Episode82/2.真の敵(前)
(166.)
指定された住所の大通りにある古錆びれたやや広めの倉庫の前で、タクシーを停めてもらう。
「ここで合ってるの? なんもないけど」
「はい。合ってます」私はメーターが記す料金を支払った。「ありがとうございました。座席を濡らしてすみません」
「はい、どうも」
ドアを開けてもらい、私はタクシーから降りて倉庫の全貌を見据える。
しかし、倉庫前には白いワゴン車へ地面に置かれた段ボール箱を乗せている男が居り、働いている姿にしか見えない。
本当にここなのかと不安に思ってしまう。
だが、その男はピタリと働く仕草を止め、私に手招きしてきた。
手招きする男に近寄る。
「杉井豊花だな?」
男から声をかけられ、確認するかのように名前を訊かれる。
こいつが、裕希姉を誘拐した一味のひとり……。
おそらく敵はひとりじゃない。この場で殺すことに成功しても、倉庫内に居ると思しき裕希姉の命を、無駄に危険に晒す原因になりかねない。
私は素直に頷いた。
家族に手を出したコイツらへの怒りを鎮めながら、表情に現れないように気を配りながら……。
「こっちだ。ついてこい」と男は言うと、シャッターが閉まったままの横にある、小さな出入口用の扉を開き、倉庫の中に入るよう命令される。
言われるがまま、私は古錆びた埃の舞う倉庫の中に足を踏み入れた。
そこには、閉じられたままのシャッターの内側付近で、誰かが男に蹴られていた。
「ーー!?」
なぜ?
なんでここに居るの?
どうして、どうして宮下が知らない男から痛めつけられているんだよ!?
ーー落ち着け! 理由はわからないが、おそらく何らかの事情が宮下にもあったんだろう。この輩どもは豊花の友人とは知らない筈だ。知っていたら、このように人質を無用に痛めつける真似はしない。下手に反応すれば、救う……守るべき対象が二人に増えるぞ?ーー
……っ!
たしかに、倉庫内に連れてきた男も、見た限り気を失いぼろぼろの宮下を遊ぶかのように蹴りつけている男も、宮下に関しては、私になんの一言もない。
そもそも、裕希姉を誘拐したとしか電話でも口にしていない。
要するに、宮下と私の繋がりまでは知らない証左だ。
私は気づかれないよう歯を噛みしめて怒りを我慢して、宮下から通り過ぎた。
倉庫には二階に上がる階段もあるが、かなり老朽化しているのが見てわかる。
二階には一階より無造作に段ボールが木製の床に直接積まれており、二階に上がらず二階の下を通りながら見上げると、ところどころ穴が空いており、二階の床を貫いて倉庫の天井が下から視認できるくらいだ。
だから、たぶん二階に敵はいない。
下手したら穴にハマり二階から下に落ちてしまう。大怪我を負う危険があることなんて、一目見ればわかる。それほど老朽化している。
視界を目の前に移すと、倉庫一階の奥で、パイプ椅子にガムテープでぐるぐるに巻かれて拘束されている女性ーー裕希姉の姿を視認した。
「裕希姉!」
「ーーっ! んーーッ!」
裕希姉の口はガムテープで塞がれており、叫べないようにされていた。
「意外と早かったな。遅れれば暇潰しにいたぶってやれたのによ?」
そのパイプ椅子の隣には、おそらく私に電話をかけて脅してきた声の主ーー見知らぬガタイのいい男が待ち構えていた。
ナイフ片手に、裕希姉の首に刃をあてがい、少しでも力を入れたら切れてしまいそうな状態だ。
これで、倉庫に居る敵の数が把握できた。
いつの間にか私の左肩の後ろに下がっているーー不審な動きをしないよう見張る役割なのか、私を招き入れた奴……背後男。
裕希姉にナイフを沿わせ、私をニヤニヤ見つめるナイフ男。
そして、宮下をいたぶるのをやめたのか、後ろから歩いてくる音が聴こえるーー宮下いたぶりくそ野郎こと糞男。
ーーその計三人。
糞男の武器はおそらく木刀。
シャッターに立て掛けて置いてあるのを確認したし、たぶん間違いないだろう。
ナイフ男は、見た限りナイフ以外に得物は手にしていない。無論、凶器はナイフだと見ればわかる。
だが、背後男は一見なにも武器を手にしていない様に見える。
素手が武器とか、そんな安易に考えて油断するより、なにかしら武器を隠し持っていると想定しておいたほうがやりやすい。
ふと、なぜか過去に金沢叶多に襲撃されたときの風景が脳裏に浮かぶ。
たしか叶多は、スタンガンを隠し持っていて、危うく直撃を受けるところだった場面が……。
「言われた通り、誰にもこの事は言っていない。貴方たちの目的は、いったい何なんですか?」
スマホ越しに会話した相手……ナイフ男に問いかけた。
「正直、俺らにも詳しい事はわからない」
「はあ? そんなバカな話!?」
思わず、怒り狂い暴れそうになる。
裕希姉を拐った当人らが、詳しい事を理解していないだと?
よくわからずに裕希姉を拉致して、なぜだか宮下が気を失うまで痛め付けたと言っているのか?
あまりの雑さと適当さ加減に頭が怒り一色に支配されそうになる。がーー。
「……“感情”」
無意識に口からつかったことが一度もない力ーー感情の異能力を機能させるためかの如く、自然と“感情”と唱えてしまう。
すると、怒りに満ちていた頭が少しずつ鎮火していていき、次第に冷静な状態に近づいていくのを実感した。
……てっきり、感情は怒りを増す異能力だと勘違いしていたけど、どうやら違うらしい。
まだ一度目だし、本領はわからないままだけど。おかげで気持ちが安定してくれた。
ーー私も認識不足だったらしいな……。ーー
「不思議なバイトだったが、成功報酬はほかより遥かに高かったから引き受けた。一応話は聞いてるからまあ落ち着けよ? じゃないと、お姉ちゃんが死んじまうぞ?」
ナイフ男は、裕希姉の首元に触れたナイフを、少しだけ引いて威圧してきた。
裕希姉の首筋に、少量の血がつーっと流れる。
「っ!? 早く要求を言え!」
「礼儀のなってないチビだな? 取引だ。こいつを解放してほしいなら、いまここでーー」ナイフ男はその名を口にした。「神無月って奴の部下になると誓え」
「は? 神無月……だと……!?」
「知り合いか? なら話が早くて助かるよ」
ようやく合点がいった。すぐに理解できた。
この元凶は、あの市民を見下している男ーー神無月!
あいつは牙を向けられた程度で私の勧誘を諦める奴じゃなかった。
わざわざ私を仲間に引き込むためだけに、使い捨ての駒として、無知で野蛮なこいつらを利用したのだ。
自ら労力を払わず、割りのいいバイトーー闇バイトとして神無月がこいつらチンピラを雇った。どうせ成功したって、こいつらに報酬が支払われることはない。殺されるのがオチだ。
そのくらい、以前に十分、二十分程度対話しただけの私でもわかる。
「……“思考”」
「? とりあえず、神無月ってやつの部下になると誓ったら、ここで暫くおとなしくしてろ。おまえを連れていくために誰かが来るんだとさ」
話し半分で聞き流しながら、私はこの場を切り抜けるにはどうすればいいか、敵を倒す順番はどうすればいいか。僅かに早くなった頭を回転させて思考し、やがて行動を決めた。
背後の男の得物は不明だが、脳裏に浮かんだ叶多のイメージになにか意味があると踏まえ、近距離用の武器と仮定した。
クソ男は既に背後男のさらに背後で、おそらく木刀片手に待機している。足音から距離を推測済みだ。長物で厄介だが、致命傷に一撃で届くレベルの凶器とまでは言えない。注意すべきだが、一番目に狙う敵じゃない。
ナイフ男ーー裕希姉から真っ先に離す必要があると判断した。
背後男の手が届かない範囲まで距離を空けつつ、ナイフ男を無力化する。
「なに睨み付けてんだ? おい、早く決めろよ。連絡すっから」
霊子貯蔵をしてから帰ってきてよかった。
精霊操術を習得しておいて、本当によかった。
ナイフだけじゃ、こいつら三人を裕希姉を守りながら倒すのは難しかった。
私は霊子操作をはじめるが、三人にはそんな気配察知できる筈がない。
右手に全ての霊子を移動して集め、濃縮し溜めていく。
気づかれずに攻撃準備ができるのが非常にありがたい。
不思議と怒りと緊張から、修行の疲労など頭から吹き飛んでいる。
霊子中毒最中でもなし。むしろ、怠さを忘れるのは都合が良い。
修行の成果を、ここで出し切る。
それが可能だと、私の勘は囁いている。
ようやく全ての霊子を、心臓から右手に操作して集め終わった。
真の大敵は神無月。
だけど、こいつらもここで……始末する!
「ーー“感覚”」
「ああ? さっきからなにぼそぼそ呟いてんだ?」
私は行動を開始した。




