第37話「魔王軍一斉差戻し」
窓口端末の青い光が、変わらずカウンターを照らしていた。
ユースが手帳を閉じた直後、端末の右上に新しい通知枠が点灯した。
監督院直送。優先度——最上位。
件名は一行だった。
「第三窓口運用権限の即時復帰に関する緊急協議招集」
ユースは通知を開いた。
本文も短い。臨時戦時特例の全案件凍結と戦時一元運用の効力停止に伴い、第三窓口の運用権限を原状復帰させる。窓口担当者は速やかに中枢処理権限の再認証を行うこと。
添付に、越権防止命令の失効確認書があった。
ユースはそれを一読し、端末を操作した。
中枢処理権限の再認証。認証番号の入力。所属確認。窓口端末との接続再開。
手順は三分もかからなかった。
端末の画面が一瞬暗転し、再び点灯した時、表示領域が変わっていた。
臨時整理要員の閲覧画面ではない。
処理待ち案件の一覧が、画面の左端から右端まで埋め尽くしていた。
分類タグは赤と橙の二色で交互に点滅している。赤は失効波及案件。橙は整合崩壊による再照合要求。
そのほぼすべてに、同じ所属名がついていた。
魔王軍。
補給契約。召喚獣維持契約。眷属契約更新。前線輸送認可。物資移送承認。駐留許可延長。
通知音が途切れなかった。画面をスクロールしても案件の末尾が見えない。
ユースは通知音を消した。
それから、処理待ち一覧の最上段をクリックした。
*
足音が聞こえた。
カウンターの向こう側ではなく、こちら側——職員通路の方からだった。
規則正しく、迷いのない歩調。だが急いではいない。
ユースは端末から視線を外さなかった。
淡い金色が、視界の端に入った。
セフィア・ルミナレスは、ユースの隣の席に帳簿を一冊置いた。
「教会照合特務室からの配置戻し命令、先ほど受領しました」
椅子を引き、座る。端末の電源を入れる。照合用の接続認証を通す。
一連の動作に無駄がなかった。
セフィアは自分の画面に表示された案件一覧を見て、一拍だけ沈黙した。
「……壮観ですね」
ユースは画面を見たまま答えた。
「失効波及の範囲が想定通りです」
「想定通り、ですか」
セフィアは小さく笑った。笑みの中に、呆れと敬意が同じ分量だけ混ざっていた。
「では、照合支援に入ります。魔王軍案件の契約原本参照は教会経由ですので、そちらは私が」
ユースは頷いた。
それだけだった。
再会の挨拶も、労いの言葉も、なかった。ただ、二つの端末が同時に動き始めた。
窓口の空気が、変わった。
壁際に立っていた仮担当職員が、それを肌で感じた。温度が下がったのではない。密度が上がったのだ。カウンターの内側にいる二人の処理速度が、空間の緊張そのものを書き換えていた。
*
最初の案件。魔王軍第七兵站部の補給契約更新。
ユースは申請書の日付を確認した。
契約期間の起算点が、ギデオンの臨時戦時特例と接続していた。特例凍結に伴い、起算根拠が消滅している。
差戻し。
理由欄に一行。「認可接続先の凍結に伴う起算根拠の消失。再起算のうえ再申請」。
処理時間、十四秒。
次。
召喚獣維持契約。魔王軍東方召喚陣管理局。
契約条項の第三節に、戦時一元運用下の特別承認番号が参照されていた。戦時一元運用が停止した以上、その承認番号は無効だ。
停止。
理由欄。「参照承認番号の効力停止に伴う契約条項の不成立。再承認取得後に再提出」。
九秒。
次。
眷属契約更新。魔王軍北方守護隊。
セフィアの端末から照合結果が飛んできた。教会側の眷属登録台帳と、申請書の眷属印照合番号が一致しない。ギデオンの特例処理で番号が振り直された際に、旧番号と新番号が混線したまま放置されていた。
差戻し。
「眷属印照合番号の不一致。教会登録台帳との再照合を求む」。
七秒。
ユースの指が端末の上を滑り続けた。
案件を開く。不備の位置を見る。分類する。処理区分を入力する。理由を書く。次へ進む。
その反復が、途切れなかった。
仮担当職員は壁から一歩も動けなかった。
彼が一件を読み解くのに必要な時間で、ユースは三件を処理していた。しかもその三件すべてに、異なる理由が記載されていた。同じ文面の使い回しが一つもない。
案件ごとに不備の位置が違うのだから当然だ、とユースなら言うだろう。
だが仮担当職員にとって、それは当然ではなかった。
彼はこの数週間、同じ窓口で処理を試みていた。一件に三十分かかることもあった。判断がつかず保留にした案件が、棚の上に積まれている。
その棚を、ユースはちらりとも見なかった。
見る必要がないのだ。処理待ちの一覧が端末に表示されている以上、棚の案件もすでに彼の処理順の中に組み込まれている。
端末の処理音だけが、窓口に響いていた。
*
一時間が過ぎた。
セフィアが照合支援を飛ばし続ける横で、ユースは魔王軍案件を四十七件処理した。
内訳は差戻し三十一件、停止十二件、失効確認処理四件。
受理は、一件もなかった。
「……全部ですか」
セフィアが呟いた。
「全部です」
ユースの声に抑揚はなかった。
「ヴァルカス次長の特例処理が接続していた案件は、起算・承認・照合のどこかが必ず崩れています。一件も例外はありません」
セフィアは自分の端末を確認した。教会側の照合記録と突き合わせても、ユースの処理に誤りは見つからなかった。
四十七件、すべて正確。
「正しく通していなかったから、こうなるのですね」
セフィアの言葉に、ユースは答えなかった。
代わりに、次の案件を開いた。
*
二時間目に入った頃、端末に新しい照会が入った。
発信元は、魔王軍補給将ドレヴァン。
内容は二行だった。
「第三窓口の運用再開を確認した。当方の補給契約群について、差戻し理由の一括照会を申請する」
ユースは照会を開き、処理済み案件の差戻し理由一覧を抽出した。
三十一件分の差戻し理由が、端末上で一枚の帳票にまとまった。
ユースはそれを照会回答として送信した。
付記は一行。
「不備解消後の再申請を受け付けます。受付時間内にお越しください」
送信から四分後、ドレヴァンから返信があった。
「了解した」
それだけだった。
長い抗議も、交渉の試みもない。
ドレヴァンは実務屋だ。差戻し理由が正確であれば、抗議は時間の無駄だと知っている。必要なのは、理由を読み、不備を直し、再び並ぶことだけだ。
ユースは返信を確認し、次の案件を開いた。
*
三時間目。
処理件数は七十を超えていた。
窓口の外——待合室の空気が、変わり始めた。
仮担当職員は最初に気づいた。
待合室の入口から、見慣れない人影が入ってきたのだ。
一人ではなかった。
三人。いや、四人。
全員が正装だった。魔王軍の上位階級を示す黒と深紅の礼装。胸元の紋章は四天王直轄を示すもので、仮担当職員は実物を見るのは初めてだった。
彼らは入口で立ち止まり、待合室を見渡した。
番号札の発券機を見つけた。
先頭の使者が、発券機の前に立った。
札を一枚取った。
後ろの三人も、順番に取った。
それから四人は、待合椅子に腰を下ろした。
背筋を伸ばし、膝の上に書類束を置き、番号が呼ばれるのを待った。
声は出さなかった。
威圧もなかった。
魔王軍の四天王級の使者が、王都中央庁の待合椅子に座って、番号札を手に順番を待っている。
仮担当職員は、自分が何を見ているのか理解するのに数秒かかった。
カウンターの内側で、セフィアが待合室を一瞥した。
その口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
「お客様がお見えですよ」
ユースは端末から顔を上げなかった。
「番号順です」
処理中の案件を閉じた。次の案件を開いた。
待合室の発券機の上で、現在の受付番号が一つ進んだ。
窓口に、ユースの声が響いた。
「次の方、どうぞ」




