースはそこで思考を切った。申請者の事情を推測するのは窓口の仕事ではない。
処理印を押した。
*
セフィアが受付トレイの離脱届を二枚並べて、小さく眉を上げた。
「二通目。同日受理ですね」
「パーティー構成は四名。リーダーを除けば三名」
「あと一通」
ユースは答えなかった。来るかどうかは、来てから判断する話だった。
*
昼を過ぎた頃、三人目が来た。
武闘家は、窓口の前に立つと番号札を取らずにカウンターを見た。待合室には他の申請者が三人ほどいたが、武闘家は列の最後尾に回ろうとしない。
セフィアが柔らかく声をかけた。
「番号札をお取りください。順番にお呼びしますので」
武闘家は一瞬だけ口を開きかけて、閉じた。それから発券機へ歩き、札を取り、長椅子の端に座った。
座る動作がぎこちなかった。右の脇腹を庇うように、上体を傾けている。
十五分ほど待って、番号が呼ばれた。
「七番の方、どうぞ」
武闘家はカウンターの前に立ち、封筒を置いた。
離脱届。三通目。
ユースは中身を開いた。署名あり、日付あり、事由欄の記載あり。
「活動継続が身体的に困難であるため」
だが添付が一枚足りなかった。
「パーティー共有装備の返納確認書が未添付です」
武闘家の表情が固くなった。
「……あいつの名義なんだ。共有装備の登録が」
「返納処理には登録名義人の署名が必要です」
「署名を貰えると思うか。あの状況で」
声は低かったが、怒りではなかった。疲れた声だった。何かをずっと抱えていた人間が、最後にそれを机の上に置いたときの声。
ユースは一拍置いて、帳票棚から一枚の様式を引いた。
「名義人との連絡が困難な場合の代替様式があります。紛失・連絡不能時の例外処理申請書。第三窓口で受理できます」
武闘家はその紙を見た。
「……こんなものがあるのか」
「規程上、想定されている事態です」
武闘家は代替様式を受け取った。離脱届は一旦保留となり、装備返納の代替処理と同時提出に切り替わる。
立ち上がる前に、武闘家がもう一度だけ口を開いた。
「治療のことだが」
ユースの視線がわずかに動いた。
「パーティー所属中の治療申請と、個人での申請は様式が違うのか」
「違います。個人申請の場合、治療対象者情報更新届・甲種の再提出が必要です。所属組織の在籍証明の代わりに、個人の身分証明と直近の健康記録を添付してください」
武闘家は頷いた。
その右手が、無意識に脇腹へ触れていた。
「……分かった」
武闘家は背を向けた。カウンターを離れる足取りは、来たときより少しだけ速かった。
*
午後の業務が一段落した頃、受付トレイの上に三枚の紙が並んでいた。
僧侶の離脱届——受理済み。
斥候の離脱届——受理済み。
武闘家の離脱届——保留。代替様式の追完待ち。
セフィアが三枚目の保留票に目を落とした。
「代替様式、明日には持ってくるでしょうか」
「持ってこなければ、期限内に催告を出します」
「事務的ですね」
「事務ですから」
セフィアは小さく笑った。ただし目は笑っていなかった。
「パーティーリーダーへの離脱通知は、本日付で発送になりますね」
「規程上、受理から二営業日以内に通知義務があります。受理済みの二通について、今日中に通知書を作成します」
「通知先ですが」
セフィアが一枚の控えを確認した。
「登録宿所は公費精算停止の対象施設です。昨日の処分で公費支援が全面打ち切りになっていますから、宿泊契約自体が継続しているかどうか」
届かない可能性がある、ということだった。
「届かなかった場合は、公示送達の手続きに移行します」
ユースは通知書の様式を引き出し、宛名欄に名前を書いた。
アルヴェイン・クロス殿。
受取人の名前を書くペンの速度は、他の申請者のときと変わらなかった。
*
夕方。
窓口の受付時間が終わり、発券機の電源が落ちた。待合室の最後の申請者が帰り、照明が半分に落とされる。
ユースは通知書二通を内部便の発送トレイに入れ、明日の処理予定を確認した。武闘家の代替様式の追完。四天王使者の再申請書類の残り。仮担当職員からの引き継ぎ保留案件。通常の受付業務。
セフィアが鞄を肩にかけながら、帰り際に一つだけ付け加えた。
「監査局の庶務から聞きました。異議申し立て手続きの書面通知、本日付で発送されたそうです」
ユースの手が一瞬だけ止まった。
異議申し立て。処分を受けた者が、正式な手続きを経て不服を申し立てる権利。
その書面が、全権限を失った元勇者の手元に届く。
「届くといいですね」
セフィアの声には、皮肉と、ほんの少しの観察者の興味が混ざっていた。
ユースは帰り支度を終え、窓口の札を裏返した。
「本日の受付は終了しました」
三通の離脱届が処理された日は、それだけで終わった。英雄と呼ばれた男がかつて率いたパーティーは、署名と受付印と処理番号の連なりによって、静かに解体された。
剣も、魔法も、血も、涙も、そこにはなかった。
紙の上で、全てが終わっていた。




