Episode84/1.崩壊の兆し
(167.)
私はタクシー内で、裕希姉がなにも喋らない状況のなか、沙鳥に事情を何処まで話していいのかメッセージを送って確認していた。
沙鳥からの返信の内容を要約すると、構成員が何人いるのか、名前は何なのか、我々家族がそれぞれどのような異能力を扱えるのかーー既に半ば把握されていると思しき六花と舞香、藍、そして当主の沙鳥自身の四人に関してのみ開示して構わないとの返信が届いた。
また、現在自身がどのような立場にいるのか、なにと争っているのか。
国家、警察、異能力者保護団体という表社会の組織と、我々裏社会の愛のある我が家が同盟を結び協力していることはすべて開示していいとの追伸まで届く。
最後に『ある程度の説明は舞香さんがしてくださったようですが、貴女視点での話や詳細まではまだ知らないでしょうし、改めてご家族にお知らせください。また、あとで再び連絡を』とメッセージで言われた。
私は隣ですすり泣く裕希姉のことを意識しないように、何度も沙鳥から送られてきた文面を確認した。
ーー六花だけじゃなくて、舞香と藍の異能力まで家族にバレている?
ーー舞香が既にある程度の説明はしている?
ーーあとで再び連絡を?
少し不思議な内容だけど、あのあと、死体の処理はどうなったのか知らない私は、それ関係で舞香が藍のちからで我が家に来たのかもしれない。
以前、旧皐月が第二拠点を襲撃したとき、死体の処理を舞香がしていたかのような話をしていたし……。
そのまま、タクシーは自宅のあるマンション前で停車した。
私はギリギリまでお小遣いを消費してしまったが、なにはともあれ裕希姉の救出には成功した。
それに、仇敵神無月の部下である緑色まで、渋澤さんの奇襲で叶ったのだ。私のお小遣いが無くなろうと、その対価には十分だ。
無言のまま二人でマンション前に立つ。
私と裕希姉は、自宅のある階まで上り、重い空気のなか玄関を開いた。
自宅に入ると、母親が廊下の至る場所を「まだ臭いがするまだ臭いが取れない」と同じ文言を繰り返し呟きながら、血液が付着したであろう箇所を執拗に雑巾で拭いつづけていた。
「おかえり……」
父さんは暗い顔で、私と裕希姉を待っていた。
裕希姉が拐われたことを、誰かから知らされたのか?
何のために私が家から飛び出したのか、事情を知っているように感じられる。
「……ただいま」
「ちょっと、ママは何をしてるの? パパ?」
裕希姉は、ぶつぶつと同じ文言を繰り返し呟きながら、床を拭いている母さんの異様な姿を目にして、疑問を口にした。
「ああ、ちょっとね……詳しい話はまだだけど、御薬袋さんという方と、青海さんという方が訪ねて? いいや、違うか。まるでワープしてきたみたいに、家の中に現れたんだ」
父さんは裕希姉に説明をつづける。
「その人たちが言うのが事実なら、自分たち“愛のある我が家”の敵対している犯罪組織の人たちが自宅に押し入って来たんだ」
「え……お家まで襲われてたの……?」
「ああ」
父さんは頷いた。裕希姉の問いを肯定したのだ。
というより、やっぱり藍と舞香は自宅にやって来ていたのか。
裕希姉を救出しに行くとき、沙鳥から電話があったのは、誰かの異能力か、はたまた異能力犯罪死刑執行代理人の人たちから知らされたのだろう。
「そんな……」
「それだけじゃない。俺も買い物帰りに三、四人組の男たちに誘拐されかけた。見知らない奇妙な男から助けてもらったけど、おそらくその男は誘拐未遂の男たちを平然と殺害してた……異常としか言いようがない」
父さんは頭を抱え、現状を理解しようとしているのか、暫く小さく唸る。
今の言葉で確信した。おそらく父さんは確かに襲われたが、渋澤さんの部下と思しき異能力犯罪死刑執行代理人のひとりーー八月一日さんがしっかり護衛してくれたのだ、と。
「それも……ぜんぶ豊花が原因なの?」
裕希姉に目を向けられて、私は頷き肯定する。
「汚い汚い臭い汚い……」
床の同じ場所を、母さんは何度も何度も、おかしくなったかのように繰り返し拭きつづけ、それをやめようとしない。
既に死体があったとは思えないほど元通りの玄関前に戻っているし、時間経過した血液特有の朱殷の染みも一切見て取れない。
血の匂いだって、私には全くしなくなっている。
なのにーー。
「落ちない落ちない落ちない落ちない……」
母さんは狂ってしまったかのように、ぶつぶつ独り言を呟きながら、廊下を雑巾で拭きつづけていた。
「……」
裕希姉は、普段の穏やかな雰囲気の家庭が一変して嫌な空気になっているからか、口を噤むと、それを佇みながら眺めるしかしない。
「豊花……。裕希と母さんも……ひとまずリビングに集まってくれ。詳しい話を聞かなければいけない。ーー裕美花っ」
父さんが静かに怒鳴ると、母さんは肩を揺らし、ようやく床拭きロボットと化した母さんは、同じ動作を繰り返すのをやめた。
「今しがたやって来た青海ってひとに死体を消してもらったし、異能力者保護団体の死体痕跡清掃員? だかいう人たちに綺麗にしてもらっただろ? もう血の匂いなんてしてないから」
死体痕跡清掃員……?
そういえば渋澤さんも言っていた気がする。
異能力者保護団体には、そんな部署も存在するのか。
「でも、でも、匂いが、臭いが取れない。汚れが消えないの!」
「裕美花! ……とにかく、六花ちゃんには俺たちの寝室で待っててもらっている。その間に、豊花からいろいろと聞かなくちゃダメだろう?」
「……」
母さんはようやく立ち上がると、妙な足取りでリビングへと向かった。
「豊花、詳しい話はまだ聞いてない。だけど、おまえが愛のある我が家って異能力者の集まりの仲間になったことは、青海って人から既に聞いている。御薬袋と青海って人たちだけじゃなく、六花ちゃんもそうだと言っていた」
父さんは額に手を当てながら、「とにかく、リビングで豊花がなにに巻き込まれて、どんな状況なのか、嘘はつかずに教えてくれ……」と言い残し、母さんの後を追いリビングへと入っていった。
「やっぱり、本当の話なんだね……」
「ごめん、裕希姉……とりあえずリビングに集まろう? 私が今まで何をしてきたのか、すべて説明するから」
私と裕希姉は最後にリビングへ足を踏み入れ、普段食卓を共にしているテーブルに腰を下ろした。
目の前には父さん。その隣には、なぜか少し老けてしまったかのような顔をしている母さんの姿が目に映る。酷くやつれたように見えてしまう。
最後に、私の隣に裕希姉が座り、リビングに家族全員が集まった。
リビングに掛けられた時計の短針は、真っ直ぐ左を指している。
「まず、異能力者保護団体で働くーーなんて言ってたのは嘘だったんだな?」
父さんは私に詰問する。
母さんは無言のまま、いや、小さくなにかを呟いている。
裕希姉は前以て私から説明しておいたからか、あるいは喋りたくないのか、口を噤む。
「いや……私が異能力者保護団体で働くことにしたのは事実だし、まだ実質的には第4級異能力特殊捜査官のままだよ」
「なんだと? 異能力者保護団体は国の運営する、いわばまともなところだろ? 愛のある我が家とかいう、なんだったか……そうだ。特殊指定異能力犯罪組織と真逆じゃないか」
当然の疑問だった。
裕希姉も疑問に思っていた。私に一切取り調べせず、警察が現場検証もなしに死体を片付けている光景を目の当たりにして、問いかけてきたのに答えたのだから。
だから、既に裕希姉だけは善側と悪側が裏で仲良しこよしの関係なのは知っている。
「嘘じゃないよ……私は異能力者保護団体の第4級異能力特殊捜査官で、同時に特殊指定異能力犯罪組織“愛のある我が家”の構成員なんだよ」
「待て待て! 豊花、自分がなにを言っているのか理解してるのか? 犯罪者集団と国の運営する保護団体のどっちもの職員……? だって言ってるんだぞ?」
私は深呼吸したあと、重く頷いてみせた。
「思い出してみて? 愛のある我が家の構成員の六花を預かるとき、何処から連絡を受けたか……」
「うっ……まさか、いや、そんな……裕美花、本当に異能力者保護団体からの電話だったか?」
母さんは真っ青な顔で、縮こまるような体勢に座り直し……はっきりと頷いた。
そう。
私の家族を守るために六花を自宅に招き入れるため、わざわざ沙鳥の手管で、違和感が少なくなるように、怪しまれたり疑われたりしないように……異能力者保護団体に頼み、我が家に異能力者保護団体から予め六花を匿うような嘘を伝えられた。
国側の団体が、まさか嘘を吐く筈がない。
誰だってそう思ってしまうだろう。
異能力者保護団体と愛のある我が家が、裏で手を組んでいなければできない行為そのものであり、同時に両陣営に繋がりのある何よりの証明でもある。
「そんなバカな話ーー」
「ううん……豊花は嘘なんてついてないよ。ついて……ないんだよ……ッ」
裕希姉は顔を手で覆いながら、自分が目の当たりにした信じられない非現実を受け止め、私の話が嘘八百なんかじゃないと同意する。
「……どうして、こんな事になったのか。ちゃんと説明してくれるんだろうな?」
「うん。始めからすべて打ち明けるよ。裕希姉とも約束したし、嫌われる覚悟も、縁を切られる覚悟だって決めたんだ」
ーーそれは本当か? 豊花、きみは他人への信用、信頼を裏切られた経験が少ないし、大切だと信じていた人物に嫌われる経験もほとんどしてはいないだろう? その覚悟が単なるまやかしでないことを切に願うぞ。実の家族の前で、私は豊花に、癇癪など起こしてほしくはないのだ。ーー
ユタカ……一度、裕璃から拒絶された経験くらいはあるじゃないか。
大丈夫だよ……慣れているはずだ。
ーーそれが単なる私の思い込みだと知るかどうかは、すぐにわかる。




