第40話「勇者資格停止、正式執行」
翌朝の窓口は、いつもと同じ時刻に開いた。
ユースはカウンターの定位置に処理印があることを確認した。黒銀の万年筆は昨日と同じく胸ポケットにある。右手の指先に、昨日の鈍さがまだ残っていた。
端末を起動する。
昨夕、件名だけ確認して閉じた通知が、画面の隅で点滅していた。
「元王国公認勇者アルヴェイン・クロス、正式審理日程通知」
開封した。
審理は本日午後。場所は監督院本棟の第二審理室。ユース・グレイナーは「記録確認者兼証人」として同席を求められている。
それだけだった。
通知を閉じ、午前の受付トレイへ視線を移した。四天王使者からの再申請書類が二件、内部便の封筒が三通、昨日の積み残し案件が四件。
「おはようございます」
セフィアが隣席に座った。いつもの柔らかい声だったが、視線はユースの端末画面が一瞬映していた通知の残像を追っていた。
「午後の審理用照合資料、昨日のうちに揃えてあります。教会側の治療記録照合と、避難区域焼失の被害認定日付。それから——」
「十分です」
ユースは受付トレイの一件目を手に取った。
午前中は、通常業務だった。
*
午後一時。
監督院本棟は、中央庁の裏手にある灰色の建物だった。正面玄関ではなく、職員用の側扉から入る。審理室へ向かう廊下は天井が高く、足音がよく響いた。
第二審理室の扉は既に開いていた。
長机が三列。正面に監査局の審理官が二名。右手に記録官。左手の証人席にユースの名札が置かれている。
傍聴席には、三つの人影があった。
僧侶。斥候。武闘家。
勇者パーティーの構成員が、揃って傍聴に来ていた。僧侶は腕を組んで目を伏せている。斥候は椅子の背もたれに体を預け、天井を見ていた。武闘家だけが、まっすぐ前を向いていた。
ユースは証人席に着いた。手元に、セフィアが揃えた照合資料の束を置く。
扉の奥から、靴音が近づいた。
監査局の護衛官に両脇を挟まれて、アルヴェイン・クロスが入廷した。
ユースが最後に見たのは、第三窓口で聖剣を抜いた瞬間だった。あの時は怒りで顔が赤黒く染まっていた。
今のアルヴェインは、白かった。
端麗な顔立ちは変わっていない。だが頬の線が痩せ、髪に手入れの跡がない。英雄の鎧ではなく、灰色の拘束服を着ていた。
それでも目だけは、まだ燃えていた。
審理官席の正面に立たされたアルヴェインが、真っ先にユースの方を見た。
ユースは視線を返さなかった。手元の資料の頁を確認していた。
*
「審理を開始します」
主席審理官の声は、部屋の隅まで平坦に届いた。
「被審理者、アルヴェイン・クロス。王国公認勇者パーティーリーダー、通称"光焔の勇者"。以下五件の審理事項について、記録に基づき確認を行います」
書記官が羊皮紙を広げた。
「第一。王都郊外魔獣掃討作戦において、聖剣使用許可の範囲を逸脱した広域殲滅技の無認可行使」
「第二。同作戦における現場報告書の虚偽記載」
「第三。勇者支援課を通じた公費の不正使用。二重計上を含む」
「第四。監督院監査に対する記録の隠蔽および妨害行為」
「第五。世界法運用局第三窓口において、保護対象職員に対し、使用認可停止中の高位武具を無認可で抜刀し、加害を試みた行為」
五つの罪状が読み上げられる間、審理室の空気が一段ずつ重くなっていった。
傍聴席で、斥候が天井から視線を下ろした。武闘家の拳が膝の上で白くなっていた。
アルヴェインは、五件目が読み終わる前に口を開いた。
「俺は勇者だ」
主席審理官の視線が動いた。
「発言の許可はまだ出していません」
「勇者が——前線で魔獣を殺して何が悪い。民を守るために剣を振って何が悪い!」
声が審理室の壁を叩いた。だが壁はびくともしなかった。石造りの部屋は、怒声を吸い込んで、そのまま沈黙に変えた。
主席審理官は手元の資料に目を落とした。
「記録確認者。第一件、聖剣使用許可の範囲と実際の行使内容について、照合結果を」
ユースは資料の一頁目を開いた。
「聖剣使用許可証、認可番号HB-0137。許可範囲は対象指定型の近接殲滅。広域殲滅技の使用には別途申請が必要であり、当該作戦において広域申請の記録はありません」
声に抑揚はなかった。
窓口で「不備です」と告げる時と、まったく同じ温度だった。
「第二件。現場報告書の記載内容と、教会側被害認定記録の日付照合」
二頁目を開く。
「報告書には『避難完了後に殲滅実施』と記載されていますが、教会の避難民受付記録によると、避難完了の公式確認時刻は殲滅技行使の四十七分後です」
傍聴席の僧侶が、わずかに顔を上げた。四十七分。その数字を、彼も知っていたのかもしれない。あるいは、今初めて聞いたのかもしれない。どちらにしても、その顔に驚きはなかった。
「嘘だ! 避難は——避難は終わっていた! 俺はちゃんと確認した!」
アルヴェインが叫んだ。
ユースは三頁目を開いた。
「第三件。公費精算記録の照合。勇者支援課経由の経費申請のうち、同一日付で二つの異なる宿泊施設に対する精算が計上されています。合計七件」
「それは——あれは部下がやったことだ! 俺は知らない!」
「第四件」
ユースの声が、アルヴェインの怒声を遮ったのではなかった。ただ、次の頁をめくっただけだった。怒声の方が、勝手に途切れた。
「監査局からの一次照会に対し、求められた帳票十二点のうち七点が未提出。残り五点のうち二点に、照会日以降の加筆修正痕が確認されています」
審理室が静まった。
アルヴェインの喉が動いた。言葉を探しているようだった。だがその前に、ユースが最後の頁を開いた。
「第五件。施行十七日目、世界法運用局第三窓口において、被審理者は使用認可停止中の聖剣を抜刀し、保護対象職員である記録確認者——私に対して斬撃を試みました。この時点で聖剣使用認可は凍結処分中であり、窓口は公的業務空間です」
ユースは資料を閉じた。
「以上、五件の照合を完了しました」
それだけだった。
感情はなかった。告発もなかった。「お前が悪い」とも「許さない」とも言わなかった。
数字と日付と認可番号だけが、審理室の空気に積み上がっていた。
*
主席審理官が立ち上がった。
「被審理者に対し、以下の処分を通達します」
アルヴェインは椅子から身を乗り出した。まだ何か言おうとしていた。護衛官が肩を押さえた。
「第一。勇者資格の停止」
書記官の羽ペンが走る音が、やけに大きく聞こえた。
「第二。聖剣使用認可の凍結」
アルヴェインの顔から、表情が一つ消えた。怒りが消えたのではない。怒りの下にあった「まだ覆せる」という確信が、消えた。
「第三。公費支援の全面打ち切り」
傍聴席で、斥候が膝の上の手を見た。自分の手を。もう公費で手当てされることのない、自分自身の手を。
「第四。前線通行権の剥奪」
武闘家が立ち上がりかけ、すぐに座り直した。
前線通行権。それが消えるということは、戦場に行けないということだ。戦えないということだ。勇者パーティーの存在理由そのものが、今、一行の通達で消えた。
「第五。避難区域焼失に関する被害者への賠償命令。詳細は追って算定書を送付します」
五つ。
たった五行の通達で、"光焔の勇者"アルヴェイン・クロスという存在が、制度の上から消えた。
聖剣は既に監査局の保管庫にある。もう光らない。認可が凍結された聖剣は、鉄の塊と同じだった。
アルヴェインの唇が震えていた。
「……ふざけるな」
小さな声だった。審理室の石壁が、それを増幅しなかった。
「ふざけるな……俺は——俺が何人の魔獣を倒したと思っている。俺が何度、王国を守ったと——」
「処分通達は以上です。異議申し立ての手続きについては、書面で通知します」
主席審理官は、もう座っていた。
アルヴェインは立ち尽くしていた。護衛官が肘に触れても動かなかった。
視線だけが、審理室の中を泳いだ。
僧侶を見た。僧侶は目を伏せたままだった。
斥候を見た。斥候は椅子の背に身を預けて、窓の外を見ていた。
武闘家を見た。武闘家は——正面を向いていた。だがその目は、もうアルヴェインを映していなかった。
最後に、ユースを見た。
ユースは資料を揃えて立ち上がるところだった。視線は手元の紙の端を整えることに向いていた。
目が合わなかった。
合わせようとしなかったのではない。ユースにとって、この審理はもう終わった案件だった。資料を閉じ、席を立ち、窓口へ戻る。それだけのことだった。
アルヴェインの喉から、意味を持たない音が漏れた。
護衛官が腕を引いた。今度は、抵抗する力が残っていなかった。
*
廊下に出ると、午後の光が窓から斜めに差していた。
ユースは審理室の扉が閉まる音を背中で聞いた。照合資料を鞄に収め、中央庁への連絡通路へ向かう。
足音が追いかけてきた。
振り返らなくても分かった。傍聴席にいた三人のうちの一人だった。
僧侶が、ユースの横を通り過ぎた。
追い抜く瞬間、僧侶の目がユースの方を向いた。
恨みではなかった。怒りでもなかった。何かを聞きたそうな、しかし聞いても意味がないと分かっているような、そういう目だった。
僧侶は何も言わなかった。足音だけを廊下に残して、先の角を曲がり、見えなくなった。
ユースも何も言わなかった。
*
第三窓口に戻ったのは、午後の受付再開から十五分後だった。
セフィアが窓口札を「受付中」に戻したところだった。
「終わりましたか」
「終わりました」
ユースはカウンターの内側に入り、午後の受付トレイを確認した。四天王使者の再申請が一件追加されている。内部便の封筒が二通。仮担当職員が処理途中で保留にした案件が一件。
日常だった。
「処分内容は」
「資格停止。認可凍結。公費打ち切り。通行権剥奪。賠償命令」
五つを、句読点のように並べた。
セフィアは小さく頷いた。何かを言いかけて、やめた。代わりに、受付トレイとは別の場所——午後の内部便の仕分け済みの束から、一枚の紙を取り上げた。
「あなたが審理に出ている間に届きました。午後便です。監督院の一般受付から転送されてきた様式の事前照会で、受付印の時刻は今朝のものでした」
ユースはその紙を受け取った。
問い合わせ内容は短かった。
「王国公認パーティー構成員の離脱届について、正式様式の有無と提出先を確認したい」
差出人の欄は空白だった。だが照会の書式は教会系のもので、僧侶職が使う用紙だった。
受付印の時刻——今朝。
審理の前だった。処分が下る前。結果を見届ける前に、この照会は提出されていた。
あの僧侶が廊下で見せた目の意味が、一枚の紙の上で静かに繋がった。聞きたいことなど、もう何もなかったのだ。答えは、とうに出ていた。
ユースはその紙を受付トレイの定位置に置いた。
「通常の照会として処理します」
セフィアの視線が、一瞬だけ紙の上に留まった。
「……始まりましたね」
ユースは答えなかった。
次の受付番号を呼んだ。




